島めぐり

2022年3月11~19日

八重山GPS航跡図 4753

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石垣島・石垣市

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礼文島に始まった島めぐりも、いよいよ、南の端に近づいた。羽田から那覇に着くと、懐かしの「ゆいレール」がやってくる。2021年11月からまだ5か月しかたっていない。気温は20度を超えており、これがまだ3月の前半だとは信じがたい。オリオンビールのデザインのTシャツを買って、半ズボンに履き替えて、現地の気候に合わせる。那覇市はコロナ感染者のピークは過ぎたものの、なかなかそのあと減少しない。

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最初の夜は那覇に宿泊し、翌朝石垣空港に向けた飛行機に乗り込む。航空会社はANA、JALのほかにソラシドエア、ピーチアビエーションなどがある。春休みでもあり、コロナの勢いが衰えた頃なので、若者がわんさと旅行に来ている。一方で高齢者の数は極めて少ない。とはいえ、乗客が少ないために欠航の便が出るくらいだから、本格的な旅行ブームはまだまだ先の話だ。
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那覇市から石垣市までの距離は411キロもある。つまり東京大阪の間に匹敵するのだ。沖縄県の面積は全国44位に過ぎないが、県内の移動距離は日本一だ。那覇空港を出て全体の五分の四ほど飛んだところで厚い雲が途切れ、海上に宮古島が見えた。右下に伸びているのが「西平安名岬」と「池間島」。左上の島が「伊良部島」らしい。
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 石垣空港に到着すると、正面にテーブルが置いてあり、PCR検査を受けたか、2回以上のワクチン接種をした証明書があると、この「あんしん島旅プレミアムパスポート」をもらえる。これを提示すると割引や景品の恩恵があるということだ。
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空港から石垣市中心部へはたくさんバスが出ているが、今回は「カーリー観光」の直通バスに乗った。30分弱で「離島ターミナル」に到着。ここは八重山諸島へ向かう船が出入りする、交通の最重要地点だ。海上保安庁やコンテナ貨物も含めて、港は巨大である。
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八重山に来たというのに、最初に昼食をとったのは、インド料理店。
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 インド料理店の向かいが宿泊することになっている「やいま日和」という素泊まりペンション。離島ターミナルからわずか歩いて3分だ。ここは「美崎町」という飲食街の中にあり、後でわかるが、深夜まで大声で騒ぎまわる酔客や、得体の知れない宗教歌が聞こえる場所なのだ。耳栓を忘れずに持ってきてよかった!
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午後2時過ぎに宿に入ったので、さっそく身支度をして、徒歩で街中を探索することにする。宿から10分ほどのところにあるのが「八重山博物館」。しかし、その日は臨時休館で、やむを得ず18日まで待つことになった。
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 このため、この5枚の写真は、島めぐりを終えて、帰りの飛行機に乗る前にこの博物館を訪れた時に撮影したもの。博物館の前にあるのがこの「道路元標」。これは戦後の米軍統治下で作られたものなので、普通に国内でみられるものと違い、石柱がオベリスクの形になっている。石柱に張り付けられていた銅板は博物館内にある。ここ八重山も、当時は一種の“政府”を持っていたのだ。
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 波照間島前村の弥勒(ミルク)の面。五穀豊穣をもたらす農耕の神様である。
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 海の幸が豊富な八重山で、潜水するのに欠かせない水中眼鏡(ミーカガン)。もちろんプラスチックではなく、器用にガラスをはめ込んだ木製である。
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 火鉢にやかんが乗っている。東日本における夜間とはまるでデザインが違う。そして火鉢は大きな木株の中をくりぬいて作ってあるのがわかる。木株の不規則な造形が面白い。
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 石敢當(イシカントウ)とは建物の角などに置かれる魔除けであり、これはその拓本。街歩きをすると、この石敢當をいたるところに見かける。
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博物館からさらに西の方角に歩くと、神社が見つかった。しかしこれは御嶽(ウタキ)と呼ぶべきなのかもしれない。ふつうにみられる神社とは形も雰囲気も違う。ただし、鳥居はある。
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亜熱帯に属するこの島は、街路樹でさえも、猛烈な育ち方をする。これは一本の太い木の周りに直径5センチぐらいの木が寄生しているというか、太い木を締め上げているといってもいいだろう。
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根元を見ると、この細いほうの木は、舗道の敷石が丸みを帯びた六角形をしているが、その隙間に忠実に根を伸ばしているのだ!
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街並みが外れに来たと思われるあたりに、八重山最初のお寺といわれる「桃林寺」がある。
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その境内には「大東亜戦争戦没者慰霊碑」があった。沖縄本島だけでなく、このように周りの島々でも多くの犠牲者が出た。

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桃林寺の本堂。ほかにも権現堂がある。
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桃林寺から再び東に戻ると、「宮良殿内(ミヤラドウンチ)」がある。島役人だった宮良氏の住まいで、琉球王朝の時代にさかのぼる。
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しかし、建物の経年の傷みがひどく、観覧は庭園だけで、室内に入ることができない。那覇市にある識名園(戦後に再建された)とちがって、地方の小役人の住まいはあまり修繕のための予算がつかないようだ。
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 「宮良殿内(ミヤラドウンチ)」の上空からの写真。
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石垣市の一番交通量の多い交差点は「730交差点」という。離島ターミナルからすぐそばだが、ちょっとした広場のようになっていて、そこにこんな石碑がある。赤から青へと矢印が曲がっているのを見てすぐわかった!戦後アメリカ軍によって統治されていたときは、アメリカと同じく右側通行であったのだが本土復帰の時、7月30日に沖縄本島と同じく一斉に左側通行に変わったのだ。それを記念している。
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「730交差点」と離島ターミナルとの間にあるのが、この魚屋さん。”まぐろ”というこの看板が示しているのは、この店が魚類一般を売っているだけでなく、店の前にテーブルと椅子を持ち出して、お客さんに刺身と酒を提供していることなのだ。魚屋が飲み屋に変身している。ここは5回ぐらい通ったが、いつだって客がいてマグロを肴に飲んでいた。なお、八重山では「魚屋」より「さしみ屋」の店が一般的だ。島の周りで獲れる、飛び切り新鮮な魚をすぐ刺身にしてパックに入れて300円ぐらいから売っているのだ。焼き魚とか干物をあまり見かけない。さらにこのパックはどこのコンビニでも売られているのだ。八重島にあるコンビニの定番商品なのである。
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 宿にほど近い、この全体を青く塗り立てた「栄福食堂」は「やぎ汁」が売り物だ。ここには最終日の夜に出かけたが、やぎ汁、ミミガー、トニーそば、ビール、泡盛を注文して店の老夫婦と大いに盛り上がった。何しろこの店は「Lonely Planet」という世界的に有名な旅行ガイドブックに何度も乗ったのだ!コロナの流行前には外国人たちのたまり場だったのだ。

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 玉取崎(往復)
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翌日、近くの自転車屋さんでクロスバイクを借りて、東海岸に沿って北上する。往復64キロであった。石垣市街地を過ぎたころ、海岸の方向に「ANAインターコンチネンタル石垣リゾート」が遠望される。ヨットのセールのような巨大な三角形が特徴的だ。
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そのあとすぐに、大自然に包まれた島が現れる。マングローブ林に挟まれた川は、堤防などのコンクリート建造物はどこにも見当たらない。
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今の石垣空港が新しく建設されるとき、近くの海に造成の際に吐き出された土砂がサンゴをダメにすると全国的に報道された。それがここ「白保の海」である。WWF総裁のエジンバラ公フィリップ殿下もここを1992年に訪れたのだ。
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海岸に出てみると砂浜ではなく、こんなサンゴのままの石がごろごろしている。
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もし、今が夏の潜水シーズンならば、思う存分サンゴの海の眺めを楽しめただろう。
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  航空機の尾翼が林の中からにょっきりと出ている。石垣空港は高台の上に造られているのだ。道路はその下を通るため、間に背の高い樹木が生えているところではこんな風に見えるのだ。
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道路と、航空誘導灯が交差している地点。風向きによっては、離着陸の飛行機がこの真上を通る。
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 これは朝顔なのだろうか?空港周辺の雑木林で。
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石垣島は牛も山羊も豚も鶏も飼育が盛んだ。しかし何といっても知名度は「石垣牛」が最高だろう。しかし一生運動もできないような多頭飼育ではない。大自然の中で草をはみながら、のんびりと生きている。
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「玉取崎展望台」に到着。ここは南端の石垣市街地から、縦に長い石垣島の東海岸を3分の2ほど北上したところにある。この日はよく晴れて見通しが良い。向こうに見える半島には最北端の「平久保崎」がある。本当はそこまで行きたかったし、途中には有名な鍾乳洞もあるのだが、自転車の返還時刻も考えなければならなかった。
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この道はアップダウンが激しかった。ガイドブックに”自転車はお勧めできない”とあったとおりだ。でも道端の花を見つけたり、こんな奇妙な形の樹木を見つけたりできるのは、自転車の速度がのろいからだ。”旅の楽しみは細部にある“アランの「幸福論」より。
 

石垣島・川平湾(往復)

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石垣に着いて3日目は、またまた自転車で島の西海岸を北上する。目的地は「川平(カビラ)湾」だ。昨日ほどの距離はないし、さほどの坂道もない。石垣にきて気づいたのは道路幅に余裕があることだ。この写真でもわかるように歩道が思いっきり広くとってある。そして暑いせいもあって日光を遮る葉の多い街路樹が続いている。快適この上ない。
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「名蔵大橋」という大きな橋のところに出た。河口のところで左側の名蔵湾に注ぐ。右側は「名蔵アンパル」という干潟が広がる。全国に46あるラムサール条約湿地のひとつだ。カニがたくさん住んでいるという。
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 半島を横切ると「川平湾」に出た。うーむ、どのガイドブックにも絶賛されるのも当然だ。わざわざ海外の有名ビーチに行かなくとも、ここで十分である。
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サンゴが砕けてできた真っ白な砂。ゴミもない。
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 南シナ海のほうを見る。潮流が速いのも、海の美しさの原因の一つかもしれない。
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砂浜沿いに「川平公園」になっていて、その中には御嶽(ウタキ)もあるし、貝塚もある。古代人もこの場所が気に入っていたのだろう。
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 「底地ビーチ」全景。まだ泳ぐ人もいないが、おかげで砂浜の長さがよくわかる。
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 少し時間的に余裕があったので、川平湾を抜け、さらに2キロほど北上して半島の裏側に出る。そうすると「底地ビーチ」なのだ。夏は大変な人出だろう。
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 3月20日にはここで早くも海開きが開かれるのだそうだ。ただし、「ハブクラゲ」にご用心。
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 再び川平湾に面した浜に戻って、「ソーキそば」を注文する。地元特有の「八重山そば」の上にソーキをのっけたものだ。このそばはやたら太いが、明らかにうどんとは違う。黄色っぽいのだ。そして汁は豚のだしとカツオのだしの両方が混じっている味がする。八重山滞在中全部で5回以上そばを食べた。
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 川平湾といえば、やはりグラスボートだろう。底地ビーチに行って帰ってくることには浜の混雑は消え、悠々と船に乗ることができた。
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 「あんしん島旅プレミアムパスポート」が役立つ時が来た。乗船券が割引になっただけでなく、船から戻ってアイスクリームのおまけがついていたのだ。
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 午後になって、人影が少なくなった浜につながれているグラスボート。
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 ガラスを通して見えるのは、無数の小魚の群れ。普段から裸潜りで見慣れているとはいえ、サンゴとその周りに群れる魚たちの光景は素晴らしい。カメもたくさんいた。
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 帰り道、田んぼの中に白い鳥を発見。コウノトリか?

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