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2023年
白きたおやかな峰 * 北杜夫 * 河出文庫 * 2023/01/06 パキスタンの北部、カラコルム山脈のただなかに、正三角形に近い形をした「ディラン」という山がある。数多くの登山隊が試み、多くの死者や撤退をだしたこの山に、日本の登山隊が挑む。船医ならぬ登山隊付属の医者として参加した「ドクター」は作者の化身である。 ベースキャンプ設定から、どんどん上へ基地を設定し、その間に隊員たちの苦難、ポーターたちの苦難、が続く。過去につらい経験をした隊長、ベースキャンプのベテランコック、メルバーンなどの人物が日常ではありえない環境での姿が描かれる。 最高の位置から出発した、アタック隊。二人のメンバーが選ばれ、かつての登山者たちを苦しめたディランの山頂への挑戦は果たして成功するのか?アタックメンバーを支える隊員たちは何を思っていたか?一つの目標に向かう人々の姿が、登頂に向かってまっしぐらに進んでいく。 近江の説話 * 福井栄一 * 淡海(オウミ)文庫65・サンライズ出版 * 2023/01/14 琵琶湖周辺の近江地方にまつわるささまざまな伝説を小冊子にまとめたもの。今昔物語などから選び出し、現代語訳されている。 羅生門・他 * 芥川龍之介 * 松尾清貴・現代語訳 * 理論社 * 2023/03/02 「羅生門」:今日との羅生門で起きた略奪の物語。「鼻」:特大の花を持った僧侶の話。「芋粥」:自分のやりたいことのわからない男の話。「地獄変」:究極の絵を描くことにとりつかれた画家の話。「竜」:デマのはずの猿沢池の竜が本当に表れた話。の短編を現代語に訳したもの。意味がはっきりせずにないように深く迫ることができないことを考えると、現代語で読むことは作品について深く考察をするのに大変役立つ。日本語は古代、江戸、明治、そして現代と目まぐるしく変化しているから、文学作品を味わうにはこの方が良いようだ。 永六輔の伝言 * 矢崎泰久:編 * 集英社新書0845C * 2023/03/11 永六輔が歩んできた人生や生きてきた中で知り合った人々について語ったことを、矢崎泰久が書き留めて連載を行い、本にした。三木鶏郎、中村八大、小沢昭一、野坂昭如についての記述が印象に残る。 山月記・他 * 中島敦 * 小前亮・現代語訳 * 理論社 * 2023/03/13 「山月記」:人間が寅に変身した話。「名人伝」:弓矢の能力を極限まで高めた男の話。「李陵」:漢の時代に兵を率いて匈奴の平定に出かけた李陵をめぐる物語。 蟹工船 * 小林多喜二 * 渡邉文幸・現代語訳 * 理論社 * 2023/03/16 函館を出た蟹工船は、カムチャッカ半島に近づき、ロシア領とのはざまでカニ漁を続ける。強制的に連れてこられたり、借金を背負わされた人々が作業員として酷使される。病気になり死ぬものも出て、自分たちが東京にいる資本家のために金を稼がされていることに少しづつ気づく。 仕事を意図的に行わないサボタージュが広がり始め、団結した人々は”監督”に要求を突きつける。だが、すぐに近くにいる駆逐艦がやってきて日本国の軍隊は実は国民の見方でもなく守ってくれるわけでもなく、単なる金持ちたちの味方に過ぎないことを思い知らされる。作業員たちは次にとる手段を考え始める。 中学生から知りたいウクライナのこと * 小山哲・藤原辰史 * ミシマ社 * 2023/03/18 ヨーロッパの東のはずれの大平原に位置するウクライナは13世紀ごろに蒙古民族の侵略を受けた後、その周りの国々に蹂躙され、短い期間をおいて様々な国の一部になってきた。過去において引かれた国境線は多数に上る。モスクワ公国、ポーランド、リトアニア、オスマン帝国などがまわりに入れ替わり立ち代わり現れた。 現在のロシアの侵略戦争に巻き込まれたのは、突発的に起きたのではなく、ロシア、ソ連の勢力圏から脱しようとするウクライナを再び自分たちの属国にしようという野望の現れであって、それは第2次世界大戦、第1次世界大戦にまでさかのぼる。 ゼロからの資本論 * 斎藤幸平 * NHK出版新書 * 2023/04/12 マルクスの資本論はもう時代遅れなのか。著者はそうではないと主張する。現代の資本主義の行き詰まりはその解決策として新たな方面に目を向けているが、もはやソ連や中国のように国家権力に頼る政体では何ももたらさないことがわかり、これまでマルクス主主義のは凋落の一途をたどってきた。 著者は現代資本主義の過度な貨幣への依存が現代社会をにっちもさっちもいかない状態に追い込んでいるとみる。どこか明るい方向は“囲い込み”とは真逆の”コモン(common)"に見えているのではないかと著者はいう。それは association として市民が協同組合や労働運動を通じて新たに構築して、何もかもが商品化するこの現代において非商品化できるものをどんどん増やしていくことだとする。 具体的には、育児、教育、医療、介護などの無償化である。無償化をすることによってこれらは商品であることをやめ、普通の人々の手に取れるようになる。これをもっと広い範囲に広げることによって資本主義の魔の手から人間の生活を取り戻そうというのである。 未来社会への指針として、「パリコミューン」が取り上げられている。わずか2か月ぐらいしか続かなかった共同体であるが、マルクスもそれに注目し何かを生み出すきっかけになるのではないかとみている。残念ながら、彼は資本論を完成させる前にこの世を去ってしまったのだが。 いいね!ボタンを押す前に * 治部れんげ/田中東子/浜田敬子ほか * 亜紀書房 * 2023/04/19 サブタイトルは「ジェンダーから見るネット空間とメディア」。Facebook, Twitter などのSNSがすっかり現代の生活に定着し、スマホを手放せなくなった今、ネットの“無法空間”がもたらすさまざまな害について多くの寄稿者が述べている。 まるで法律のない開拓地のような状況に、どうやってルールや教育を持ち込むのか。多くの人々がネット漬けになってしまった今、どうやって交通整理の行き届いた仮想空間を作っていけるのか。現実の交通状況はかつては”交通戦争”などと言われて死傷者の増加が止まらない状況だった。今はそれが収まり交通事故は極めて少なくなった。そのような状態にネットも持っていけるのだろうか。 はたしてSNSは本当に必要なのだろうか。単なる“時間泥棒”に過ぎないのではないか。誹謗中傷はますます増える傾向にあるが、これは古代から人間の本性に組み込まれていたものであり、どんな時代にも存在したが、ネットの世界はただそれを増幅するだけになっているのかもしれない。動物たちが縄張り争いをしても小規模なケンカで済むところを、戦車や原爆で途方もなく増幅させてしまったのによく似ている。 ドゥテルテ <強権大統領はいかに国を変えたか> * 石山永一郎 * 角川新書 * 2023/04/25 マスコミの報道をうのみにすると、しばしば大きな誤解を自分で作ってしまいかねない。かつてイランに行ったとき、日本でまことしやかに報道されていたのとはあまりに違うので愕然としたことがある。.やはり何でも自分の目で見ないとこのようなことを防ぐことができない。 ドゥテルテについて興味深いのは、強大な権力を大統領時代にふるったのに、いざ任期が終わるとすんなり政治家を辞めてしまったことだ。これは世界を見回しても珍しいことだ。ほとんどの権力者はいったん権力のうまみを経験すると死ぬまでその魅力に取りつかれてしまうものだからだ。 強権であるとか、狂犬であるとも言われたフィリピンのドゥテルテ前大統領だが、マニラの日系新聞の編集長をやったこともある人の書いた本を読んで、新たに見直さなければならない。麻薬の犯人を片っ端から殺すように命令したというニュースを聞かされるとそれ以外の面でも手に負えない権力者だと誰でも思い込んでしまうものだ。 だが、国民皆保険の実施、前ダバオ市長の時に行った仕事、スペインや米国などかつての植民地主義者たちへの態度、汚職除去への取り組み、中国と米国への関係、などの別の面について詳細に書かれたのを読むと、改めて評価をしなければならなくなるであろう。 ついでに、フィリピンが韓国と同じく比較的最近独裁制や軍政から抜け出て民主的な政治制度を作り上げたことが述べられている。アジアでは中国は言うに及ばず、その周辺国であるインドシナ半島の国々の民主主義はあまりにも未成熟であり、経済的には先進的であっても政治的に自由のないシンガポールについても注目する必要がある。 さらに、ジェンダーや報道の自由度に関しては、日本よりフィリピンのほうが進んでいるのではないか。大統領は1期しか仕事を行えないし、自治体の首長は3期までしかできない。このようにみていくとあらゆる角度から詳細に眺めないと、一つの国について安易な評価を行うことは大変危険であることがわかる。 高野聖・他 * 泉鏡花 * 川北亮司・現代語訳 * 理論社 * 2023/05/01 「高野聖」 高野聖という僧侶が飛騨を通って信州へ抜けた。二股の分岐点で、先に行った薬屋のあとを追って旧道を進んだところ、蛇は出るわ、ヒルは出るわ、とさんざんな目にあった後、美しい女の住む一軒家にたどり着き一晩泊めてもらう。カエルのような若者と老人も暮らすその家で、僧侶は女に不思議な川辺に連れていかれ、体を触られて疲労が回復する。奇妙なふるまいをする動物たちが家の周りにあふれ、女のもてなしを受けて翌朝出発するが、歩いているうちに無性に女の元に戻りたくなる。そこへ里に馬を売りに行って帰ってきた老人にばったり出会う… 「黒壁」 「丑の刻詣り」の現場を見ようと筆者が真夜中にある神社に一人出かける。そこで見たものは男への恨みを募らせて大木に釘を打ち込む女の姿だった。 それでも、日本人は「戦争」を選んだ * 加藤陽子 * 朝日出版社 * 2023/05/07 近現代史はそれ以前の時代の歴史と異なり、書く人たちの見解の相違が激しい。しかしそれだけに数多くの本を読んでみなければならない。かつて池上彰「そうだったのか!」の本を読んできたが、ここではさらに一歩推し進めて、しかも「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」「満州事変と日中戦争」「太平洋戦争」の五つに絞って書かれたものを読んでみた。 結局のところ日本は日清戦争においては朝鮮半島を手に入れたかった、日露戦争においては黄海を取り巻く港湾や半島を手に入れたかった、第一次世界大戦においてはドイツのアジアにおける植民地を手に入れたかった、満州事変においては蒙古との国境まで自分たちの勢力圏に置きたかった、日中戦争においては香港周辺まで南部の沿岸部を勢力下におき、できれば仏印インドシナ半島まで延ばしてヨーロッパの植民地に対して優位な立場に立ちたかった、そして太平洋戦争においてはアメリカ合衆国の前進を阻みたかった。 日本は資源の乏しい国であるから、経済的に強くなるためには本来、平和的通商によって達成するべきだったのに、軍部の独走もあって力による東アジアの制覇を夢見ていたのである。軍部の性急で急襲を主とするやり方はアメリカ、ソ連、中国のような大資源国に対しては長期的に見ればまるで通用しないことが明らかだったにもかかわらずである。 同時に日本国民はプロパガンダに容易に乗せられて、同様に長期的な展望を持つことができなかった。中華民国の胡適のように第二次世界大戦の最後の成り行きまで見通すことのできる政治家、権力者、軍人は現れなかった。しかも終戦後、日本国民は「加害者」であることを忘れて「被害者」であることを強調する風潮になってしまったものだから、戦争責任をしっかりと見直すという好機を逃してしまった。 ヨーロッパ退屈日記 * 伊丹十三 * 新潮文庫 * 2023/05/10 この本を初めて買って読んだのが1975年、つまり私が中学2年だった時。二十歳以前の読書はその人の一生に多大な影響を残し、場合によっては消し去ることができない場合も少なからずある。ものの考え方は日本社会に住んでいる場合、どうしても同調圧力によって、周りと同じになってしまうものだが、“変な癖”を持つ著者に出会うと、新しい考え方が独り歩きし始める。 この本はヨーロッパかぶれの話ではないし、ブランド物に浸かってしまった話ではないし、高級な趣味をひけらかすわけでもないし、そのライフスタイルを大勢の人に共有してほしいわけでもない。強いて言えばスパゲッティのフォークへの上手な巻き方のぐらいなものか。 ある人の個性とか独創性について考えるとき、それを遠くからフェアな目で見ることは大変難しい。でもそれを何とかやってのけないとそれらを正しく判定することはできないのである。伊丹十三はすでに優れた映画の監督作品を世に問うているがそれらがなかったらこの本だけで著者の本質的な部分を見つけ出すのは難しいだろう。 けものたちは故郷をめざす * 安部公房 * 新潮文庫 * 2023/05/18 少年久木久三は満州に生まれた。父は死に、終戦になると満州に住む日本人集団はいつの間にか姿を消していた。代わりにやってきたソ連軍とロシア人たちが、久三たちの住む街にやってきた。母も流れ弾に当たって死に、孤児になった久三はロシア人グループに引き取られ、働いて食事をもらっていたが、自分も両親が生まれた国に帰りたいと願っていた。 そこへ南へ出発する列車のうわさを聞き、久三はすぐに荷物をまとめて駅に駆けつける。今まで暮らしていたロシア人の親切で、証明書を発行してもらいお金さえもらって、彼は幼い時から過ごしてきた街を去る。車内では”高”というスパイなのか、日本人なのか中国人なのかわからない男と知り合いになり、共に旅をする。 南下すると国府軍と共産党軍との争いに巻き込まれた列車は脱線をして、二人は荒野の真ん中に放り出され、酷寒にさらされながら歩いて南に向かう。二人は何度も死にかけて凍傷にかかり、道に迷った挙句、瀋陽(シェンヤン)近くの町にたどり着く。だが、高が身につけていたヘロインの入っていたチョッキを預けられた後、二人は離れ離れになってしまう。市内で日本人を見つけるが、彼は密輸業者らしく、一行は遼東半島を越えた小さな港から出港する。 久三が船に乗せてもらえたのは、高が久三の名を騙っていたからである。広大な荒野を越え、大都市の無法地帯を越え、やっと日本行きの船に乗れたのに、久三も、同じく船に乗り込んでいた高も船の中に監禁され、日本の土を踏む可能性がない。 ボブ・ディラン * 北中正和 * 新潮新書 * 2023/05/25 ボブディランはノーベル文学賞をもらったが、その一生を通じての変身ぶりはファンの予想を超え、一つのところにとどまらずに常に音楽の地平線を広げてきたことが一番の魅力である。彼の作品についての説明が詳細にわたっているので、ここで通読するのではなく、本を買っておいて、適時参照する形をとる。 淵田美津雄自叙伝:真珠湾攻撃総隊長の回想 * 中田整一:編 * 講談社 * 2023/06/16 人生にはいろいろな変転がつきものだが、淵田氏程の人は珍しいだろう。幼いころに海軍大将になろうと志し、海軍の学校に入ったころから日本の軍備は西太平洋一帯に広がった時、指導者としての頭角を現した淵田氏は真珠湾攻撃総隊長に任命された。奇襲と言われているがその計画は綿密を極め、歴史の大きなページを開いた。 だが、上層部の軍人は賢くはなかった。文中で頻繫に言われているように山本五十六は凡将だった。最初の勢いはあっという間にアメリカの国力によってつぶされた。転機となるミッドウェー海戦では淵田氏は盲腸炎を患い、指揮を十分にとることができなかった。しかしそれは結果的にあの大敗退の中で命拾いをした。また、広島に原爆が落とされる前日まで市内に滞在していた。 そしてじりじりと追い詰められた日本軍はフィリピンの島の中で決定的な敗北を喫し太平洋戦争は終わる。優秀な指揮官であったが戦犯の裁判は彼には及ばず上司たちが次々と判決を下された。一方、かかる英語力やコミュニケーション力のおかげでGHQで旧日本軍との間の連絡役、資料集めなどに使われたが、ここで大きな転身が起こる。 多くの戦友や広島で原爆にあった人々はこの世を去ったのに、自分が生き残ったことを深く考え、自分の人生をイエス・キリストに捧げようと決心する。自分が真珠湾攻撃の中心的人物だったということは多くのアメリカ人の関心を引くことになったので、これを利用してアメリカでの布教とお互いの憎しみを消すために10か月もの間全米各地を回り、残りの人生をキリスト教に捧げた。 「単純化という病」 安部政治が日本に残したもの * 郷原信郎 * 2023/06/22 日本にはすでに“愚民“の兆候が出ている。どんどん下がる投票率、大きな組織の中で忖度で動く議員たちの当選、陰で隠れて選挙資金を提供する宗教団体など、安倍晋三の長期政権でそれはどんどん深刻さを増した。そして自分の周りをイエスマンで固めるというのは、ウォーターゲート事件で辞任したあのニクソン大統領をほうふつとさせる。 単純化とは何か?それはこの本によれば、法律順守と多数決による安部、菅、と三人によって受け継がれてきた政治手法である。というよりは国民が自民党に効果的に対立する政党を望まないために、そして小選挙区制のために、いつまでたっても自民党圧勝の構図が出来上がってしまい、今更それを訂正することもできなくなっているからだ。 このため、政権交代による新しい味方による政治というものが不可能になってしまった。先の見えない政治とそれに伴う先の見えない社会が生まれてしまい、日本の劣化がますます加速するわけである。安部政治が残したものはさらにこの先の権力者たちは、議論もなく、勝手に法律を解釈することによって何事もつじつまを合わせるようなやり方である。 目的への抵抗ーシリーズ哲学講話 * 國分功一郎 * 新潮選書 * 2023/07/08 コロナがその最盛期にあった時、政府から「不要不急の旅行はやめましょう」という要請が出た。ヨーロッパなどでは”命令”であったが、日本では”要請”であった。こういうと日本のほうが、自由の余地があって各人が自分の好きなように行動していいと思え、一方ヨーロッパではがんじがらめに行動を規制されていたという印象を与える。 ところが話はそう単純ではないことが分かった。まず第一に日本では同調圧力が強く、実質的には要請は命令に等しく、それに従う人が大部分を占めていたことだ。そして従わない人は“不要不急“であったとしても、あえて自分の思うとおりに行動した人もいたはずだ。 不要不急とは目的のない状態である。効率的な経済活動がすべてである現代社会では最も嫌われるのではないか。しかしすべてが実質だけに限定されて生活が営まれるとすれば、これほど息苦しい世界はない。いわゆる余裕とか遊びとかがどこにも見出せなくなってしまうからだ。そしてそれが現実に21世紀の毎日の日常となっている。 だから目的設定が小さいころから奨励される。普段の生活では目的が設定されると、それに一目散に駆け出すのがよいとされ、例えば高校生は志望大学を決めるや否や、その合格に向かって突進する。そこには人間本来の自由というものがどんなものかといった疑問は完全に忘れ去られ、目的を遂げた!という充足感だけを期待するようになる。 一方では強制的に外出を禁止された国々では、それが嫌な場合は激しいデモを起こしたり、警察や政府を襲った場合もあったが、それに従う人たちはともかく、反対する人々の態度や行動方針は明確に表れたと言える。欧米でのマスク着用や外出禁止に対する激しいデモの頻発は、むしろ自分の自由を際立たせることに、あるいは自分の自由の限界を自覚することに役立ったのかもしれない。 堤未果のショック・ドクトリン * 堤未果 * 幻冬舎 * 2023/07/12 G7と言えば、19世紀から20世紀にかけて他国に強盗殺人を仕掛けて裕福になった国々だが、現代では一応、”法による支配”が世界中では名目上正しい方向だと信じられているので、表立った攻撃や搾取ができなくなってしまった。しかし従来のあからさまな植民地主義とは異なった方法があったのだ。 それはパンデミック、大災害、大戦争によって、人々の判断力が鈍り、思考停止になった時を狙って「緊急事態」と称し、国家の支配力、監視力を一気に強くしてしまう手法のことである。残念ながら、緊急事態において平静を保つことのできる一般人はもちろん、権力者、軍人の中にもほとんどいない。ただ、事前に緊急事態を予想し、準備をしておくことができる。 その役割は政府のみならず、親しい民間企業にも与えられていて、治安の極端な悪化、ウクライナ戦争、コロナの蔓延、東日本大震災、開発途上国における津波、火山、台風などの大災害の時に実行に移されるようだ。いったん中国のように街角すべてに監視カメラが設置されるようになってしまったら、普通の人々は手も足も出ない。死ぬまで権力者の作ったシステムの中で奴隷として生きるしかない。 Kim 少年キム * Rudyard Kipling * 斎藤兆史:訳 * 晶文社 * 2023/07/20 少年キムはイギリスのインド植民地時代、インドの土地で生まれたがイギリス人であった両親はすぐに死去し、孤児としてラホールの町の中に放り出されて成長した。白人の血を引きながら現地の言葉に堪能で、人々の暮らしの中にすっかり溶け込んで、使い走りや伝言の受け渡しなどをうまくこなしながら15歳になる。 ある日、博物館を訪れたチベットから単身やってきたラマ僧と出会い、その人柄に惹かれたキムは一緒に「聖なる河」を探しに南へ向かうことを申し出る。一方、ラマ僧も老齢でインドの地理にも疎かったから、喜んでキムにお供に来てもらいたいと願う。キムは托鉢から身の回りの世話まで引き受けてラマ僧の旅にはなくてはならない存在になる。 いつもこまごまと仕事をもらっている馬商いに、ある日重大な手紙を渡され、それをある人に届けるように言われる。これがキムのスパイ業の始まりであった。仕事を成し遂げたキムはイギリスの諜報機関の幹部からの信頼を勝ち取り、たまたま自分の父親がかつて所属していた軍隊に偶然に引き取られたことから、現地のイギリス系の学校教育を受けることになる。しかもラマ僧も学費を引き受けてくれたのでキムは学校生活を開始する。 学校でのキムの成績は優秀で、ここで読み書きも覚えて大きく成長したが、一方では休暇になると乞食同様のヒンディー小僧の姿で街に出てかつての”勘”を取り戻すのだった。そしていくつかの仕事もこなすうち、諜報機関の幹部たちは彼はもはや学校教育は十分に受けたとして、正式に雇うことができるようになるまで再びラマ僧との旅に出させてくれる。 ベナレスにいたラマ僧とキムは、今度は北上してヒマラヤ山脈の奥へと向かう。その地域にはインドのイギリス支配を脅かすロシアの影があった。ヒマラヤ山脈に出没するロシア人に出会い、一行は大きなトラブルに出会うが、キムの活躍でロシア人の持っていた秘密書類をまんまと手に入れて、高原地帯を下る。病身のラマ僧と自分の確保した書類を持ったまま、ラマ僧の援助者のもとで世話を受けてスパイ仲間に情報を無事に渡すことができた。そしてラマ僧もようやく待望の解脱を迎えることができたのだった。 飴売り具學永(ク・ハギョン) * キム・ジョンス:文 ハン・ジョン:絵 * 山下俊雄・鍬野保雄・稲垣優美子:訳 * 展望社 * 2023/07/26 ク・ハギョンは日韓併合の起こった時代に朝鮮半島で生まれた。職を見つけられず両親や幼馴染とも別れ日本にやってきて埼玉県の寄居(よりい)村にやってきた。飴を売って生計を立て、周りの人々、特にあんま師の菊次郎と仲が良かった。 1923日9月1日の正午直前、「関東大震災」が起こる。寄居村は強い地震には襲われなかったが、東京から被災者が北へ向かって押し寄せてきた。想像を絶する状態から逃れてきた被災者たちの間に「朝鮮人が地震に紛れて暴行・強かん・放火を働いている」などの流言飛語が飛び交い始め、パニックに陥った人々はそれを信じる者が多かった。まず臆病者たちが狂気に取りつかれた。 そしてその状態に乗ったのが、軍隊や警察であり、「戒厳令」を発した日本政府であった。各地で自警団が組織されて、実際に朝鮮人の襲撃を見たものがなくとも構わずに彼らを虐殺した。ク・ハギョンは菊次郎の助けを受けて警察の留置場で難を逃れようとしたが、自警団に見つけられ他の無数の朝鮮人たちとともに虐殺される。関東大震災は自分たちの権力掌握の絶好の機会に利用されたのだ。 彼は正樹寺に葬られたが、名前や年齢を刻んだ墓碑を作ってもらったのは彼のほかにいなかった。他の虐殺された者たちがどこに埋められているのかはわかっていないし、国も今から調査をする気もない。百年たち日本が犯した強盗殺人の一端がこのまま明らかになることなく過去に葬られようとしている。 この物語は人間という「狂ったサル」が歴史が始まって以来、犯してきた無数の犯罪、スターリンの粛清、ナチスのユダヤ人虐殺、アメリカに移住した白人たちのインディアン虐殺、などの数え切れな罪状の一つに過ぎないのだ。類人猿から分化し、この呪われた性質を受け継いできたホモ・サピエンスはこれからも弱い者を殺し続けるのだろうか。 日本沈没 * 小松左京 * ハルキ文庫 * 2023/08/15 地球物理学者、田所博士は学会の中では異端児で、その独自な研究は日本国内では注目されていなかったが、海外での評判は良かった。その博士が自らの勘によって日本がとてつもない地質学的な変動を起こし,、ついには太平洋側にある海溝へと沈んでいくという仮説を立てた。 その日から博士はそれを検証すべく、小野寺という深海潜水艇の操縦士と共に、海底での異変と自らの説を検証する証拠を集め始める。やがて各地で地震や噴火が頻発し、ようやく政府や学会も事の重大さに気付き始め、博士の説は政府首脳によって取り上げられ、日本の住民を救出し海外に移住させるための、初めは機密のそしてのちには大々的に計画を推し進めることになる。 一方、小野寺はその計画の中で必死に働いてきたが、計画に基づく全体の組織がうまく動くようになると、その仕事をやめて住民救済のために各地を転々とする。恋人を噴火で失ったのちもあちこちの現場に顔を出し、大糸線沿いの谷間で登山隊と出会った後、付近の山の噴火に追われてかつての知り合いだったホステスとともに日本海側に脱出し、そこからソ連の船に救われてシベリア鉄道に乗って西へと向かう。 1973年に刊行されて大ベストセラーになったこの作品は50年後の今日、再び静かなブームになっているようだ。 再び女たちよ! * 伊丹十三 * 文芸春秋・文春文庫 99/09 (再)2023/10/15 「女たちよ!」に続くエッセイ集。気になった章「川の底」「富士山麓」「歯」「薯焼酎」「猫」映画の紹介「赤い靴」「しのび泣き」 いじめの聖域 * 石川陽一 * 文藝春秋 * 2023/10/23 長崎県にある海星高校だけがいじめの事実を認めず、自分たちの保身に奔走したのではない。それは日本全国に蔓延する、いわばパンデミックのようなものであり、これを退治するにはすべての教育委員会や学校の総入れ替えをしなければなるまい。 ある高校生が同級生からのいじめを受け自殺する。それを“突然死”とか”転校”といった形で父兄たちに報告しようと学校側が言い出したことから、両親は不信感を募らせ、教育関係の法令や文部省からの通達を徹底的に勉強し、なんとしてもこの高校から二度と自殺者が出ないようにするにはどうしたらいいのかを考える。 だが、共同通信社に属する筆者がこの本を発表しても、学校側は頑として自分たちの非を認めず、膠着状態を続けている。海星高校はカトリック系の学校である。理事長は神父だ。カトリックにおける世界中での幼児への性虐待が次々と明らかになったことは記憶に新しい。学校の闇、そして巨大宗教団体の闇はいつまでもちゃんとした光が当てられることはない。 日 没 * 桐野夏生 * 岩波書店 * 2023/11/05 この本を読んで思い出したのは、映画「カッコーの巣の上で」の結末と、名古屋入管での外国人の死亡事件だった。さらに東京都知事の愚行や日本学術会議の任命拒否、安倍首相の国葬 歴史修正問題、君が代の強制など、次から次へと嫌なことが思い出されてきた。 このように愚鈍な人間たちが権力を持つと、このようなひどい状態がますます悪化するということを、この本を読みながら感じてしまう。 優れた人間を権力の座につけるわけにもいかず。 やはりこの小説の最後のように悲惨な最期を我々は待っているだけになるのだろう。ユートピアの反対、ディストピアの物語である。「華氏451度」「1984年」「素晴らしき新世界」などの流れである。 ヒロインは作家であるが、ある団体に目をつけられて誘拐され、自分の考えを矯正して社会復帰ができるようにと命令される。 その後何回も反抗や反発を繰り返し、予想通り拷問にかけられる。 同じ施設に入っている作家たちを多くが自殺をするという状況になった時、彼女には逃亡のチャンスが巡ってくる。 しかし、最後に現れた2人の”転向”した作家と、何らかの事情で自由の身になった作家が自分に逃亡の機会を与えてくれるというその時、物語は突然そこで終わる。 もちろん、私の推定では、彼女はその3人の”裏切り者”によって騙され、最終的には自らを崖から投身自殺に持って行ったのだと思う。 彼女は自由な身になってシャバに戻れたということは到底考えられない。 この小説は読み進めるうちに気分が悪くなり、気持ちが落ち込み、非常に嫌な気分になるのだが、最後まで読むのを止めることはできなかった。 この小説が単に面白かったのではなくて、現代の日本のリアリティをそのまま映し出してるからではないだろうか。 国 際 法 * 大沼保昭 * ちくま新書1372 * 2023/11/25 イスラエルのガザ攻撃によって、人道に反する行為や国際法違反について多くが語られている。このため国際法についての初歩的な知識を身につけようと思って本書を紐解いた。著者の大沼氏はもうこの世にいない。でもそれでよかったかもしれない。現在のウクライナ、ガザにおける紛争は国際法を研究する者にとっては人類に対する絶望しか生まれてこないからだ。 そもそも我々普通の人間は世界中で戦争が起こっていてもできることは”座視”することだけ。何ら問題の解決を見つけることができない。世界の歴史を研究してきても、次から次へと虐殺の記録を目にするだけである。そして第二次世界大戦のあとに作られた国連は全く無力であることを日々証明している。 安全保障理事会は5か国で構成されているが、すべてが悪者ばかりで、そのどの国も過去や現在において、強盗殺人を繰り返し行ってきた連中ばかりであるから、彼らに拒否権を持たせてしまっては、彼らの国益追及の場になっているだけなのだ。 確かにこの本を読むと昔に比べて、戦争を防止したり、被害を軽減する方法について少しずつ方法が積み上げられてきたかもしれない。だが、その速度はカタツムリより遅い。世界中を従わせるにはどの国もかなわない力を持った存在がどうしても必要なのだ。それは異星人かAIかわからないが・・・ 数ある聖書の話の中で、これを再び読む気になったのは、今回のイスラエルによるパレスチナ人への攻撃があったからだ。これまでとは違う、終末的な雰囲気がこの戦争には色濃く出ている。病院が平気で爆撃され多数の病人や新生児が死ぬ事態は、やはり尋常ではない。 もちろん人類の歴史の中ではこんなことは頻繫にあったことなのであるが、インターネットなどの通信手段がそろい、全世界がそれを目の当たりにしながらも、“沈黙”しているということが、これまでになかったある種の絶望的な状況を示しているからなのだ。 燃え盛るエルサレムの光景が出てくるこの黙示録はヨハネが実際に目撃して書き留めたものだと言われている。しかしこの話の最後に、この文章に付け加えたり変更を加えたりした者は罰せられると書いてあるから、これ以上書くのはよそう。 サピエンス減少 * 原 俊彦 * 岩波新書1965 * 2023/11/30 うれしいニュースである。人口学者である著者の計算によれば、人類が2100年ごろを境に急激に減少するという。誰も人類が、戦争、汚染、災害によってその数を減らすことは望まないだろう。だが、必然的な自然減であるならば、それが絶滅の道につながっていようとも望ましいことだ。 人口が減ることによって、地球にかかる負荷が減り、汚染や気候変動による問題がいくらかでも解決されるかもしれないからだ。前半部分は数式や分析が多くて読みにくいが、「第4章 人口が減ると何が問題なのか?」に入ると、著者の考えによる未来像が描かれている。その未来像が妥当なものであろうとなかろうと、人類がこれから22世紀に向かって大きな転換を行わなければならないことだけは確かだ。 まつろわぬ邦からの手紙 * 山口泉 * オーロラ自由アトリエ * 2023/12/21 作家、山口泉が沖縄に移り住み2016年から2019年までの約3年の間に記録し、「沖縄新報」にのせた通信文全39編。この本を貫く反権力的姿勢は、ほかの日本人作家に菜見られないものだ。この時代は安倍晋三が猖獗を極めた時期である。 この期間についてはこれからも詳細な検証が必要だが、この本も必ず加えておかなければならない。また、この期間における問題は沖縄における基地だけに限定されるわけではない。日本政府と国民の右傾化、原発問題、そして軍備増強など、すべてが絡み合っている。残念ながら事態はどんどん悪い方向に向かっている。 安倍晋三が暗殺されたのはそのあと2022年7月だがそれを区切りに大きく日本は変わっていくから、2019年以降の歴史の流れに目が離せない。 宮澤賢治伝説 * 山口泉 * 河出書房新社 * 2024/01/06 多くの人々から好意的にみられている宮澤賢治だが、この著者によってファシストと呼ばれることに大きな驚きを覚える。だが、賢治のいくつかの作品を取り上げて解説されてみると、必ずしも的外れではないどころか、賢治が非政治的態度を保っていたものの、戦争中における日本国民の”お国の方針に従った好ましい生き方”がそれとなく示されていることに気づくだろう。 そして友人への強い勧めとなって表れている法華経への帰依。そして「銀河鉄道」が死者への国へ死人たちを輸送しているという見方。話はアウシュビッツのガス室にまで飛ぶが、そこには(国家)権力の暗黒の力に対し絶えず反権力的な姿勢を崩さない著者の強い意向が感じられる。 © 西田茂博 NISHIDA shigehiro |