雨にも負けず

山上の垂訓へ

わたしの解釈

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「雨ニモマケズ」

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラツテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジヨウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ陰ノ

小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ツテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクワヤソシヨウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒデリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ

<現代語表記>

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

欲はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌(みそ)と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定(かんじょう)に入れずに

よく見聞きしわかり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱(かや)ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束(たば)を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩(けんか)や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒(ほ)められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

【宮沢賢治】

わたしの解釈

現代ほどこの言葉が必要なときはあるまい。サラ金の返済に行き詰まったからといって保険金殺人を行い、必要もないのに、電化製品を買い込み、自分の楽しみだからといって、二酸化炭素をまき散らし、貴重な資源をわれわれのだいで使い切ってしまおうとするこんな文明に先がないことぐらい誰でもわかっている。人間本来の生き方は、現代人はすっかり忘れてしまったのだろうか?それとも知っているのだけれども知らない振りをしているだけなのだろうか?そのようなすべての人にとって「原点」に立ち戻るとき、この詩はとてもすぐれたとっかかりになるのではないかと思う。

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