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Sapiens サピエンス全史 * Yuval Noah Harari * 柴田裕之・訳 * 河出書房新社 * 2022/01/08 いわゆる「マクロ歴史学」の立場から書かれた。つまり、どこかの国がどこかの国へ攻め入ったというような史実を書き連ねるのではなく、宗教学、社会学、生物学など他の分野の見方を取り入れて、この7万年ぐらいの間に急速に変化を遂げた人類社会について述べている。専門分野に閉じこもらずより広い視野を求めて話を進めるのは並大抵のことではない。 文字の発明、お金の流通、農業の勃興、その時々の社会が定めた制度・価値観の”虚構”などが、それぞれの時代における革命・転換点となった。宗教についていえば、かつてのアニミズムから多神教、一神教への移り変わりのみならず、共産主義、資本主義、国民主義、自由主義、消費主義も“絶対に譲れない価値観、共有されている価値観”を表しているという点で「宗教」であると著者は主張する。 そして21世紀に入った今、急速なテクノロジーはどこへ行くのか?誰にも予測はつかず、途方もない未来世界が待ち受けているのかもしれず、もろくもインカ文明のように突然崩壊し、人々の生活レベルは昔に逆戻りしてしまうかもしれない。人類の歴史は一つの到達点に近づいているのか、それとも終着点に向かっているのか?もう少し時間をかけて観察するしかない。 本文中における仏教についてのいくつかの言及には注目に値する。というのも仏陀の教えというのはそれまでのいかなる考え方よりも高いところから人間の心を眺めたという点が特徴的だからだ。便利な生活、快適な毎日、快い環境など、普通の市民はそういった目の前のことを追求するのに汲々としているが、それを一段高いところから観察してみようという発想が大変新鮮である。 上へLe mal américainアメリカ病 * Michel Crizier * 読売新聞社 * 2022/01/17 この本は1980年に書かれているからレーガン大統領の当選結果が出る前のことである。だが、この時すでに手におえないアメリカの衰退が著者によって指摘されていた。フロンティアを求めて右肩上がりに成長拡大してきたアメリカは第二次世界大戦で戦勝国となると、名実ともに世界最強の国になり、著者が感心しあこがれる優れた社会改革、科学発展への取り組みがなされた時代であった。マッカーシズムが吹き荒れたヒステリーもあったが、優れた教育制度、シンクタンク、消費社会の影響力は世界中に及び、こぞってアメリカが模範とされた。 つまづきはベトナム戦争にある。ここにおいて政治、経済、学会の驚くべき無知と判断力のなさが暴露され、しかもアジアの小国に打ち負かされて撤退するという、あらゆる面でアメリカの恥部をさらけ出す結果となった。これは国内の政治や、若者たちから、進取の気性や判断力、希望をすっかり奪い去り、選ばれる大統領もケネディ以降、とても指導者にはふさわしくない者たちが選ばれ、社会は急速に劣化していく。 何よりも問題なのは、経済の先行きや科学の発展ではなく、それを支える全体としての社会構造の劣化である。何もかもが短期的な観点から判断が下され、長期的な展望は退けられることになった。こうなると社会構造はどうしようもない悪循環に飲み込まれる。 著者はフランス人でアメリカと西欧とをしばしば比較しながら論を進めていくが、アメリカ人の持つ善への全面的な信頼、途方もない楽観主義、平等ではなく自由への一方的なこだわり、といったものがすでに時代に合わなくなっているのにそれを変革する意欲も盛り上がらないまま時代は進んできた。 マクドナルドでおばあさんがコーヒーカップをこぼして軽いやけどをして、それを裁判に訴えたところ勝訴して、会社は多大な賠償金を彼女に支払う羽目になったというニュースが思い出させるが、こんなものも硬直化したアメリカ社会を思い出させる好例であろう。 著者はもうこの世にいないが、レーガンが大統領に当選後、バイデンに至る質の悪い大統領の登場はまさに彼が当時見抜いたままであり、それが一直線に現代の凋落につながり、トランプによる失われた4年間や、失態だらけのアフガニスタン撤退とつながっている。そして開拓時代から延々と続いてきた超保守主義がこの劣化した社会で急に勢力を伸ばしているのだ。 サバイバルボディ What Doesn't Kill Us * Scott Carney * 小林由香利 * 白水社 * 2022/01/30 テクノロジーの発達は、人間生活をどんどん快適・便利にしてくれ、まるで人間が強大な存在になったように思っている人も多いが、ロビンソン・クルーソーの例をたとえに出すまでもなく、”個人”としての人間はすっかりぬるま湯の生活におぼれ、体力、気力、免疫力などあらゆる面で弱体化を招いてしまった。現代人が一人大自然の中に放り出されれば、石器すら作ることができずたちまち死んでしまう。 そのような反省のもとに自ら人間の本来持つ力を見据え、すっかり現代文明に依存して腑抜けになった部分を鍛えなおそうという動きは以前からあった。この本の教祖的人物はヴィム・ホフという。カーニーというジャーナリストが、ある時彼と知り合い、半信半疑のままホフのトレーニング方式を観察し、自らもそのトレーニングを実践し、キリマンジャロの山頂に立つという記念碑的な行動に至るまでを描いたのがこの本だ。 この本を読む人は、ホフのことをペテン師だと決めつけたければそれでいいし、氷風呂や特殊な呼吸法の(安全な範囲内で!)一部を実行に移してみるのもいいだろう。ホフは天才とも見えるし、頭のおかしい自己中心的な人間にも見える。そこのところはカーニーができるだけ偏りのない目で、パーキンソン病やリュウマチ性関節炎にかかった人がそれを克服しようとした模様も含めて描かれている。 このホフも参加した、“鉄人のための障害物競走“は男も女も年々参加者が増え、死者やけが人を多数出しながらも、世界各地で盛んにおこなわれている。大切なことは、ただれ切った現代生活から少しでも離れて本来の身体能力を取り戻すことが可能だということだ。 コスタリカを知るための60章 * 国本伊代・編著 * 明石書店 * 2022/02/12 コスタリカは中米諸国の一つだが、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラやパナマなどの隣国を見てわかるとおり、腐敗、独裁、暴力の欧州、アメリカの介入など、不幸な事件が絶えない地域にある。誰でも不思議に思うのが、その中にあってこの国だけが、環境保護、国民皆保険、男女平等、軍隊廃止、などいずれも世界中の注目を浴びる存在になったことだ。 かつては密林に覆われ、スペイン人の移民もあまりやってこない辺境の地だったが、コーヒー、バナナ、パイナップルの栽培などの農業から少しずつ発展し、ほかの国と同様に侵略戦争で攻められたり、軍事政権ができかけたりしたものの、比較的スムーズに民主体制が整備され、次々と必要な法整備を進めることができたのは単なる偶然だったのか? これはひとえにこの国が小国であったことが一番大きいのではないかと思われる。アメリカ合衆国、ブラジル、中国のような国々は国があまりに大きすぎて、「独活(ウド)の大木」ということで細部に制度が行き届かず、統治に手間がかかることから強大な権力を常時必要としている。 ところがコスタリカはすべてにおいてコンパクトで小回りが利き、もちろんほかの国々と同じように現代に特有な問題は抱えているものの、その解決は比較的容易であるのだ。もちろん北欧の国々のように、豊かで格差の少ない市民生活には程遠く、確かにまだ途上国であるには違いないのだが、老国として行き詰ってしまった日本などと比べても、将来に大きな夢を託することができそうだ。 ウチナー・パワー * 天空企画・編 * コモンズ * 2022/03/02 戦争、征服、占領、基地、通商、ともろもろの動乱や変化に巻き込まれた沖縄は、いまだに苦難の道を歩んでいる。小さな島国であり、日本本土を含む周りの巨大な力に翻弄されてきたが、本当は独立国になるのがふさわしい。 しかしそれがかなわない現在、そこに住む人々のパワーを高めることが唯一の希望への道である。14人の沖縄についての寄稿がおさめられており、さまざまな分野からの提言や貴重な経験、これからの再生への道が示されている。 日本移民日記 * Moment Joon * 岩波書店 * 2022/03/05 Moment Joon という名で現在活躍しているラッパーは韓国に生まれ、日本にやってきて大学に入り、音楽活動を始めた。しかし日本社会における立場は、きわめて複雑である。朝鮮半島は歴史が書かれる以前から日本列島に人々が移り住んでおり、初期にやってきた人々はもちろん周りの日本社会ではすっかりわからなくなっている。 だが、時代を経るに従って、渡来人とか、帰化人とかという名前で日本社会に定住し、そして明治維新を迎えると日本の帝国主義、植民地主義の引き起こした強制移住、戦争、強制労働の結果、多くの人々が第二次世界大戦後に自ら望んで、あるいはやむを得ず、日本社会に住み着くようになった。 昨今の日本における保守主義、右翼の台頭は、彼らを「在日」という名前で格好の差別の対象にしている。Moment はそのような歴史的な流れの中で移り住んだのではなく、韓国の中流家庭から自ら望んで日本にやってきたので、それまでのさまざまな呼び名に当てはまらない。そこで考え出したのが、「移民」という言い方だ。彼は自分の歌う歌詞の中にその考えをちりばめて活動を続けている。 僕が遺骨を掘る人「ガマフィヤー」になったわけ * 具志堅隆松 * 合同出版 * 2022/03/08 ガマとは沖縄の島の中にある、サンゴ由来の石灰岩からできた洞窟だ。沖縄本島の南部に多く、第二次世界大戦中にアメリカ軍に追われた軍属や住民はその洞穴にこもって壮絶な死を遂げた。昨今、その戦争を美化しその悲惨な面をあえて見ないようにしようという風潮が強いが、この本の著者はまずたった一人で遺骨の発掘・収集を始め、今ではボランティア団体の中心的人物になっている。 国家・地方自治体による遺骨収集が思いやりのない、ずさんなことに腹を立てた著者は自ら丁寧な発掘を重ね、放置されていた戦死者の状態がより詳しくわかるようになった。日本人はアメリカ軍に殺されただけでなく、自分によっても殺されたのである。愚かで無責任な日本軍の強制により、南部では住民と軍人が混在して戦いの中に巻き込まれ、戦局が悪化すると降伏することを禁止し代わりに自殺するように命じた。 このように捕虜になることを拒み徹底抗戦する考え方は今のアイスルにも受け継がれているが、まったく戦争史上ではきわめて人間性を無視したものである。住民と兵士は各自最低2個の手りゅう弾を持ち歩き、1個は敵の攻撃用に、そしてもう一個は自害のために持たされていたのであった。 遺骨の発掘作業によってその死んだ時の状況が分かり、運がいいときには所属グループや、さらにまれなことには個人の名前がわかることがある。戦争を賛美しその甚大な被害や不幸を見て見ぬふりをする人々には、遺骨収集の地味な作業はどうでもいいことに思えるかもしれない。しかし、次世代に戦争の実情をしっかり伝えるためには、どうしても欠かすことのできない作業なのだ。 悪魔の政治力 * 瀧澤中 * 経済界新書 Kindle版 * 2022/03/11 ヒトラー、スターリン、毛沢東など誰でも知っている独裁者から始まり、ポル・ポト、金日成と続くその共通の特徴を探り、これからの世界における新しい独裁者たちの出現を考察している。彼らの持つ天才的ひらめきやカリスマ性はもちろんなのだが、実は彼らを支える大衆の中の支持者にもっと注目すべきなのだろう。 一番問題となるのは人々がかんたんに催眠術にかけられ、集団陶酔が目の前で起こり身動のできないがんじがらめの状態が現出してしまうのだということだ。このように人間が”羊”になってしまうことをなんとしても防げないと、人類はいつまでたっても奴隷状態から抜け出すことができないのではあるまいか? ナンパ 究極の男磨き道 * 零時レイ * SPB Kindle版 * 2022/04/14 この話のポイントは「コミュニケーション障害」である。ナンパのテクニックについての本は山ほどあるが、これはそんなことについて書かれたものではない。われわれ日本人の反省の書なのだ。現代の日本の小中学校を回ると、どうしても目につくのが、「あいさつ運動」である。これは驚くべき現象で、日本人はまともに挨拶ができない人々が多数派を占めているのだ。そして同調圧力の強さ、隅々まで口うるさい規則や常識の数々、意見を聞かれてもまともに答えられない思考停止状態など、外国と比べて深刻な状態に陥っている。その結果、ダントツに多い自殺者数、不登校、引きこもり、過労死などが世界中で有名になってしまった。 この本の著者もかつては引きこもりであり、自他ともに認めるコミュニケーション障害であった。それを克服するために、薬でもなく精神科でもなく、普通の人ならだれも思いつかない方法を実行し始めたのである。それがストリートでのナンパである。最初の路上での「話しかけ」そのものが大難関である。大変な勇気を奮い起こさなければ、何も始まらない。著者は自分に過酷なトレーニングを課す。 この本では武勇伝は語られていない。次から次へと出てくるのは人格を否定されるほどの失敗談、面目丸つぶれの体験である。ただそれからなんとか這い上がり、乗り越えていく過程で、精神の成長、たくましさ、臨機応変に対処する能力、冷静に自分の置かれた状態を把握する能力を身につけてきたのである。 人生は多様であり、思いもつかないことがこの世の中では起こっているが、ナンパもその一つだ。人々が自分の殻を打ち破り新しい自分にチェンジするために大変参考になる話である。大学の心理学の講座ではもちろん、高校の公民の授業でも、この本を教科書として取り入れたら、日本の若者も少しは変わっていくかもしれない。 戦争とバスタオル * 安田浩一/金井真紀 * 亜紀書房 * 2022/05/08 ジャーナリストとイラストレーターの2人組が風呂や温泉巡りをしながら、多くの人々にインタビューして、かつての日本軍の蛮行を掘り起こしていく。 (1)タイでは、泰緬(タイメン)鉄道建設の際、大勢の人々を強制労働に追い込んだ。(2)沖縄では突然の米軍来襲とその後の占領時代。(3)韓国では釜山の温泉で明らかになる、日韓併合の元での人々の暮らし。(4)神奈川県寒川町では引揚者のために造られた銭湯から、かつてこの地域に毒ガス工場が作られていたことが明らかになる。(5)瀬戸内海の大久野島では、毒ガスが製造されていただけでなく、それが中国大陸に運ばれて大勢の人々に向かって使われたということ。 いずれのケースでも、今の日本政府は過去のことに対して一切責任を取らず、歴史修正主義者たちは過去の事実を一切否定して卑怯者の道をたどっている。この本の著者たちは地道な調査によって、一つ一つ世の中に問うて行くしかない。 地球の破産 * 小西誠一 * 講談社ブルーバックス * 2022/05/16 この本が書かれたのは1994年、つまり今から28年前のことである。その頃から現在についてどれだけ正確な予想ができるのか興味があった。綿密な調査と計算のおかげで人口にしても、エネルギー消費の形態にしても、なかなか正確である。温暖化についての言及が、足りなかった。南極や北極の氷が溶け出したり、山火事が頻発したり、気温が50度を超えたりするような事態にはちょっと当時では想像がつきかねただろう。いずれにせよ地球の破産は目の前に迫っており、ほぼ著者の予見通りになると思われる。 女のいない男たち * 村上春樹 * Amazon 電子書籍 * 2022/05/17 ドライブマイカー ある俳優が妻の死後、若い女の専属運転手を雇う。ようやく話ができるくらいに親しくなった頃、彼女を相手に、過去の不思議な物語を始めたのだった。自分の妻が過去に何度も男たちと寝ていたこと、そのうちの一人と知り合うことになり、お互いの秘密を明らかにすることなく数ヶ月の間親しく飲みながら、妻について語り合った。この不思議な経緯は、読者に様々な想像を促す。Yesterday 主人公が20代のときにほんの短い間ではあったが親しく付き合った友達、木樽は関東生まれなのに完璧な関西弁を喋り、イエスタデイの不思議な日本語訳をこしらえた。勉強する気がないのに二浪し、幼なじみの恋人とデートするように提案する。実際デートしてみたが、木樽についてわかったことは何もなかった。木樽はその後行方をくらまし、デートした彼の恋人に16年後に再会するが、木樽が寿司職人になったことしかわからなかった。独立器官 流行っている美容整形外科の医者が独身で様々な女達との交際を楽しみ、趣味やスポーツに好きなだけお金をかけることができたが、ある時ひとりの女に本気で恋をしてしまい、重症の恋煩いとなって、その女に裏切られたあと生きる気力を失い拒食症のようになって死んでしまう。その女にまんまと騙されたわけだが、女には平気で嘘をつくことのできる自分とは別の”独立器官”があるのだという・・・シエラザード 男のもとに、食料や生活用品、そしてセックスを供与するために通っている女がいた。ベッドで事が済むたびに何は奇妙な話をするので、彼女はシェラザードと男は呼んでいた。彼女は高校生の時に、同級生に恋をしたのは良かったが、彼の住む家に空き巣を敢行しフェティシズムに取り憑かれ、家人に気づかれて錠前を厳重にされるまで3回も忍び込んだ。こんな話を男は心待ちにしている。木樽 妻に裏切られた木樽は会社をやめ、小さなバーを経営して、残りの人生をひそやかに過ごす。ところが周辺に蛇が出没するようになり、お得意の客の一人から、しばらく店を離れて放浪するようにと言われる。各地を転々としている木樽はそれまでと違った生き方があるのではないかと気づきはじめる。女のいない男たち かつて恋人だった女が自殺をしたと、深夜にその女の夫から電話があった。14歳の時に知り合って以来、2年ほどのつきあいだったが、そのうち姿を消し、今こんなことになったのだ。自分も女のいない男たちの一員になってしまった。 私たちはなぜこんなに貧しくなったのか * 荻原博子 * 文藝春秋 * 2022/05/26経済の現代日本史である。戦争直後からの高度成長期、平成(1989)になってからのオイルショック、バブル、失われた10年間などのできごとを含みながらいかに日本経済とそれにまつわる政治社会状況が劣化してきたかを説明している。取り上げられている題材は「年金」「消費税」「シティバンク」の三つである。まさに一国の興亡衰退史になっている。 生物はなぜ死ぬのか * 小林武彦 * 講談社現代新書2615 * 2022/06/17 生命の学習をする際に、忘れがちなのは見事な進化の歴史をたどりながら、個々の生命がどうして命を落としていくのかという単純な疑問だ。確かに死ぬことがなければ、例えば何億もの卵を産むマンボウの場合、たちまち海がマンボウだらけになるのだろうが、そんなことよりももっと重大な役割が死ぬことに与えられている。 それは、進化を推し進めるための原動力であることだ。生物は環境の変化とともに次々と様々な適応を試み、結果として最も優れた“試作品”が残って新たな繫栄を開始する。その場合、旧タイプや適応不全の生物はそのままこの地球上に居残っては新たな展開の妨げになるばかりだ。次々と死んでいくことが、新しいスペースを生み出し、次の世代を担う者たちが育っていく。 そして極めて大切なことは、死のおかげで生物界における“多様性”をこれまで以上に増大させて、将来の生き残りの可能性をますます増やしていくことにある。単一種での単調な世界は、環境変化に弱く、たちまち行き詰まり絶滅に追い込まれる。(もちろん、現代の人類たちが引き起こしている地球規模での大絶滅は異常事態であるが)多様性を高めるためには、どんどん死んでもらわなければならないのだ。 死に方には、ほかの生き物から捕食されて死ぬ、病気や事故で死ぬ、などがあるが人間の場合、自己家畜化が極端にまで進んだので“老化して“死ぬのが多くなってしまった。つまり寿命を越えて生きる個体が増えてしまったので環境や多様性の維持に多大なる被害を与えているのであろう。 この本の前半はこのようにスリリングで大変面白い。ただし後半に入ると、専門的な細胞内部の仕組みについて詳しい話が始まり、アンチエイジングの話などが相まって、多少熱気が冷めてしまう。そして最後の部分では、あまりレベルの高くない未来予想などという、どうでもいい部分が付属しているのが残念だ。 そうだったのか!朝鮮半島 * 池上彰 * ホーム社・集英社 * 2022/06/18 朝鮮半島の戦後の動き、特に韓国の現在に至る経緯は隣国でありながらあまり知られていない。初代は李承晩大統領だったが、そのあとの数代にわたる大統領は、クーデター、暗殺、虐殺の連続で、独裁や軍政のひどさは現在のミャンマーに引けを取らない。 だが、このところ民主化が進み、ある点では日本よりも先を行くようになった。これはこれまでの流血を流した事件の数々によるものだと思う。フランスの1789年以降の歴史のように、流血による犠牲を伴わなければ民主主義は発達しないのではないか。日本のように占領軍によって与えられた民主制度ではなく、権力に必死の思いで抵抗したことで得られる自由を勝ち取っていかなければならないのではないか。 日本では表向きは自由が保障されているように見えるが、デモ行進も組合活動もストライキもいずれも微弱だ。フランスや韓国ではこれらのことは日常茶飯事だ。権力は残酷であり、自らの目的を遂げるために容赦はしない。自国民であろうといくら殺しても構わない。そのような反権力の立場から見たしっかりした認識を持っていかなければならないのではないか。 *** 高等学校や予備校での歴史の授業は、決まってもっとも古い時代から始まるが、1月になりそろそろ1年の学習期間が終わりに近づくと教師はやにわに授業のスピードを上げるが、結局のところ現代史に入ったところで間に合わなくなり、どっちみち受験では出題されないのだからと、この部分は教えられることもなくカリキュラムは終了となる。 だが、どの地域の歴史にせよ、最も重要なのは我々の暮らす現代につながっている現代史なのではないだろうか。その評価が固まっていないからといって、資料がきちんと整理されていないからといって、授業をおろそかにすることは若い人々の歴史認識をきちんと作らせるためには大変な危険をもたらす。なるほど古代史でも我々に多くの教訓を与えてくれるだろうが、報道される生々しい内容にまず触れるべきだ。 かつて歴史学者の樋口清之は「逆さ日本史」というユニークな本を出し、昭和、大正、明治というようにさかのぼって歴史を記述したが、普通の授業でも大胆に現代から始めることができれば青少年に大きなインパクトを与えることができるのではないか。教育委員会は「政治的だ」となんとか言ってブレーキをかけようとするだろうが… この「そうだったのか!」シリーズは多くの歴史学者が記述を嫌がる現代史を扱っている。それも朝鮮半島における問題だから、この本に対して賛否両論が集中するのはやむを得ない。でもそれをあえて行い何とか一つの本にまとめ上げるのは、貴重な作業だ。池上彰はジャーナリストであって歴史学者ではない。にもかかわらず歴史書に近づくようにまとめている。興味深い試みだ。 パリのすてきなおじさん * 金井真紀・広岡裕児 * 柏書房 * 2022/06/29 文と絵を担当するジャーナリストが通訳文化担当の人とともに、パリまで出かけて、数多くのおじさんにインタヴューして、作り上げた本。一つの街を歩き回ってこれだけの人々のさまざまな人生体験を聞き出せるということは、このパリという町がいかに多様性にあふれているかということだ。 フランス在住の人だけならず、元難民で営々とこの国で生活を積み上げてきた人、さまざまな政治思想、社会思想を持って何らかの運動や集まりに参加している人、自分の選んだ職人の仕事をわき目も降らずに何十年も続けている人、それぞれのおじさんがみな違っている。 と同時にこの国では、多様な中で共存するすべをしっかり習得してきたことがわかる。戦争、動乱、政治の混乱から逃れてきた人々が、ようやくこの国に腰を落ち着けて生活を続けていくことができる場合が多いことを物語っている。そしてそれぞれに自ら考え、自分の人生観を持って生きることができなければいけない。それができなければ烏合の衆になってしまうし、簡単に独裁者にからめとられてしまうのだ。 撤退論 * 内田樹・編 * 晶文社 * 2022/07/15 内田樹が16人のさまざまな分野の人々に寄稿を頼んで出来上がった。現在の日本が、これまでの進んできたときの価値観、政治観、社会思潮というものがすべて行き詰まりになり、この30年は社会の衰退と老化がどうにもならないくらい顕著に表れてきて、このままいけば滅亡の危機に瀕している。 その危機を乗り越えるには、それまでの方法でがむしゃらに進むのではさらに事態を悪化させるだけである。かと言って新しい方法を見つけて再起を目指すこともできない。その時に取る道は、賢い撤退である。一見、敗走と同じ意味に見えるが、そうではなく歴史のパラダイム転換を目指すのである。そのことについて16の分野からの提言や感想、経験を集めたもの。 そうだったのか!日本現代史 * 池上彰 * 集英社文庫 * 2022/07/20 先日の「そうだったのか!朝鮮半島」に続き、日本現代史である。学校の歴史講師が最も避けたい、触れたくない、自民党の政治家から圧力を受けやすい部分である。大体の範囲は終戦直後からバブルがはじけてしまった後の日本経済の状況までである。 ただし、この本もまた、ただ時代を追って話が展開するのではなく、経済、日米関係、特定人物に焦点をあてた、それぞれの時代史をたどっている。だからもちろん時間的に重複する箇所はたくさんあるがそれぞれには重点を置くべき問題が真ん中を通してある。ただどれだけ現在に近づけるかが難しい。あんまり近づけると“新聞””雑誌”になってしまう。 食べ物から学ぶ世界史 * 平賀緑 * 岩波ジュニア新書 * 2022/08/09 自給自足から開始した人類の食料は、そののち農業によって生み出されるようになる。これは食糧生産を飛躍的に増大させたのだが、一方で貧富の格差が生まれ、取り合いから戦争がより頻繫に起こるようになった。そして産業革命の余波は食糧生産に工業化をもたらしたが一方で自給できない人々を都市に追いやり、安い労働力として使用される原因となった。 欧米の植民地主義は、自国の食糧生産を安く上げるために植民地にいる人々に、自分たちの時給食料を作らせず、商品作物だけを作るように強制した。その結果は第2次世界大戦後の世界に及ぶ。大戦後の大量生産の時代では安く大量に食料が出回り開発途上国も緑の革命によって、一見豊かになったように見えたが行き詰まりを見せ、そののち経済の方向は新自由主義に向きだした。 現代社会はその新自由主義の慣れの果てといってもよく、気候変動や多すぎる世界人口にもかかわらず、いまだに成長を信奉する人々によって、食糧生産の維持可能性は見えないまま相も関わらずグローバリゼーションの巨大な利潤追求は止まらず、このまま人類最後の日までまっすぐ突っ走るものと思われる。 電通の正体 * 週刊金曜日取材班 * 金曜日 * 2022/08/11 テレビがインターネットに押されてすっかり影響力を失った今、テレビ全盛時代と比較するのには無理があるが、それでも歴史の一コマとして覚えておくべきことがある。それが世界に冠たる広告代理店の存在だ。その力はテレビ、ラジオ、新聞のメディア界にとどまらず、博覧会やオリンピックなどのイベント、そして政権の深部にまで及ぶ。 そしてその足取りをつかみにくくしているのが、日本における広告業の寡占状態だ。現代ではガーファのようなIT企業が寡占状態を謳歌しているが、日本ではついこの前まで電通がその位置を占めていたのだ。寡占に伴う情報の隠匿、権力構造への知らぬ間の浸食などは、日本の報道の自由度が60何位に甘んじている最大の原因の一つでもある。 また、トヨタ、ホンダといった同業種が同じ広告代理店に頼むとすると、いったいどういうことが起こっているのだろうか?株式上場をした今、電通も今までのように好き勝手なことはできなくなっているだろうが資本主義社会のもっとも中心部分煮ながら、自由競争が阻害されている事態は決して日本の利益になることではない。 この日、集合。 * 井上ひさし・永六輔・小沢昭一・矢崎泰久 * 週刊金曜日 * 2022/08/15 今日はよりによって敗戦記念日であるが、今をさかのぼる2006年の憲法記念日に司会役は矢崎泰久、そして考えはそれぞれ異なるが護憲の点では一致している3人が、まず一人一人語り、そのあと三人で自由に語り合ってもらった。場所は紀伊國屋ホール。そのしゃべった内容をブックレットにしたものだ。ポイントは9条と99条。 今はこの三人はこの世にいない。戦争のことを直接、間接に知っていることで、人々に説得力のある話ができたことでこの歴史的な鼎談が行われ、それが記録されて現代にまで残ることになった。いまや日本の情勢は、改憲が多数派を占めるようになり、右翼がオオイバリで通りを闊歩するようになった。歴史が繰り返されるのかこの三人はすでにうすうすわかっていたのかもしれない。 マゼランが来た * 本多勝一 * 朝日新聞社 * 2022/08/20 「マゼランが来た」ということは、そこに住んでいる住民にとって強盗殺人犯が飛び込んできたことを意味する。マゼランがリオデジャネイロからいくつかを寄港し、最後にフィリピンで殺されるまで、彼とその部下がほしいままにした蛮行をたどっていく。そこには人間らしさのかけらもなければ、ただ武力の点で強かったというだけで、人間の本性が鮮やかに浮かび上がっている。 マゼランののち、南米におけるスペインとポルトガル、北米におけるイギリスとフランスでのすべての虐殺をたどると、ナチスのホロコーストは“小規模”だったことがわかる。ただ、後者では記録が仔細に残っているという点が違う。だが南北アメリカに対するヨーロッパ人の行為は、特別なものではない。世界の各地で、そして現在でも略奪暴行虐殺は人種、民族、文化にかかわらず続いている。 もちろんこのような虐殺が続いているのは人類が持っている”本性”に他ならないのだが、それだけでなく”忘却””隠匿”“ダブル・スタンダード”がこれらの行為を普遍的なものとしている。したがって歴史を調べるだけでなく、未来の人類の姿もはっきりと見えてきてしまうのである。 アラカルフ 忘れられた人間たち Qui se souvient des hommes... * Jean Raspail * 三輪秀彦・訳 * 白水社 * 2022/09/24 アラカルフとは南米最南端のマゼラン海峡付近に住んでいた海洋民族のあだ名である。アジア系の人々がベーリング海峡を経由して北アメリカ、南アメリカに移住したのが2万年前ぐらいといわれているから、それ以後最南端に到達した種族がそこで生活を続けてきたわけだが、20世紀の中ごろになってほぼ絶滅した。 ある民族が他の民族によって絶滅させられた例は無数にあるが、これはスペイン人を中心とするヨーロッパ人たちによって、虐殺、洗脳、教化、布教、伝染病によって起きた。ヨーロッパ人と彼らとの間の違いはあまりに大きく、弱いほうにはひとたまりもなかった。 もしそのまま接触せずにいたならば、彼らは現代でも生き延び、2万年前からの生活を続けていたであろう。ヨーロッパ人との出会いまでは彼らは環境にあった生活を確立し、滅ぶこともなくさりとて繁栄したり衰退することもなく2万年間の生活を維持できてきたのである。 1492年は「コロンブスのアメリカ大陸発見」というふうに学校では教わっているが、実は「アメリカ大陸原住民虐殺元年」と言い換えなければならないだろう。現代のシンチャンウィグル地区で起きていることが、“ヨーロッパ文明人”によって当時始まっていたのである。この本はその前に読んだ「マゼランが来た」に紹介されていたものである。 ビーグル号航海記(上・下) * Charles Darwin * 荒俣宏・訳 * 平凡社 * 2022/11/27 彼は生物学者ではなく、「博物学者」であり、 植物と動物に関する知識はもちろんのこと。 地質学にも深い造詣を示している。 また、 積極的に。 航海で上陸した地域での調査に取り組み、 ビーグル号による。 海の探検のみならず、 寄港した港から内陸部に入り、 その様子を詳細に観察している。 非常に 科学的な方法論を身につけている。 つまりただ単に思いつきの仮説を述べるだけでなく、 できるだけ証拠や検証 といったものを提出できるように考えながら物事を述べている。 今から200年前の人であっても、 これほど客観的で冷静な見方ができる人がいたわけだ。残念ながら21世紀でもまるで原始人並みのものの見方しかできない人が大勢いる、というよりそのような人々が増加している。 もっとも、人間全般、原住民に対するものの見方はかなりその時代の影響を受けていて、ヨーロッパ人は高い文明にあり 現地のインディアンインディアンたちは低いレベルにあって、それを蔑んでいるような見方があるがこれはやっぱり致し方ないことなのだろうか。このころはようやくブラジルでも奴隷制が廃止され始めたころである。 しかし一方で。 南アメリカ大陸の様子をなんとかまとめあげて、ヨーロッパ大陸の気候と比較していかに違うか、いかにユニークであるかということを示そうとしている。 新鮮なものの見方により、 特にアルゼンチン南部(パタゴニア地方)の様子が非常によく分かったし、 今でもその状態があまり変わらないまま続いているであろう。 ダーウィンはチリの海岸を航海しているときに現地での大地震に出会っている。その時に、彼は地震についての考察を行なっているが、 これでわかることは、 彼はスペシャリストではなくてジェネラリストであるということ。 それも、 広範囲に及ぶものに失敗を恐れず積極的に考察を行うというタイプの人であるということだ。 昔から「専門バカ」という言葉があり、何かを研究して30年なるという人がたくさんいるが、ジェネラリストの場合にはそういう風なアプローチではなく、もっと総合的な 物事の考え方を身につけている人ではないかと思う。 「進化論」が最終的にこの人から生まれてきたのはそのような土壌によるものだ。 政治家ももちろんジェネラリストでなければならない。 ところが、 非常にレベルの低い、視野の狭いアマチュアが政治家になったりするものだから、我々は非常に迷惑を被ることになる。政治家になるためには非常に能力の高い歴史と地理の使い手でなければならない。 巴里茫々 北杜夫が初めてパリを訪れたのは、 船医として船に乗り込んでヨーロッパに行ってきた時のこと。すでにその前から彼は辻邦生(くにお)との親交を深めこの時も彼とパリで会っている。その時のパリの印象はそれからも彼にとっては忘れられず、その後5,6回もパリを訪れてはいるがパリに対する思いは変わっていない。周りの人々が次々と他界する中、彼はパリに行ってかつての思い出にひたる。 カラコルム 若い頃に医者として登山隊と共にカラコルムの山に登ったときに終生残る思い出ができた。その時に一番印象に残っていたのが、 現地のコックまたはポーターと思われるメルバーンという男であり、彼はその男と親しく付き合った。 帰国してから25年ぐらい経ち、作家として有名になった北杜夫は テレビ局の誘いで再びカラコルムに行くことになる。その時もメルバーンに再会できるのを大いに楽しみにしていた。現地は首都カラチからどんどん北上して辺鄙な非常に交通の便の悪い所へ向かってゆき、北杜夫は躁病と鬱病が交互に現れる病状があるために疲労困憊する。そしていよいよメルバーンと再会できたのであるが、その時には精魂尽き果てて虚ろな思いだけが残るのであった。 太平洋戦争秘史 * 山崎雅弘 * 朝日新書877 * 2022/12/19 太平洋戦争については日本とアメリカとの戦いが焦点になって語られているが、イギリス、フランス、オランダなどのヨーロッパ諸国との戦いもあり、そしてなんといっても戦場はアジアの国々であった。台湾、香港、フィリピン、インドシナ半島の国々、インドネシア、マレー半島、モンゴル、のちにインド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカとなる旧英領植民地にまで及んだ。中国本土と朝鮮半島を除くこれらの国々ついての歴史の空白となっている部分を埋めるために本書は必要である。 これらの国々は大部分がヨーロッパの植民地であった。先の第1次世界大戦によって、ヨーロッパ諸国は国力が衰え、日本軍が攻撃してきたときは守備がどこでも劣勢で、簡単に日本軍に占領されてしまった。だが、日本軍のやり方は旧宗主国と同じかそれ以上に過酷を極め、単に支配者が入れ替わったに過ぎなかった。 それぞれのアジアの国民は日本の統治下にある間に本格的な独立運動を始めることになり、日本軍がアメリカ軍に対してどんどん劣勢になっているのがはっきりしてくると、日本が敗戦した後の、独立の道筋をつけ始めた。したがって1945年以後、次々とこれらの国は日本だけでなくヨーロッパの国々からの支配から脱却することに成功したのである。 © 西田茂博 NISHIDA shigehiro |