映画の世界

コメント集(27)

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  1. 男はつらいよ・寅次郎恋歌
  2. ピグマリオン Pygmalion
  3. 天使の詩
  4. 恐るべき子供たち
  5. 太陽はひとりぼっち
  6. 男はつらいよ・柴又慕情
  7. 飢餓海峡
  8. 男はつらいよ・寅次郎夢枕
  9. 世界残酷物語 Mondo cane
  10. 駅 Station
  11. 男はつらいよ・寅次郎恋やつれ
  12. 津軽じょんがら節
  13. 男はつらいよ・寅次郎相合い傘
  14. 裸の島
  15. 長崎ぶらぶら節
  16. 非常線の女
  17. 東京の合唱
  18. 男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け
  19. 太陽がいっぱい Plein Soleil

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今年見た映画(2004年)

男はつらいよ・寅次郎恋歌 2004/09/30

男はつらいよ;寅次郎恋歌寅さんとおいちゃんが喧嘩をするシーンは緊張感が強く出ていて、後期の作品とだいぶ趣が違う。旅回りの少女との出会い、妻を亡くし一人暮らしを始める老人との出会い、いずれも「人生の旅」を強く打ち出した場面づくりである。

田舎町で寅さんは雨に降られ商売はあがったりだ。同じ町に来ていた旅回りの一座と知り合い、宿まで小百合ちゃんという名の少女に傘をさして送ってもらう。立派な役者になりたいと希望に燃える少女を見て寅さんは思わず涙ぐむ。

ある日さくらが買い物から泣いて帰ってくる。おばちゃんが訳を尋ねると八百屋のおかみさんが自分の子供を叱りつけるときに「寅さんのようになっちゃうよ」と言っているのが聞こえたのだという。これを聞いておばちゃんもおいちゃんも悲憤慷慨する。

そこへ寅さんが帰ってきた。不自然な歓迎ぶりに気分を損ねた寅さんはおいちゃんと大喧嘩。その夜仲間を連れて酔っぱらって帰ってきた寅さんに、怒り狂うおいちゃんだったが、さくらは黙ってビールをつぎ、歌まで歌う。ここで自分の馬鹿さ加減に気づいた寅さんはその夜再び旅立っていってしまった。

しばらくして博の父親一郎から「母危篤」の電報を受け取った博とさくらはすぐに岡山県備中高松へ向かう。が死に目にあうことはできなかった。なんと寅さんもちょうど近くにいたことで葬儀に出席する。葬儀が終わって博を含む3人の息子たちが父親を囲んで食事をしていた。ふたりの兄は何か冷たく、父親一郎も好き勝手に生き、死んだ母親はあまり幸せではなかったようだった。

葬儀のあと、寅さんは大きな屋敷に一人残った一郎につきあって2,3日過ごす。別れ際に一郎は寅さんに旅の話をするのだった。夕暮れ時の信州の田舎道を歩いていたとき、ある農家の前を通り、窓越しに一家が食事をしようとしているところが目に入った。そのときリンドウの花が一面に咲いていたのだという。一郎は寅さんに運命に逆らわず家族と幸せな時を過ごすことの大切さを諭す。

この話に感じ入った寅さんはさっそく柴又に帰り、みんなにその話をして聞かせるのだった。そのころ帝釈天の横に新しい喫茶店が開店した。3年前に夫と死に別れた女性寛子が小学校3年の子供を連れて移ってきたのだ。とらやのみんなは何とか寅さんが寛子と顔を合わせないようにと躍起になるが、狭い町内のことだからそれは無理。帝釈天の境内で出会ってしまう。

寛子は町の評判の美人なのだから寅さんが惚れ込まないはずはない。内気で友だちができない小学生の息子と遊んでやり、仲間を作ってやったことから寅さんは喫茶店に入り浸りになる。とらやのみんなが心配するなか、寅さんは自分の家庭を持つという夢が叶う気がしていたのかもしれない。

ある夜寅さんは寛子の家を訪れ、いつでも助けになると申し出る。だがいつしか話は寅さんの旅のことになった。寅さんは寛子と身を落ち着ける夢を抱いていたのに、寛子は寅さんの旅の生活をうらやましいといい、夕暮れ時に感じる孤独感のことを話しても、かえって自分もそんな体験をしたいというばかり。まったく自分の望む夢とは歯車が合わないと悟った寅さんはこれ以上柴又にいても苦しみが増すだけだと感じてその夜旅に出てしまうのだった。(1971年)➡資料?O???????N

監督 ......山田洋次 脚本 ......山田洋次 朝間義隆 原作 ......山田洋次 配役: 車寅次郎 ........渥美清 さくら ........倍賞千恵子 小百合 .......岡本茉莉 一郎 .......志村喬 マドンナ;寛子 ......池内淳子

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ピグマリオン Pygmalion 2004/10/01

Pygmalionイギリスの作家、戯曲家バーナードショー(彼の姿はビートルズのアルバム「サージェントペパー」のジャケットに見ることができる)の作品で、後にオードリー・ヘップバーンの主演であまりにも有名になった「マイフェア・レディー」より10年以上前の作品。こちらはミュージカルではなく、むしろ原作に近い会話が聞きもの。音楽的な楽しさではなく、「女の自立」や「師妹関係」が中心に据えられている。

ギリシャ神話で、ピグマリオンという名の見事な女の彫刻を作ってしまった芸術家が、すっかりその像に恋をしてしまい神々に頼んで命を吹き込んでもらうという話から。しかしこちらは現代に生きる生身の人間だから簡単に話が進まない。

ロンドンの下町は、べらんめぇ言葉( Cockney )であふれている。今日も独身主義で音声学の専門家、ヒギンズ教授は劇場がひけたときにやってきて人々の話す言葉に耳を傾けてしきりにメモを取っている。

折から雨が降ってきて、花売り娘のイライザはなんとか今日のすべての花を売ってしまおうと必死だ。見ると彼女の大声をしきりに書き留めている不審な男がいる。てっきり警察に目を付けられたと思い、一生懸命弁明しようとするが、ヒギンズ教授は次から次へと人々の出身地をその訛から言い当ててまわりを驚かせる。

そこへあらわれたのが梵語の専門家、ピッカーリング大佐だった。二人は意気投合し、イライザのものすごいロンドン訛を聞きながら、ヒギンズ教授は半年で社交界に出せるぐらいきれいな発音をしつけることができると豪語する。彼にとって自分の学問の成果がすべてなのだ。

花の代金として大枚をヒギンズ教授からもらったイライザだったが、家に帰れば一人暮らし、話し相手はオウムだけだ。このまま花売り娘をやっていても未来はない。何とか本物の花屋を開業したい。彼女は発音の矯正をしてもらおうと決心する。翌日教授の家に押し掛けた。

ヒギンズ教授も大佐と賭をしたばかり。さっそくこの娘を実験材料に使って、自分の研究成果を実証しようという意気に燃えている。家政婦のピアス婦人によってイライザはまずそのぼろぼろの服を脱がされ、長い間入ったこともない風呂に無理矢理入れられた。

ピグマリオンさっぱりして教授や大佐の前に姿を現すと、なかなかの別嬪なのだった。この日からイライザは住み込みで発音の厳しい特訓を受ける。The rain in Spain mainly stays in plain. のように早口言葉を何度も繰り返させられ、イライザの発音は急速にきれいになってゆく。

初めて彼女の発音がテストされる日が来た。教授の母親の家を訪問すると、彼女の友人が来ており、発音はきれいだが独特の言い回しに、周りの人は目を回す。ただ前に劇場の前で出会った青年フレディはイライザをすっかり気に入ってしまった。

さらに彼女の訓練は続く。今度は大使夫人の主催するパーティにデビューするのだ。練習はしばしば午前4時まで続くほどだった。だが教授は容赦しない。いよいよパーティの当日がやってきた。彼女は最高のドレスを着せられまるで王女のようだ。

パーティの出席者たちはうわさをしあった。いったいどこの貴族だろう?会場にはヒギンズ教授の一番弟子も来ていて、そのうぬぼれ屋でさえだまされてきっとハンガリーの王女に違いないと断言する。教授はにやにやしていた。そしてついにイライザは皇太子のダンスの相手をするという光栄に浴したのだった。

大成功で教授も大佐も大喜びで家に帰ってきた。ヒギンズは自分の「実験動物」がうまくいったので満足この上ないのだ。しかも大佐との賭にも勝った。だがこれからイライザはいったいどうしたらいいのか?またした町に戻って花売り娘をやるのか?

自分をこれほど徹底的に訓練してその成果が終わったらこれでおしまいというのはとても人間扱いとはいえない。イライザはスリッパを教授に投げつけた。教授の母親に言わせれば、私なら真っ赤に焼けた火かき棒を投げつけただろうと言うことだったが・・・・

教授は女心などまったく理解していない。ただ、この半年の間あまりに密着して訓練をしていたので今更イライザがこの家を出ていくことなど考えられないのだという。すっかりなじんでしまったのだ。(I have accustomed to your face.)

だが、話してもわかってもらえないことに業を煮やしたイライザは出ていってしまった。教授は一人寂しく研究室に戻る。イライザがまだ訓練をはじめたばかりの頃に録音した騒がしい声がスピーカーから流れてきたが・・・(1938年・モノクロ)➡資料?O???????N

Directed by Anthony Asquith Leslie Howard Writing credits George Bernard Shaw (play) George Bernard Shaw (scenario and dialogue) Cast : Leslie Howard .... Professor Henry Higgins / Wendy Hiller .... Eliza Doolittle / Wilfrid Lawson .... Alfred Doolittle / Marie Lohr .... Mrs. Higgins / Scott Sunderland .... Colonel George Pickering / Jean Cadell .... Mrs. Pearce リスニング;これぞイギリス英語の聞き取りには理想的教材といえよう。下町言葉から上流社会の言葉までそれもショーのすぐれたセリフであふれんばかり。

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天使の詩 Incompreso 2004/10/07

天使の詩原題は「誤解された(アンドリュー)」。日本語によるタイトルと何という違いであろうか。当然観客の注目するところは違ってくるだろう。「天使」とくれば、可愛いマイルスの一挙一動が気になるだろう。だが、この話の中心は、父親に誤解された不幸な少年の一生なのだ。

イタリアのフィレンツェに赴任しているイギリス領事、ダンカン氏は妻を病気でなくしたばかりだった。小学校に通うアンドリューとまだ就学以前の幼いマイルスというふたりの息子がいた。ダンカンはアンドリューには母の死のことを話したが、マイルスにはまだ理解できないと隠していた。

アンドリューは、父親に母親が死んでも勇気を持ってこれから生きていかなければならないと言われ、深い悲しみにありながら何とかしてこれを乗り越えようとがんばっていく。広大な敷地の中にある池や森の中でふたりの兄弟は遊び回る。

ダンカン氏はその要職のため実に多忙である。特に幼いマイルスのためには不自由な思いをさせないように気を配り、家庭教師を雇い身のまわりの世話をするようにしていた。アンドリューはしかし孤独であった。母親がいなくなっただけでなく、これからは弟のことにも責任を持ち自分のこともしっかりやっていかなければならない。

マイルスは母親を恋しがり、なにもわからずふと死んでしまったのだと口にする。ダンカン氏はあれほど言っていたのにアンドリューが弟にしゃべってしまったのだと思いこみ、マイルスを連れて部屋に入ってしまう。後に残されたアンドリューは暗澹たる気持ちだった。

そういう姿にダンカン氏はあまり気にかけることなく、公務に没頭していた。ある日アンドリューは母親の声の入ったテープレコーダーを発見する。父親が一人で聞いていたのだ。なつかしさのあまり何度も繰り返し聞くうち、誤って録音ボタンを押してしまい、声は永久に失われる。

父親の誕生日がやってきた。兄弟は小遣いを出し合って自転車で町中まで行きプレゼントを買ってくる。帰り道アンドリューは父親より先に家についていようとバスの車体に手をかけて弟をうしろにのせたまま自転車を猛スピードで走らせていた。

これをちょうど通りかかったダンカン氏に発見され、アンドリューはこっぴどく叱られる。父親を喜ばせようとしたことなのに、この結果に少年の孤独はますます深まる。

彼らの家にウィリアムおじさんがしばらく滞在する。おじさんはアンドリューに対してもっと優しい態度を示すようにとダンカン氏に忠告する。おじさんがいる間にみんなで母親の墓参りにもいった。おかげでアンドリューは父親について領事館へも連れていってもらい仕事の手伝いをして大喜びだった。

土曜日の午後、ローマにも連れていってもらえることになった。アンドリューは早起きして自動車を移動させ洗車をする。だが、勝手に車を動かし、アンドリューは置いていかれる。しかもふざけて水を浴びたマイルスは熱を出し、おかげでマイルスは扁桃腺の除去手術を受けることになった。

数週間後マイルスは無事退院してきたが、弟の目の前で勇気を示そうと木にぶら下がったアンドリューは、枝が折れたために池に落ちて背骨を折る。たとえ快復しても一生か半身が麻痺してしまうという宣告に、アンドリューは母親のもとに行きたくなった。

ダンカン氏はアンドリューが寝ている間に口走るうわごとから、いかにこれまで孤独な生活を送っていたかを知る。自分が息子を誤解していたことを知ったダンカン氏は、アンドリューにこれまでつらく当たったことをわびたのだが・・・(1966年イタリア映画)➡資料?O???????N

Directed by Luigi Comencini Writing credits Leonardo Benvenuti Piero De Bernardi Cast: Anthony Quayle .... John Duncombe / Stefano Colagrande .... Andrew / Simone Giannozzi .... Miles / John Sharp .... Uncle William リスニング;イタリア映画の英語版。登場人物がイギリス領事だからもちろんイギリス英語

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Les enfants terribles 恐るべき子供たち 2004/10/14

恐るべき子供たち「恐るべき」といってもこの作品が発表されて半世紀後では、もっと恐るべきことが次から次へと怒っているから、さほどショックを受けることはないかもしれないが、当時詩人コクトーが世間を騒がせたこの作品が、実は現代の子供たちの特徴を実に正確に予測していることに驚かされる。この映画では彼自身がナレーターをつとめている。またバッハやビバルディのBGMがこの映画にぴったりだ。

エリザベスとポールの姉弟は病気の母親とともにアパルトマンに暮らしている。ポールはおそらく結核で、雪合戦で雪が胸に当たっただけで失神し医者から安静を命じられてしまった。姉弟はお互いにののしりあいながら狭い部屋に暮らしているがポールは姉の世話がなければ生きていけないし、エリザベスはこまめに弟の面倒を見ているが自分の思い通りにしないときが済まない。

ポールは結局中学校をやめてしまい毎日家に閉じこもる生活を続ける。エリザベスもぶつぶつ言いながらもそれにつきあって買い物以外に外に出ることもない。おじさんのすすめでいとこのジェラルドとともにしばらく南フランスの海辺の近くで保養することになった。

ここでもエリザベスは弟とジェラルドを命令を下して生活を取り仕切る。物がほしいからではなく単なるスリルのために土産物屋での万引きを試み、これを二人にも強要するのだった。ポールは暖かい気候のおかげですっかり元気になってパリに戻った。

だが、まもなく母親が死ぬ。残された姉弟とジェラルドもまじえての暮らしが始まる。しかしお金が不足してきたのと、外の世界の空気を吸いたいのとでエリザベスはモデルの仕事を見つけた。仕事はうまくゆき、アガーテという女の子と友だちになり、いやがるポールにもかかわらず自分たちのアパルトマンに住まわせる。

さらにエリザベスは、ミシェルという大金持ちの若い男と恋仲になり、結婚することになった。彼は18も部屋のある大邸宅に住んでいた。結婚後はポールの面倒も見てくれると言う。二人は無事結婚式を済ませたのだがミシェルは一人で車を運転中事故を起こして死んでしまう。

恐るべき子供たち期せずして後家となったエリザベスには膨大な遺産が転がり込んできた。ポール、ジェラルド、アガーテを引き連れてミシェルの邸宅に移り住む。だがふつうの金持ちのように贅沢三昧をするわけではない。部屋でごろごろするだけだ。息苦しくなったポールは自分だけの時間を求めて数ある部屋の一つを自分の居室と決め、中国風のインテリアで統一した。

しばらくして何かアガーテの様子がおかしい。エリザベスが問いただすとポールに恋をしてしまったのだという。恋煩いでベッドから起きあがれない。そこで様子を探りにエリザベスはポールの部屋に行くと、彼もアガーテを恋してしまい苦しんでいた。恋文を「速達」で出したのだがアガーテは何も言ってこないのだろうかと悩んでいた。

しばらく旅行をしていたジェラルドが戻ってきて、かつて雪合戦でポールの胸に命中させた中学校時代の友だちから預かってきた毒草をポールに渡す。毒草は「宝物」を入れるための引き出しの中に鉄の箱に入れてしまわれた。

エリザベスは恋文の宛先をポールが自分宛に書いてしまったためにアガーテに届かなかったことを知る。エリザベスは勝手にその手紙を捨てて、アガーテにはジェラルドが彼女を恋していると告げ、ポールにはアガーテはジェラルドのものだと伝える。

絶望したポールは毒草を食べて自殺を図る。駆けつけたアガーテが真相を語るが時はすでに遅し。ポールは目の前で事切れた。アガーテにとってすべてが明らかになる。エリザベスは弟が自分から奪われることに我慢ならなかったのだ。彼女は引き出しからピストルを取り出した・・・(1950年)➡資料?O???????N

Directed by Jean-Pierre Melville Writing credits Jean Cocteau (also novel) Jean-Pierre Melville Cast: Nicole Stéphane .... Elisabeth / Edouard Dermithe .... Paul / Renée Cosima .... Dargelos/Agathe / Jacques Bernard .... Gerard / Melvyn Martin .... Michael / Maria Cyliakus .... The Mother / Jean Cocteau .... Narrator (voice)

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太陽はひとりぼっち L'Eclisse 2004/10/21

太陽はひとりぼっち愛することができなくなった女が再び愛を取り戻しそうになる物語。原題は日食、月食の「食」から転じて、衰退、消滅を示す言葉。ローマの郊外団地の物寂しい単調な風景が、ヒロインの心象風景として写し込まれている。彼女の心を読みとるのは観客の仕事である。

これはちょうど小津映画における人物抜きで空や物体を映し出す手法に似ている。また、通りを走り抜ける一頭立ての馬車や、向かいのアパルトマンからじっとこちらを見つめる女の姿、郊外団地の建物群など、象徴的な映像は一見に値する。

ここはローマの郊外団地の一室。さっきから妻のヴィットリアと夫のリカルドは一言も口を利かない。一晩話し合ったが、どうしても二人は結婚生活を続けていくわけにはいかなくなったのだとヴィットリアは言う。

ヴィットリアの夫への愛はさめてしまったのか。かつて自分が20歳の頃は幸せだった。しかし今ではその実感がどうしてもわかない。このままで一緒に暮らしていくことは耐え難いことなのだ。窓の外は単調な団地の風景だ。遠くの丘の上にキノコ型をした建物が見える。

リカルドはしきりに引き留めようとするがヴィトッリアの決心が固いことを知って、あきらめて帰っていく。ヴィットリアはローマの町中にある株式取引所へ母親に会いに行くことにした。だが母親は人々が大声で叫ぶ雑踏の中で株の売買に必死で娘の訪問にも関心を示さない。

大儲けをしてにこにこ顔の母親と共に、仕方なく娘は実家のアパルトマンに戻った。隣に住む主婦が遊びにやってきて、近所のケニヤから帰ったばかりの主婦が、今夜は夫が外出しているので一緒に泊まりに来ないかと誘われる。

単調な生活に飽き飽きしていたヴィットリアは、ケニアから持ち帰った珍しい品物や音楽にひととき興奮して酔いしれる。翌日は隣の主婦の夫が軽飛行機を操縦して輸送するというので同乗させてもらった。上から見下ろすローマの街、雲の世界、広々とした滑走路とこれまた平凡な日常とは違った世界に晴れ晴れとした気持ちになって夫との別れを忘れることができた。

ヴィットリアは母親のように金儲けにのめり込むことは好きではない。しかしこれまでの結婚生活のむなしさから逃れて何かへ向かっていきたかった。だがそんなきっかけはどこにでもあるわけではない。

再び母親に会いに株式仲買所に出かけると、若き証券マンでコマネズミのように動き回っているピエロと知り合いになる。ピエロはヴィットリアが気に入ったらしくそれとなく話しかけてきた。二人はしばしば一緒に外出したりするようになった。

株式の大暴落が起こる。母親も大金を失い、ヴィットリアのソバにいた年輩の太った男は5千万リラを失ったという。ヴィットリアはそれとなく彼の後をつけて、カフェのテーブルの上に残されたこの男の書いた花の絵を持ち帰る。

アルファ・ロメオの愛車を駆って会いに来るピエロはヴィットリアの唇を求めるが、はじめのうち彼女は許すことができない。愛は再び可能なのか?愛することと、理解することは違う。愛し合っているなら互いに理解する必要などないのでは?さまざまな考えが彼女の心を去来する。

だがピエロは辛抱強かった。しつこく追い求めることはせずヴィットリアの心が少しずつ溶けていくのを待った。少しずつヴィットリアは気持ちが穏やかになっていくようだった。酔っぱらいに盗まれて池の底に沈んでしまったピエロの愛車を引き上げたとき、見物にやってきたヴィットリアは初めてピエロの唇を許した。

ようやくヴィットリアの心にも春が訪れたようだ。ピエロの事務所での逢い引きでも次第にヴィットリアも親密さを示すようになり、二人は毎日会う約束をするが・・・。ヴィットリアは事務所の階段を下りていく。彼女の姿は消え、町中の喧噪があらわれる。そして舗道、郊外団地の風景・・・(フランス・イタリア合作、1962年、モノクロ)➡資料?O???????N

Directed by Michelangelo Antonioni Writing credits Michelangelo Antonioni (scenario and dialogue) & Tonino Guerra (scenario and dialogue) Cast: Alain Delon .... Piero / Monica Vitti .... Vittoria / Francisco Rabal .... Riccardo / Louis Seigner .... Ercoli / Lilla Brignone .... Vittoria's Mother / Rosanna Rory .... Anita (as Rossana Rory) / Mirella Ricciardi .... Marta リスニング;フランス語、ただし舞台はローマなのでイタリア語も混じる。

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男はつらいよ・柴又慕情 2004/10/28

男はつらいよ・柴又慕情帝釈天の門にあるツバメの巣には今年も巣作りにやってこない。巣を取り壊そうかという御前様だったが、さくらはもし帰ってきたら、泊まるところがなくてかわいそうだという。御前様はさくらが寅次郎のことを心配していると気づく。

博とさくらの夫婦は手狭になったアパートを出て家を新築をしたいと望んでいたが、資金が足りないのでおいちゃんおばちゃんは寅さんがいつも泊まっている二階を貸間にして少しでもお金の足しにしようと考えていたのだ。だが運悪くその札を取り去る間もなく寅さんが帰ってきてしまう。

貸間の札を見るなり、寅さんはがっかりしてとらやを立ち去っていってしまう。みんなが狼狽しているうち、不動産屋に連れられてきた寅さんがやってくる。寅さんは機嫌を直して家に落ち着くことになったが、無理矢理取られた不動産屋への手数料6千円のこともあって、その日の夕食は大荒れ。お互いを傷つけ合う言葉の応酬の果て、寅さんはその晩のうちにとらやを飛び出す。

寅さんは金沢の街で行商をしていた。旅館では久しぶりに舎弟の登に出会い、翌日には福井へ移動した。そのころ東京から、みどり、マリ、歌子の三人娘が北陸旅行に来ていたのだが、観光地の見物だけで今ひとつ旅がおもしろくない。偶然に茶屋で知り合った寅さんは写真を撮る際に「チーズ」の代わりの「バター」と言って笑わせ三人娘と意気投合し、東尋坊の海岸を回ってその日は楽しく過ごす。

4人はすっかり仲良くなり、東京での再会を約し特に歌子は記念の品を寅さんに渡して、3人娘は夕方の列車で東京に帰っていく。歌子は何となく幸せが薄いような雰囲気があり、寅さんはそんなこともあって里心がおきたか、ついふらふらと中川の土手に戻ってきてしまった。

男はつらいよ・柴又慕情柴又見物をしていたマリとみどりに再会した寅さんはようやくとらやに戻り、二人の話を聞いた歌子も翌日早速とらやに駆けつける。とらやでの歓迎を受けた歌子は暖かい雰囲気に感激して帰っていく。母親が離婚して家を去った後、偏屈な作家である父親との二人暮らしが続いている歌子にとっては何の遠慮もないとらやの人々に感激したのだ。

歌子の喜ぶ姿に、すっかり参っていた寅さんはすっかり彼女に惚れ込んでしまい再びとらやに遊びに来てくれる日を今か今かと待ちこがれる毎日となった。家族はまた恋の病が始まったかと困り果てたが、どうしようもない。

家族が寅さんの恋のゆくえを話し合っていたところを寅さんは聞いてしまい憤然ととらやを出ていこうとする矢先、歌子が再び訪れてきた。父親と喧嘩して泊めてもらいに来たのだ。寅さんはもちろん有頂天。翌日も歌子と中川へ遊びに行く。夕方は、博さくら夫婦によばれているという。

歌子の悩みは愛知県瀬戸市で陶芸の修業をしている恋人と結婚したいが、一人では何もできない父親のことがあって行動に踏み切れない歌子を博とさくらは元気づける。相談をしたおかげで歌子は勇気を取り戻し、恋人のもとに行く決心がついた。

寅さんもその夜真相を知る。再び旅に出るときが来た。さくらと中川の堤防に腰を下ろしながら「俺またフラれちゃったな」と独り言をつぶやくが、それがさくらに聞こえなかったはずはない。(1972年)➡資料?O???????N

監督:山田洋次 配役 車寅次郎 :.渥美清 さくら :.倍賞千恵子 車竜造 :.松村達雄(今回より) 車つね :.三崎千恵子 諏訪博 :.前田吟 車満男 :.中村はやと 梅太郎 :.太宰久雄 源公 :.佐藤蛾次郎 御前様 :.笠智衆 登 :.津坂匡章 みどり :.高橋基子 マリ :.泉洋子 高見 :.宮口精二 マドンナ;歌子 :.吉永小百合

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飢餓海峡 2004/11/06 (再)2014/08/04 (再)2021/06/15

飢餓海峡日本映画としては珍しくスケールの大きい作品。岩内→函館→大湊→東京→舞鶴と列島縦断の舞台展開もさることながら、この時代の貧困の中にうごめく人々の生きざまが180分という時間の中に大きく描き出されているのだ。

昭和22年、津軽海峡にやってきた台風のため、青函連絡船「層雲丸」は函館の手前で転覆し、500人以上にのぼる死者を出した。このとき大勢の人々が救援にかけつけていた砂浜に3人の男たちの姿があった。

網走の刑務所から出てきた沼田と木島は積丹半島の付け根、岩内の町で質屋を放火し金を奪った。もう一人の男、犬飼もこれに関わっていたらしい。三人は急いで北海道を離れ内地へ向かおうとしたが、台風の影響で列車が函館の手前で運行を見合わせたため、徒歩で海岸にやってきたのだ。

三人は大騒ぎの最中に消防隊だとだまして小舟を借り受け、荒れた海峡に乗り出した。だが沼田と木内はそれぞれ額に特有の傷を受けて溺死し、犬飼だけが下北半島の仏ヶ浦にたどり着いた。犬飼が二人を船上で殺したのだろうか。

奪った金は犬飼のもとに残っていた(のか、彼が二人から強奪したのか?)。乗ってきた船を岩場に引き上げて燃やして証拠を消した。森林鉄道に便乗して大湊へ向かう。車内には大湊の色町の女、杉戸八重が乗っており、二人は親しくなった。

先を急ぐ犬飼はそのまま南下するはずだったが八重のいる宿に寄ってみたくなった。八重は大喜びで伸びた爪を切ってやるなど、犬飼を優しく受け入れてくれた。疲労と空腹に参っていた犬飼は元気を取り戻し、お礼の気持に数万円を渡して大湊を立ち去る。

突然に大金が手に入った八重は呆気にとられる。母親が死んでひとり残された父親や、まだ独立していない弟たちにお金を分け与えると、残りを持って東京へ出る決心をする。だが連絡船の溺死者がどうしても二人余計に出たことで動き始めた警察では、刑事の弓坂が八重父娘の宿泊する温泉宿に聞き込みに来ていたのだ。

弓坂の質問に八重は知らぬ存ぜぬを通し、東京へ向かう。弓坂も出張を願い出て東京で待ち伏せするが、八重に気づかれてしまい、ついにこれ以上の詳しい情報を得ることはできなかった。八重は最初飲み屋の手伝いをするがヤクザが出没するのに嫌気がさし、娼家で正式に働くことになった。

八重は夜になるとちり紙の中に入れた犬飼の爪を取り出してはその夜のことを思い出して恍惚となるのだった。今や犬飼が自分にとっての生きる原動力となり、すでに持っているお金に上乗せしてせっせと金をためている。

ある日、新聞に舞鶴の富豪、樽見京一郎という男が慈善団体に巨額の寄付をしたことが載っていた。その写真を見た八重は犬飼だと直感し、直ちに舞鶴へ向かう。だが自分の過去が知れることをおそれた樽見は自分が犬飼であることを認めようとしない。だが八重は親指の傷を見つけた。

夢中ですがりつく八重に恐れをなした犬飼はその場で八重を抱き殺してしまう。しかもその現場を見てしまった書生の竹中も殺してしまう。雨の中オート三輪に死体を乗せて岩場から投げ捨てた犬飼は二人が心中をしたかのように見せかけ、何食わぬ顔で警察に出頭する。

若手の刑事、味村は下北半島から駆けつけた八重の父親の話から八重が樽見にはるばる会いに来ていたことを知り、樽見が犯人だと目星をつけるが犯行の決定的証拠がない。10年前に犬飼を追っていた弓坂の助けがどうしても必要だと、青森県まで今では刑事をやめた弓坂に協力を要請しにいく。

だが、最初の取り調べでは捜査一課の準備が不十分で樽見に軽くいなされてしまう。再び調査を行った刑事たちは、今更ながら犬飼や八重たちの「飢餓」のつきまとう極貧生活の過去を知り、一連の犯罪がそこから生まれてきたことを知る。八重が大切に持っていた自分の爪を見せられた犬飼はようやく自分が八重や竹中を殺したことを認めるようなそぶりを見せ始めた。

だが、戦後の混乱や連絡船遭難の事故のさなかに起きた放火殺人や、ふたりの男の殺害に関しては今や物的証拠は何もなく、犬飼が自分の無実を主張しても、味村たちは反論するすべを知らなかった。帰り際に弓坂が留置場にいる犬飼に袋に入れた灰を置いてゆく。あの小舟を燃やした跡にあった灰だ。この灰で犬飼の良心に何かが起こった。

何も八重を殺さなくても、犬飼を深く敬愛する彼女は決して過去の秘密を漏らすことはなかっただろう、と言う弓坂の言葉に深刻な衝撃を受けた犬飼は、自分の過去を検証するために手錠をはめたまま、下北や函館の地へ訪れることを願い出た。自白のチャンスと見た捜査陣は犬飼を連れて青函連絡船に乗ったのだが・・・(1965年・モノクロ)資料外部リンク

監督 ・・・内田吐夢 脚本 ・・・.鈴木尚也 原作 ・・・.水上勉 配役:犬飼多吉こと樽見京一郎 ・・・.  三国連太郎 / 杉戸八重 ・・・.  左幸子 / 味村時雄・東舞鶴署捜査係長 ・・・.  高倉健 / 弓坂吉太郎・函館署警部補 ・・・.  伴淳三郎

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男はつらいよ・寅次郎夢枕 2004/11/11

男はつらいよ・寅次郎夢枕恋愛とは何か、これは実際に恋した者でなければわからない。意外と世の中には一度も恋愛感情を抱いたこともない人は多いものだ。もちろん寅さんはそんなときどんな気持ちになるのかよく心得ている。ただしそのあとが・・・。今回は相思相愛だからもしこれでハッピーエンドになっていれば寅さんシリーズはこれで終わっていたかもしれない。

ある日寅さんが柴又にふらりと戻ってくると、お寺で母親が子供に向かって叱る声が聞こえる。「そんなことをすると寅さんみたくなっちまうよ・・・」これを聞いた寅さんは愕然とする。しかもお寺の門には「トラのバカ」と落書きがしてある。

とらやに帰ってもみんなが談笑しているのを見て自分を馬鹿にしているのだと思いこんでしまう。一時はお互いにほめ合うことがみんなでうまくやっていくために必要だとわかったものの、寅さんが身を固めるためにと翌日からみんなで始めた嫁探しはことごとく断られ、大喧嘩のあげく寅さんは家を飛び出す。

信州を歩き、旧家を守るおばあさんのもとで一服した寅さんは、仲間の一人がここを訪れた際に急に気分が悪くなりこの家で息を引き取ったと聞かされる。墓参りを済ませたあと、渡世人の葬式まで出してくれたおばあさんの心優しさに打たれた寅さんは再び柴又に戻る気持ちになった。

男はつらいよ・寅次郎夢枕戻ってみると理論物理学の東大助教授、岡倉が二階の自分の部屋に官舎の改築が完成するまで当分下宿するということを聞いて大喧嘩になり寅さんは飛び出して行こうとするが、店先でさくらに会いに来た同級生の千代とばったりあってしまった。

千代はかつては裕福な呉服屋の一人娘で華やかな結婚式を挙げたのだが呉服屋はつぶれ、夫とも別れて柴又町内の母親のもとで美容院をやっている。昔とは見違えるように綺麗になった千代を寅さんが放っておくはずがない。

寅さんは何かと理由をつけて美容院のまわりを出たり入ったり。だが千代も悪い気がしない。別れた夫のもとに暮らす息子がはるばる自転車で柴又まで会いに来たがほんの一瞬しか会えなかったために悲嘆にくれる千代を寅さんは一生懸命慰めようとする。

一方学者で学問にしか興味のない岡倉だが、これも千代を見てすっかり参ってしまう。だが今まで恋愛の経験がまったくないからどうしていいか分からない。勉強もまったく手につかず恋の病がこうじて寝込んでしまった。

寅さんは自分も千代に惚れてはいるが岡倉がかわいそうになった。まずは恋愛とはどんな感情なのかを講義する。そして千代に岡倉の気持ちを伝える役をかってでることになった。

千代を一日外に連れだし、あちこち連れ回った寅さんだったがなかなか本題に入らない。しびれを切らした千代が、「そろそろ身を固めた方がいいのではないの」と寅さんに言われ自分にプロポーズしたと思いこんでしまう。千代は寅さんが気に入っていた。プロポーズを受けてもいいと思っていたのだ。

ところが寅さんは早く「あいつ」に伝えに行くという。「あいつ」が岡倉だと聞かされた千代は自分が寅さんに対して思っていたことを話し始めるが、最後のつめで甲斐性のない寅さんはすっかり萎縮してしまっている。悔恨の瞬間!それを見て千代はさっと表情を変えると「今のは冗談なのよ」と言って去って行く。

みんなが心配して注視する中、とらやに帰ると待っていた岡倉に話はダメだったと告げ、自分もすぐに身支度をして旅に出る。さくらにも何も言わずに。あれからも千代は自分が寅さんに「振られた」と思いこんでいる。(1972年)➡資料?O???????N

監督 .....山田洋次 脚本 .....山田洋次 朝間義隆 原作 ....山田洋次 配役;車寅次郎・・・渥美清 さくら・・・倍賞千恵子 岡倉・・・米倉斉加年 信州のおばあさん・・・田中絹代 登・・・津坂匡章 マドンナ;千代・・・八千草薫

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世界残酷物語 Mondo cane 2004/11/14

世界残酷物語イタリアのジャコペッティ監督の三部作の一つ。あとの二つは「続・世界残酷物語」と「さらばアフリカ」である。単に残虐シーンを集めたものという評判もあるようだが、事実の取材だとすればそれをどう受け取るかはそれぞれの観客に任されているといえよう。気持ち悪いと思う人は見る必要はないのだ。なお、画面の凄惨さとは対照的にテーマミュージック「モア」は映画とは別に一人歩きしてスタンダード曲になった。

冒頭に野犬が一匹無数の犬たちが吠えたてる中に連れてこられて金網の向こうに放り込まれる場面がある。題して Mondo cane (犬の世界)。これが「残酷」のタイトルをもらったのは、確かにそのようなシーンがいくつかあったからなのだが、世界の現実を集めて作ったドキュメンタリーだからそういう場面があっても少しもおかしくない。これは世界の多様性の存在を偏狭なローカル性に染まった人々に教えてくれる教科書なのだ。居ながらにしてカルチャーショックを受けることができるのだ。

最初は女たちが若い男たちを追いかけるというほほえましい性の祭典が展開する。性欲の次は食欲だ。人間何事も中庸をわきまえることが実に難しいらしい。食べ過ぎの光景が世界各地で紹介される。今ではすっかり日常生活の一部になった肥満者のジムがよいもこの映画では目新しい話題なのだ。

しばらく「過食」の話題が続く。酋長の妻になるために、120キロの体重を目指してひたすらイモを食べる女。5年の間をおいて育てた豚を一斉に撲殺して大パーティを開くパプア島の住民たち。ここにも極端に走らずに入られない人間の姿がある。

場所は変わって海洋だ。当時はアメリカをはじめとする大国が核実験を繰り返した時代だ。世界の大気も水も放射能にまみれた。この映画の圧巻は放射能によって方向感覚を失い砂漠の真ん中に迷い込んで死んだウミガメの骸骨であろう。渡りをするチョウチョの死骸、孵らないカモメの卵などとあわせ、この映画でなく、人間そのものの残酷さが浮き彫りにされる。

世界残酷物語動物を殺す場面もたくさん出てくるが、そのほとんどは食べるためであり相手に苦痛を与えるのを喜びとする場面は出てこないのが救いだ。むしろ肉を食べる人は自分ではできない「屠殺」という行為を他人に任していることを自覚する必要がある。

所々にまったく残酷でない場面も挿入される。オーストラリア海岸での少女救命隊員の訓練の模様、ドイツハンブルグでのビールに酔った人々、体にペンキを浸して自分を絵筆代わりにキャンバスに絵を描くシーンなどだ。これらを見るとこの映画は「人間の生態」というタイトルの方が向いている。

制作されてから半世紀も経つと、残酷なものや異様なもので日常的なことになっている場合が少なくないのに気づく。私が第1回目を見たのはもう40年も前の話だ。そのころはこの映画のシーンが大変評判になったものだが、今上映しても少しもセンセーションを巻き起こすことはないだろう。(1962年イタリア映画)➡資料?O???????N

Directed by Paolo Cavara Gualtiero Jacopetti Writing credits Paolo Cavara Gualtiero Jacopetti リスニング;イタリア語(ナレーションのみ)

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駅 Station 2004/11/18 (再)2012/12/24

駅Station北海道に住む射撃の得意な警官の10年を描く。離婚、オリンピック出場、犯人射殺を巡って3人の女が彼の前を通り過ぎる。鉄道の駅を中心に展開する人生劇の佳作である。

北海道銭函署の警察官、三上英次は射撃の腕を買われてメキシコ・オリンピックに日本代表として出場することになっていた。だが家庭生活では妻直子が犯した一度の過ちのために、三上は離婚を望んだ。銭函の駅で三上は妻とまだ幼い子が去っていくのを見送ったのだった。自分が馬鹿なんだと思いつつももはや妻との生活を続けることはできなかったのだ。

連続ピストル射殺事件が発生した。警察の検問の最中に、犯人は三上の先輩である小川刑事の心臓を撃って逃走した。小川の殉職に三上は復讐を誓うが、上司にオリンッピック出場準備に専念するように命令される。

事件は未解決のまま数年後、今度は赤いミニスカートをはいた若い女が次々と乱暴され殺される事件が発生した。オートバイに乗った若い男吉松五郎が犯人らしいがゆくえがわからない。刑事たちは妹のすず子が働く留萌本線増毛(ましけ)駅そばにある風待食堂に張り込みを続けた。

鈴子は頭が弱いふうでいながら実は兄のしたことも所在もわかっているらしい。三上は妹が兄と出会うことを突き止め、町のチンピラですず子とつきあっている木下の協力を得て、上砂川の駅を線路づたいにやってきた吉松五郎を張り込んで逮捕した。兄に取りすがって泣き叫ぶ妹の姿を見て、最近妹が遠いところへ嫁いだばかりの三上は何かやりきれないものを感じていた。

オリンピック出場後、後輩の不満からコーチを降ろされた三上は狙撃班に任命され、ピストル事件が発生するたびに出動させられた。ある時はビルに立てこもった凶悪犯二人を、出前のラーメン屋を装った三上が射殺した。ところがその場にいた犯人の一人の母親は三上を「人殺し!」とわめき立てるのだった。それはあとになっても三上の夢にたびたび現れた。

それから数年後の暮れ、吉松五郎の死刑が執行された。三上は密かに匿名で刑務所にいる吉松に差し入れをしていた。知らせを聞いたあと三上はまだ風待ち食堂で働くすず子の様子をそっとうかがったあと、五郎のまだ新しい卒塔婆に花を手向けるのだった。

三上の郷里は増毛の港から道路がないために船で海岸づたいに南に下ったところにある雄冬(おふゆ)という港町だった。12月30日、折からの雪まじりの強風のため連絡船は欠航となり三上は増毛の町に足止めされる。

年の暮れにも関わらず開いていたためにふらりと入った飲み屋「桐子」で三上は女将の桐子に気に入られる。桐子は独り身で処女だそうだ。年末から正月にかけて水商売の女の自殺が増えるのだという。どんなに遊び好きな男もこの時期には家庭に帰ってしまうからだ。テレビからは八代亜紀の「舟歌」が流れる。「お酒はぬるめがいい・・・肴はあぶったイカでいい・・・、女は無口な方がいい・・・」で始まるこの歌が桐子は大好きなのだ。

翌日親しさが増した二人は映画館に出かけ、大晦日の夜を共に過ごす。翌日二人は元朝参りに近所の神社へ出かけた。桐子が髭面の男に会釈をしたのを見て、三上はようやく運行を再開した船に乗り込んで郷里へ赴いた。

兄夫婦と暮らす母はもう年を取り少しぼけてはいたが三上の帰郷を喜んだ。同郷の学校時代の仲間たちと会い、警官の仕事を辞めて戻ってこようかなと漏らすのだった。弟は関東に出稼ぎに行った折り直子と会っていた。電話番号を教えられた三上はひそかに夜にかけ、涙声の直子から息子の成長を知るのだった。

増毛に戻った三上は桐子に自分は警官をやめここに戻ってくるつもりだと告げて列車に乗り込む。深川に着いてみるとピストル射殺事件が発生していた。駅の人相書きにあった男は10年前に三上の先輩小川刑事を撃った犯人だったのだ。同時に女の声でこの男についてのたれ込みがあった。

神社で見た髭面の男を思いだした三上は直ちに桐子のアパートへ向かう。部屋の奥には男がいた。十年前の出来事を告げると男はいきなり発砲してきた。すかさず三上は男を射殺する。桐子は「そういうことだったのね」とつぶやく。

取調中、桐子は自分は男に脅されていたのではなく自分からかくまっていたのだと言った。ではなぜたれ込みをしたのかと係官が尋ねると「男と女の間だから」と言うだけだった。三上のことは口にしなかった。三上は「桐子」で無言で別れを告げると駅に向かい、待合室のストーブの中に辞表を投げ入れた。(1981年・東宝)➡資料?O???????N

監督:降旗康男 脚本:倉本聰 音楽:宇崎竜童 キャスト(役名) 高倉健(三上英次) いしだあゆみ(三上直子) 池部良(中川警視) 烏丸せつこ(吉松すず子) 根津甚八(吉松五郎) 宇崎竜童(木下雪夫) 田中邦衛(菅原)鬼雷太(小川刑事)倍賞千恵子(桐子) 武田鉄矢(列車の客)

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男はつらいよ・寅次郎恋やつれ 2004/11/23

男はつらいよ・寅次郎恋やつれ寅さんは島根県温泉津(ゆうつ)温泉から柴又へ戻ってきたところ。自分が嫁さんを連れてとらやに入る夢を見ているうち、乗り過ごしてしまう。実はかの地で寅さんは絹代という、夫が蒸発してしまった瓶焼きの女にすっかり惚れてしまい、近くの旅館で番頭をしながら暮らしていたのだ。

海の幸をたくさん土産に持ち帰った寅さんを前にしてとらやのみんなはてっきり絹代と結婚の約束をしたのだと早とちりしてしまう。そこまで話が進んでいないとがっかりしたがそれでもさくらはちょうど大阪に用事のあるタコ社長と一度絹代に会ってみることにする。

現地に着いてみると、なんと絹代のゆくえ不明だった夫が戻ってきたのだという。一瞬のうちに恋が潰えた寅さんは一人中国山地の方へさまよって行く。津和野についてラーメンをすすっていると、土地の図書館館員が店に入ってきた。それは「柴又慕情」で父の反対を押し切り青年陶芸家と一緒になった歌子だったのだ。

前年の暮れに夫は病気で死に、最期を見とった実家のあるこの津和野で姑と一緒に暮らしていたのだった。誰も知る人もなくひとりぼっちで知らない土地に暮らす歌子だったが、寅さんはバス停で別れたときの彼女の顔が忘れられない。すっかり憔悴しきって再びとらやに舞い戻った。

寅さんはせっかく会いながらも寂しい暮らしをしている歌子を津和野の地においてきたことを後悔して再び戻ろうと決心したとき、とらやの店先に歌子が現れた。寅さんの姿を見て東京に戻る決心がついたのだ。寅さんは有頂天になる。歌子はしばらくとらやの二階に寝泊まりして、自立するのにふさわしい仕事を探すことになった。

男はつらいよ・寅次郎恋やつれ気のおけないとらやの人々の歓迎に、歌子は再び元気を取り戻す。ただ結婚にも反対して夫の葬式にもやってこなかった父親とは歌子はどうしても会いたくなかった。さくらが心配して父親に会いにゆき、歌子が柴又にいることを告げる。

夫のいない今、歌子は何とか自立したい。そして自分のやりたいことを通して幸せになりたいのだ。とらやの茶の間でみんなが集まっているとき、金があれば幸福かという話になる。金があればある程度は幸福になる準備はできるが、まわりの人とのつながりがあれば本当の幸福になれると博は言う。

父親との絶縁のことで相談を受けた寅さんはさっそく父親のもとに乗り込む。ナポレオンをからにして待ったあげく、寅さんは父親に向かって娘に対する態度のことを強い調子で説教した。みんなの心配とはうらはらにこれが功を奏し、反省した父親は歌子に会いにわざわざとらやまで訪ねてきたのだった。

おかげで父娘の和解が実現した。仕事も見つかった。伊豆大島にある施設で障害のある子供たちの世話をすることになったのだった。父親譲りの頑固さを持った歌子は、自分がいったんやると決めたらまっすぐ進むだけだ。花火大会で夜空が明るくきらめく晩、寅さんは歌子を訪れた。「浴衣姿が綺麗だね」とつぶやいたのが歌子には聞こえなかったらしいが・・・再び放浪の旅に出た。(1974年)➡資料?O???????N

監督: 山田洋次 脚本: 山田洋次  朝間義隆 キャスト(役名) 渥美清(車寅次郎) 倍賞千恵子(さくら)宮口精二(高見修吉) マドンナ; 吉永小百合(歌子)

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津軽じょんがら節 2004/11/25

津軽じょんがら節大波がうち寄せる津軽半島の海岸。津軽三味線の旋律が流れる。五所川原市までバスに乗れば2時間もかかるシジミで有名な十三湖の近くである。東京から来たふたりの男女がバス停に降り立った。

中里イサ子はかつて地元のシジミとり寺田の息子と結婚して東京に出たがまもなく別れ、ヤクザの岩城と知り合い一緒に暮らしていた。ところが岩城は相手の組の者を刺し、身を隠さなければならなくなった。津軽はイサ子のふるさとだったのだ。だが両親はすでになく、自分の幼い頃暮らした日本海の波しぶきが飛んでくるあばら屋は借金のかたにとられ杉本という一家が住んでいるのだった。

とりあえず暮らしをたてなければならない。イサ子は地元の飲み屋に勤めることになった。岩城は遊びに行くところもなくかといってへたに人の集まるところに出れば追っ手の者に発見される恐れがあり、二人で借りた狭い部屋でごろごろしているのだった。

その昔、イサ子の父と兄は漁に出て行方不明になり、まともな墓さえ建っていなかった。イサ子は故郷に戻ったのを契機に金を貯め二人のために立派な墓を作ってやろうと心に決めるのだった。そして一生懸命働き始める。

一方暇を持て余した岩城は集落のあちこちを歩き回る。ある日岩浜で釣りをしている盲目の少女杉本ユキを見かけた。彼女は母親と祖母と3人暮らしをしていた。ユキが生まれながらに目が見えないことはたたりのせいだと集落の人々は思いこんでいる。

津軽じょんがら節岩城ははじめユキをからかおうとするが彼女の純粋な心に触れて思いとどまる。そして不思議な好意が芽生えていくのだった。イタコの弟子になるために連れて行かれそうになったときは、ユキのかわいそうな運命を思って連れ戻させた。

一方イサ子は何とか父親と兄にかかっていた保険金を手に入れようとするが、保険事務局では拒絶の回答をよこした。がっかりして戻ってきたイサ子にさらに打撃が加わった。一緒に飲み屋で働いていた晴美が店の金もイサ子の貯金もみんなもって姿を消してしまったのだ。イサ子はもうこんな故郷にいる気がなくなった。

しばらくは失業保険で遊んでいる男たちとのばくちで過ごしていた岩城だったが、冬が近づいて男たちが出稼ぎのために村を出てしまうと何もすることがなくなった。シジミとり寺田のもとで試しに手伝いをやってみた。海での労働はすがすがしく岩城は汗を大いにかいて久しぶりの爽快感や充実感を味わった。集落の男たちはわずかな金が欲しいために出稼ぎに行ってしまい、海辺の産業は衰退の一途にあるのだ。「欲を少し押さえればこのあたりでも十分生活できるのに」と寺田は言う。

イサ子は岩城に別の場所に移りたいと言い出す。だが岩城はここがなんだか故郷になったような気がしはじめていた。飲み屋の親父からユキを観光客相手の売春をさせようという話を持ちかけられたときもいったんは引き受けたものの自責の念に駆られ、客の部屋にいるユキを救いにとって返した。

岩田の息子、つまりかつてのイサ子の夫が事故で死んだ。岩城は今この地を離れられないと言う。翌朝イサ子は寝ている岩城に向かって「故郷のないあんたに新しい故郷ができてよかったね」とつぶやいて津軽を去っていく。岩城はシジミとりを本格的に始めた。ユキを妻として抱いた。新しい生活が始まろうとしていた。だが・・・(1973年)➡資料?O???????N

監督: 斎藤耕一 脚本: 中島丈博  キャスト(役名) 江波杏子(中里イサ子) 織田あきら(岩城徹男) 中川三穂子(杉本ユキ) 寺田農(赤塚豊)

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男はつらいよ・寅次郎相合い傘 2004/12/02

男はつらいよ・寅次郎相合い傘寅さんの見た夢は自分が海賊船の船長になって奴隷船を襲い、その中で捕まっていた妹さくらを救い出して柴又島へと向かうところ。目が覚めてみると自分は北海道にいる。八戸からついてきた男、兵藤(ヒョウドウ)謙次郎はいつまでの離れようとしない。

兵藤は東京のサラリーマンだったが、妻や娘たちの冷たい接し方に嫌気がさし蒸発してきたのだった。人生も会社も家庭も何もかもいやになっていた。それでも寅さんと旅をしていると、今までになかった人生がみえてきて新鮮な感動を受ける。

寅さんも責任を感じてとらやに長距離電話をかける。電話に出たさくらに兵藤の妻に連絡して夫が元気にしていることを伝えてくれるように頼む。一方、ある日、第11作で寿司屋の職人と結婚したリリーがとらやをひょっこり訪ねてきた。落ち着いた生活が性に合わず、夫とは別れてしまったのだという。寅さんがいないと知ると再び放浪の旅に出ていった。

男はつらいよ・寅次郎相合い傘函館の街で、リリーは寅さんと夜泣きソバの店で偶然再会する。兵藤と連れ立っての道中途中金がなくなり、3人で駅のベンチに寝たり、素人の兵藤がたたき売りをしてみたら客が大勢来てみたり。

兵頭が小樽の街にやってきたのは昔惚れていた初恋の人の姿を一目見たいからでもあったのだ。初恋の人は夫に死なれ、喫茶店をひとりで切り盛りしていた。兵藤が店にはいると彼女はすぐに気づいたのだが、すぐに口もほとんど聞かずに出てきてしまった。でもそれでよかったのかも。だが、兵頭の行動をリリーが批判すると、些細なことでリリーと寅さんは大げんかになり、兵藤も東京に帰ることになって三人はバラバラになる。

久しぶりに寅さんは柴又に戻ってきた。リリーと喧嘩別れしたことを悔やむ寅さんを家族はみんな心配してくれているところへ、リリーがやってきた。寅さんは大喜び。喧嘩をしてもすぐに仲良くなるところなど、夫婦喧嘩みたいなものだ、とさくらと博は話し合っていた。しばらくリリーはとらやに泊めてもらうことになった。だが流しの歌手であるリリーの暮らしは辛い。場末の小さな居酒屋みたいなところで歌い、やっと暮らしをたてているのだった。

ある日、家に戻った兵藤がメロンを持って挨拶にやってきた。おばちゃんが寅さんの分を切るのを忘れたために、本人は大むくれ。大騒ぎとなり、リリーが諭すと怒って出ていってしまったが、その日遅く、雨の中仕事から帰ってきたリリーを、寅さんは傘を持って柴又駅前で待っていたのだった。

その仲の良さに、博とさくら夫婦はリリーに寅さんと結婚する気があるか聞いてみる。リリーは大きくうなずいた。さくらはリリーにその気があると確信した。それなのに、寅さんが帰ってきてその話をしても、寅さんはまじめに取り合おうとしない。「お前そんなの冗談だろう?」という寅さんの問いに、一瞬考えた様子のリリーは「もちろんよ、冗談に決まっているじゃない」と答える。その瞬間、寅さんの顔が引きつる。第10作「夢枕」の時の千代との場合によく似ている。心と言葉のすれちがい。リリーはアパートを見つけてとらやを去っていった。(1975年)➡資料?O???????N

監督:山田洋次 脚本:山田洋次 朝間義隆 原作:山田洋次 配役:車寅次郎 ・・・.渥美清 さくら ・・・.倍賞千恵子 兵藤謙次郎 ・・・.船越英二 マドンナ;リリー ・・・.浅丘ルリ子

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裸の島 2004/12/07 (再)2024/04/23

裸の島全編セリフなし。モノクロでもある。映画の新しい可能性を見せてくれる意欲作だ。ここでの労働は決して単純な繰り返しではない。表向きはそう見えても決して苦役ではない。家族の死もあるが、それにも関わらず家族は生きる。生活が途切れずにリズムとして続いてゆく。そのようなシンプルな事実が観客に感動を与えることもあるのだ。

尾道に近い瀬戸内海に浮かぶ小島に、若い夫婦と小学生と就学前の息子二人が住んでいる。その島はその家族しか住んでおらず大変小さいので水がない。夫婦は対岸の本土に櫓(ろ)こぎ舟でわたり、田んぼから水をくんでは舟に積み込み、はるばる海を渡って運んでこなければならない。

今は夏だ、降水量の少ない地域のことなので、どんどん水を運び込まなければならない。夫婦は朝早くから水をくんで戻ってきた。小学生の長男が朝御飯を作りみんなで大急ぎで食べた後、母親が子どもを舟に乗せて再び本土にある小学校へと運ぶ。

島は山になっており、平らなところはほとんどない。日本人が昔から工夫してきた段々畑が作られており、まさに「耕して天に至る」のである。船から水の入った桶を降ろしてもその先が大変なのだ。天秤の両端にそれぞれの水桶をつり下げバランスを取りながら急なあぜ道を登って行く。夫の方はともかく、妻は体が細く今にも転びそうだ。

山頂で植え付けた野菜一本一本の根を広げさせるため、根本にではなく、その横に柄杓(ひしゃく)で水をかけてゆく。その数は大変なものなので、とても一回の本土との往復では間に合わないのだ。夕方の往復では学校を終えた長男が桟橋で待っていて、母親と一緒に舟に乗って帰る。

やがて夕餉(ゆうげ)の時間になった。風呂はドラム缶の下から直接薪を燃やす「五右衛門(ごえもん)風呂」。遙か瀬戸内の夕暮れを眺めながら家族が順番に入ってゆく。仕事は水かけ作業にとどまらない。薪を集めること、などあらゆる仕事が待っている。子どもたちは海岸でタコや魚を釣る。

秋になった。収穫のシーズンである。取り入れ、まとめて小舟に積み込む。また麦を植えて来年に備える。対岸に出かけて買い物もする。冬はこの地では比較的温暖なのだが、麦踏みをして根つきをよくする。家の中では藁を使って筵(むしろ)や草鞋(わらじ)を編む。

そして春がやってきた。麦の収穫シーズンだ。夫婦は俵に麦を詰めて対岸の大きな家に運び込んだ。また畑の維持管理も必要だ。樹木の太い根を取り去って少しでも畑の面積を広げ、海から海草をとって山に運び上げ肥料とする。

次男が大きな鯛を釣り上げた。まだ生きていたのでこれを桶に入れて連絡船に乗り、遠くの街に売りに出かけた。魚が売れるとその代金でみんなで食事をしたり衣服を買ったりする。

ある日夫婦が本土に舟で出かけている間に長男が急に苦しみだした。次男は気が気ではない。ようやく夫婦が戻ってきて父親はすぐに対岸に医者を呼びに行った。だが往診に出かけていて見つけるのに手間取り、ようやく戻ってきたときには長男は息を引き取っていた。

長男の通っていた小学校の同級生とその先生、そして僧侶が船で島にやってきた。小さな棺に入れられた長男は島の山頂に担ぎ上げられ葬式が始まった。花束や思い出の品が投げ込まれた後、材木を入れて火がつけられた。

母親はその後しばらくどうしても息子の死のショックから立ち直ることができなかった。山頂の畑ですべてを放り出すと地面に伏して泣き伏した。だが父親は黙々と野菜に水をかけ続けているのを見て、再びいつもの生活に戻ることになる。(1960年)➡資料?O???????N

監督: 新藤兼人 脚本: 新藤兼人 キャスト(役名) 乙羽信子(トヨ) 殿山泰司(千太) 田中伸二(太郎) 堀本正紀(次郎)

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長崎ぶらぶら節 2004/12/9

長崎ぶらぶら節明治から昭和の初期にかけて生きた長崎の実在の芸子、愛八(あいはち)、本名松尾サダの生涯を描く。実際の彼女の写真を見ると大変な美人であるが、吉永小百合とは顔のタイプがまったく違う。それでも彼女の三味線による弾き語りの熱演によって一度長崎を訪れてみたいと思う人の数は増えるだろう。

原作となったなかにし礼の小説にせよ、実際の愛八にせよ、中で起こる事件に違いはあってもその人助けの好きな明るい性格がこの話の中心である。無類の相撲好きで、地元の若い力士を後援し、土俵には無料招待券で出入りするほどである。

また子ども好きも近所で評判だった。深夜に仕事が終わって帰るとき、通りでまだ売り切れないで家に帰れないでいる物売りの子どもたちの商品をみんな買い取ってしまうのだった。人が困っていると助けずにいられない性格だったのだ。

明治16年、近隣の漁村から家族が食い詰めたために愛八は売りに出され、付き添いの男と共に歩いて長崎の街にやってきた。途中その男から「長崎ぶらぶら節」という古い歌を教わり、大声で歌いながら峠を下ってきた。丸山地区にある芸子の養成所に入れられた。

それから40年。もうすっかりベテランとなり長崎で最も歌がうまく、丸山芸子の最長老でもある。ある日町中の大問屋、「万(よろず)屋」の旦那である古賀十二郎が珍しく街のはずれにあるこの丸山で宴会を開くことになった。別の地区から来たライバルの芸子たちも交えてどんちゃん騒ぎになったが、その途方もない金の使い方に愛八はあきれ、気分さえ悪くなった。

数日して愛八がベルサイユ軍縮条約の取り決めによってせっかく作られた軍艦「土佐」が処分のため港から引かれているのを見送りに、見晴らしのいい岬に来ていると、そこに古賀がいるではないか。それもどうも投身自殺をしようとしているみたいだ。

古賀は自分の財産に嫌気がさし、これまで使い放題に使ってきたという。もうこれですっかり一文無しになったのだとさっぱりした顔で言う。愛八はそれを聞いて何か引かれる思いであった。身投げを止めようとした愛八に向かって、古賀はこれからは長崎の古い歌を収集したいのだが、どうか手伝ってくれといいその場を去っていった。しばらくして新聞に「万屋倒産」の記事が載る。

その後、愛八は何度も古賀の歌の収集作業に同行する。土地の古老に話を聞き、歌詞を書き取り、持参した三味線で歌ってそれは2年にも及んだ。二人は気が合い、それはまわりの噂にもなったが、愛八は気にもとめずかえって今の旦那と手を切ってもらい、自由な身の上でいることを望んだ。

ある日古賀が「長崎ぶらぶら節」という曲を何とかして復元したいと言ってきた。二人で遠くの土地まで出かけ90を越えた老婆にようやく出会い、その歌詞は手に入れたが、メロディが出てこない。しかし老婆のとつとつとしたフレーズを聴いて、突然愛八は自分が長崎に連れてこられたときに付き添いの男から教わった歌を思い出した。

その夜二人は旅館に泊まるが、古賀は自分が生活力も何もない人間でふたりの先には未来がないと告げ、ぶらぶら節の発見をもってふたりの間を終わりにしたいという。愛八は古賀に添い寝をしながら別れを惜しんだ。別れの印に古賀は「浜節」という歌の歌詞を愛八に贈る。

街の物売りで、愛八がかわいがっていた娘、お雪の母親が男と駆け落ちをし、愛八が引き取ることになった。お雪は愛八の指導で歌がどんどんうまくなったのだが、しかしまもなく喀血のため絶対安静と入院をしなければならなくなる。しかし金がない。前の旦那との手切れ金は弟に横取りされ、とっくの昔に消えていた。愛八は自分の着物を質に入れてまで病院代を工面しようとした。

ある日東京から有名な音楽家がやってきて愛八に得意の歌を歌ってくれと言う。おかげで「ぶらぶら節」はレコード会社に持ち込まれ「浜節」とのカップリングで広く売られるようになった。愛八はラジオに出演もした。

そんなときに古賀の妻、艶子があらわれて「浜節」の歌詞の使用料だと言って大金を差し出した。しかも古賀の言づてとして、どうせ愛八は受け取りを断るだろうから、人のためになるように使ってくれとまで言い添えていた。愛八は自分の心の中までわかっている古賀にますます思慕を感じるのだった。

そのお金はお雪のお披露目に使われることになった。もう寄る年波で心臓の調子もあまりよくない愛八にとってお雪がこの世界でデビューすることは子どものいない自分にとってかねてからの夢であった。

宴会場で、古賀の見る前で「浜節」にあわせお雪は見事な踊りを踊って見せた。姿を見せない愛八は神社にお雪の成功のために願掛けにおもむいていたのだった・・・(2000年・東映)➡資料?O???????N

監督: 深町幸男 原作: なかにし礼  キャスト(役名) 吉永小百合  (愛八(松尾サダ)) 渡哲也  (古賀十二郎) 高島礼子  (米吉) 原田知世(梅次) 藤村志保  (山口お雪) いしだあゆみ(古賀艶子) 尾上紫 (雪千代) 高橋かおり (お喜美)

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非常線の女 12/13/2004

非常線の女田中絹代がギャングの女を演じる。彼女は何を演じさせても独特の人柄をかもし出す。この小津監督の下で最初は蓮っ葉な女だったのが恋人がほかの女に気が向くときに自分の生き方を180度変換させる見事な演技を見せてくれる。

時子はタイピストだが、街のチンピラ仲間の間では姉御的な存在だ。ボクシングジムのボス、襄二の女として幅を利かせている。その魅力的であけっぴろげな性格で、会社では社長の息子に言い寄られ、ルビーの指輪などの贈り物を受け取ったりしている。

襄二はボクシングの修行をやめてもその強さはジムではぴか一なので、多くの子分を引き連れ、みんなの憧れだった。ジムの新人である宏もその一人で、わざわざ襄二の部屋までやって来て自分も子分にしてほしいという。襄二はあまり気が進まなかったが、一応メンバーに入れてやることにする。

宏は学生で姉と二人暮しだった。姉の和子は(犬のマークの)レコード店に勤め、弟の勉強のために働いていた。ところが最近弟の帰りが遅い。ろくに勉強もしていないようだし、タバコもすっている様だ。心配した和子は直接襄二に談判を申し込み、弟を仲間からはずしてくれるように頼む。

宏を追い出した襄二だったが、まじめでおとなしい和子にすっかり惹かれてしまい、蓄音機を買い込んで自分の部屋でぼんやり音楽を聞いている毎日だった。仲間の女からの報告で真相を知った時子はすっかり落ち着きを失ってしまった。

和子に襄二を取られそうなのは自分に女らしいところがないせいだと思った時子は、家庭的に振る舞い男の気持ちを戻そうとするが襄二はうわの空。一度は社長の息子の求めに応じようかという気にもなったが、やはり襄二のもとに戻ってきてしまった。やはり与太者同士のほうが気が合うということか。

そこへ和子が弟を探して部屋にやってくる。襄二はもう彼女を追いかけることもせず、宏とははっきり手を切ったことを告げる。しばらくして宏自身がやってきた。姉の店の金を使い込んでしまったのだという。その返済のための200円を借りに来たのだ。

足を洗い再起を誓い合った襄二と時子はその200円を手に入れるために「最後の仕事」に取りかかる。社長の息子に拳銃を突きつけて強奪したのだ。」あっけに取られる宏に200円を手渡すと二人は警官たちが張り込む街の中を逃げ回った。

だが所詮逃げおせるものではない。二人でつかまって2,3年刑務所で我慢しようと時子は提案する。だが襄二は何とか逃げようということを聞かない。時子は襄二の足を拳銃で撃った。あきらめて二人は警官に連行されることになる。2,3年の別れを前に二人はしっかりと抱きしめあうのだった。(1933年・モノクロ・サイレント))➡資料?O???????N

監督:小津安二郎 原案 :ゼームス・槇 配役:時子(田中絹代) 襄二(岡譲二) 和子 (水久保澄子) その弟宏 (三井秀夫) みさ子 (逢初夢子) 仙公 (高山義郎) 三沢 (加賀晃二) 社長の息子岡崎 (南條康雄)

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東京の合唱(コーラス) 12/14/2004 (再)2024/01/18

東京の合唱優れた監督の下ではサイレントだろうがトーキーだろうが、そのすばらしさに少しも変わりはない。むしろサイレントでは無駄な会話が省かれ、話の本質にたやすく迫ることができる。この作品はその意味でひとつの完成域に達している。最初の校庭での体育の授業など特に見ているだけで面白いシーンだ。

1930年代といえば、大失業時代だ。東京には仕事にあぶれた男たちがたくさんいた。主人公も妻子を抱えて仕事探しに奔走する。家庭の幸福や家族の協力を明るく描いた作品。

学校の校庭では、体育の大村先生が生徒たちに号令をかけている。先生が目を離すとすぐに何かいたずらを始める連中だ。その中に遅刻の常連や、蚤が多くて上着の下には何も着ていない岡島も含まれていた。

時は過ぎ去り、岡島は今では東京にある保険会社の内勤社員である。妻のすが子、長男、長女、生まれて間もない赤ん坊の5人暮らしである。ボーナスの日、思ったより多かった金額で息子のほしがっている自転車を買ってやろうという岡島だったが、老社員の山田が、保険に入ってすぐに死んだり怪我をした顧客を出してしまったためにクビになると聞いて、憤激して社長と談判をすることになってしまった。

興奮して社長をどついたために、岡島は即刻自分もクビになってしまった。この時代いったん失業者になったら再就職は非常に難しい。でもうちに帰ってがっかりしている長男を見て自転車は買ってやることになった。

ところが悪いことは続くもので長女が疫痢の疑いで即刻入院。入院費を工面するために岡島はすが子に内緒で箪笥のものを質に出してしまった。びっくりしたがそんなことより娘が元気になっったことを喜ぶ夫の姿を見てすが子は涙ぐむのだった。

娘が病気の知らせを聞いた後子供たちが魚すくいをしている池を岡島が立ち去るシーンで、魚が一匹地面に投げ捨てられて苦しんで飛び跳ねる一こまがある。魚一匹をていねいに写すことによって家族が苦しんでいるという、とても象徴的な内容を伝えている。

岡島は街に出て仕事探しをする。だが少しも希望が見えて来ない。あるとき職業紹介所の外でかつての恩師、大村先生にばったり出会う。先生は教職を退いた後、奥さんと洋食屋を開業したのだという。いずれ仕事の口を見つけてやるからということで当分の間岡島は先生の店「カロリー軒」の宣伝を手伝うことになる。

ある日すが子は子供たちと路面電車に乗っていると、夫がのぼりを立ててビラを配っているではないか。家に帰ってそんな肩身の狭い思いをさせるなとすが子が懇願すると、岡島は恩師のためにも仕方がないという。しばらく考えてすが子は自分もその洋食屋に行って手伝うと言い出した。

数日後、先生の教え子たちがカロリー軒に集まって同窓会を開いた。すが子も子供たちを引き連れてやってきてカレーの盛り付けに大忙しだ。そこへ先生宛に一通の手紙が届く。栃木県の女学校に英語教師の仕事があるとの知らせだった。喜ぶ二人。ようやく一家に春が訪れた。(1931年・モノクロ・サイレント)➡資料?O???????N

監督..  小津安二郎 脚色・潤色..  野田高梧 原案..  北村小松 配役 岡島伸二..  岡田時彦 妻すが子..  八雲恵美子 その長男..  菅原秀雄 長女..  高峰秀子 大村先生..  斎藤達雄 先生の妻..  飯田蝶子 老社員山田..  坂本武

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男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け 2004/12/23 2011/02/12

男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け家族全員が海の凶暴なサメによって食われてしまった夢から覚めた寅さんはちょうど満男の小学校の入学式にあわせてとらやに戻ってくる。だが、入学式から帰ってきたさくらが、先生が満男のことを「あの寅さんの甥っ子さんですね」と言ったとたんに教室内が爆笑の渦に巻き込まれたことが悔しいといって泣く。

おかげで気を悪くした寅さんは再び旅に出るべく、とらやを飛び出して上野の居酒屋で飲んでいた。客の中にいかにもみすぼらしい老人がいて、無銭飲食で警察に突き出される直前、寅さんは金を出してやり、とらやに連れ帰る。

とらやではこの爺さんの傍若無人な振る舞いに、家族はみんなあきれ果てるが、実はこの店を最初から宿屋と思いこんでいたのだとのこと。爺さんはそのわびの印に筆をとって紙に何か落書きのようなものをさらさらと書きなぐった。寅さんが言われたとおり神田神保町の古本屋に持っていくと、なんと7万円で売れてしまった。爺さんは日本画の第1人者と言われる池ノ内青観だったのだ。

寅さんは神田から戻って家族に7万円のことを話すと、貧富の差の話が持ち上がる。たまたま満男が青観に書いてもらった画用紙を、タコ社長との取り合いで破ってしまったことから大喧嘩になり、寅さんはとらやを飛びだして行く。

商売は岡山県、播州竜野に向かった。夕焼け空の「赤トンボ」の歌が生まれ古い町並みが残り、青観の生まれ故郷でもあった。市役所の観光課に招待されていた青観と偶然出会った寅さんは旅館に来ていた芸者ぼたんと仲良くなり、市の職員と共に飲めや歌えの楽しい数日を過ごす。

名所巡りや宴会の接待をすべて寅さんに任せた青観は、市内に住むかつての恋人、志乃のもとに密かに訪れるのだった。妻もいて大邸宅に住み、押しも押されぬ大画家である青観もかつては青春の中で選択を迫られたときがあったのだ。あのソ連への恋の逃避行を遂げて日本に戻ってきたばかりの岡田嘉子が演じる志乃は「人生にはしなかったと後悔することもあれば、してしまったと後悔する場合もある」と静かに語るのだった。

男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼けすっかり仲良くなったぼたんに「今度会ったら所帯を持つぞ」と言い残して、寅さんと青観は東京へ戻った。とらやで寅さんは毎日竜野の思い出ばかりを口にして、ただごろごろしているばかりだ。そこへぼたんがひょっこり訪れてきた。だまされて貸した虎の子の二百万円を取り戻しに来たのだという。

金のことに詳しいタコ社長が一日ぼたんにつきあって、貸した相手に掛け合いに行ったが、およそ勝ち目はなかった。がっかりして戻ってきた二人を前に憤然とした寅さんは外に出るが何とかなる相手ではないはず。そこで青観の家に向かい、ぼたんの窮状を話して二百万円相当の絵を描いてくれるように頼む。そんなことはできないと言う青観に、寅さんは腹を立てて出ていってしまう。

ぼたんは二百万円を取り戻せなかったけれども、とらやの人たちが本当に親切に自分のことを心配してくれたことに感動し、寅さんが戻らないうちにとらやに別れを告げる。「寅さんには好きな人がいるんでしょ」という質問に、さくらは答える暇がなかった。旅に出た寅さんは再び竜野を訪れる。ぼたんの家に入るとなんと、彼女の部屋の壁には・・・!(1976年)➡資料?O???????N

監督;山田洋次 配役: 車寅次郎 (渥美清) さくら (倍賞千恵子) 竜造 (下条正巳) つね (三崎千恵子) 博 (前田吟) 社長 (太宰久雄) 源公 (佐藤蛾次郎) 満男 (中村はやと) 観光課長 (桜井センリ) 観光係長 (寺尾聰 )鬼頭 (佐野浅夫) 大雅堂の主人 (大滝秀治) 御膳様 (笠智衆) 志乃 (岡田嘉子) 池ノ内青観 (宇野重吉)マドンナ:芸者ぼたん (大地喜和子)

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Plein soleil 太陽がいっぱい 2004/12/26 (再)2012/12/24 (再)2023/10/12

太陽がいっぱいその名に恥じぬ完全犯罪映画。最後の終わり方は、「猿の惑星」に劣らずショッキングである。イタリア、特にヨットとナポリ周辺の海の美しさは格別。ローマの町で、チンピラのトムはサンフランシスコの裕福な両親にいつも大金をもらって遊び暮らしているグリーンリーフと知り合いになる。

トムは小さい頃から貧しい暮らしをしていたが、頭が切れ、最近ではそれを悪事に使うことが実に巧みになっていた。グリーンリーフに近づいたのはそのせいだ。女の子を引っかけたりして親しくなった二人だったが、トムは何とか金を手に入れる方法を考えていた。

グリーンリーフにはナポリの近くの小さな港町に住むマージュという婚約者がいた。その港につないであるグリーンリーフのヨットに乗って、歓楽地である島まで3人で出かけるつもりだったのだ。

だが、航海の途中グリーンリーフとマージュはつまらぬ諍いを起こし、途中の港で怒ったマージュは船を下りてしまった。海の真ん中で二人だけになったとたんトムはわざとグリーンリーフの目の前で自分の計画を話してみせる。そして思いっきりグリーンリーフの胸にナイフを突き立てた。

その後海は荒れ、トムは必死になって死体を大きな布に包みワイヤでぐるぐる巻きにして海中に投げ捨てた。やがて嵐は収まりマージュの住む港町に戻ってきた。心配しているマージュにはグリーンリーフがローマに行ってしまったと告げた。

太陽がいっぱい自分もローマに戻り、計画を実行し始めた。グリーンリーフになりすますため、パスポートの写真を貼り替え、彼の署名の筆体を一生懸命練習した。グリーンリーフ名義のホテルの部屋に落ち着いた矢先、アメリカから旅行のついでに寄ったグリーンリーフの両親に危うく見つかるところだった。

それで居場所を換えたのだが、グリーンリーフの友人であるフレディに見つけられ、正体がばれてしまったので頭を石像で殴って殺す。夜中に死体を棄てに行ったのはいいが、翌朝早速警察の追求を受けることになる。こんどは本物のトムとしてわざと捜査官のもとに電話をかけまったく事件に関係ないように見せかける。

銀行でグリーンリーフの預金をみなおろし、マージュの住む港町の彼のアパートにその金をマージュに残すと書いた遺言状を置いて失踪したか自殺したように見せかけた。警察はこの事件に振り回され、ある刑事はトムがくさいとは思いながらも決定的な証拠を挙げることができないでいた。

グリーンリーフが「自殺」してからマージュは家に閉じこもったきりだった。何とか彼女の部屋に入り込んだトムはマージュを慰め、彼女はトムを頼りにし始めた。彼女と暮らせればあの金は自分のものになったのも同然だ。トムは砂浜で思いっきり日光浴を楽しむ。「太陽がいっぱいだ・・・」そのころヨットは売却のために点検するため陸にウィンチで引き上げられつつあった・・・(1960年)➡資料?O???????N

Directed by René Clément Writing credits René Clément / Paul Gégauff Cast: Alain Delon .... Tom Ripley/Philippe Greenleaf / Maurice Ronet .... Philippe Greenleaf / Marie Laforét .... Marge Duval / Erno Crisa .... Riccordi / Elvire Popesco .... Mrs. Popova / Frank Latimore .... O'Brien / Billy Kearns .... Freddy Miles リスニング;会話の主体はフランス語。イタリア語も混じる。

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来月更新に続く

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© 西田茂博 NISHIDA shigehiro

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