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これは農道沿いに作られた、ゴミの集積所であるが、周りとしっくりくるデザインになっている。ここは前回訪れた、「村兵稲荷」や「太郎カッパ」に沿う道で撮影した。まだ3月なので田んぼも畑も、耕されていない。 |
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これから「横田城跡」に向かうため、山道を登っていく。森林のふちを小川が流れているが、雪解けのためか水量は豊富で、流れは速い。人工的なものが何も加わらない、本当に自然な流れである。 |
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前回訪れた遠野領主、「阿曽沼公」が作った、「猿ケ石川」と「護摩(ゴマ)堂山」に挟まれた”山城”が13世紀ごろ、あったのだという。山道を20分ほど登っていく。山城のあとに今、こんな薬師堂がたっている。そばの彼岸桜と山桜も有名である。 |
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山を下りて少し行ったところに「飢饉の碑」がある。1757年にこの碑が建てられる前に、この地域の人口の3分の1である4300人が餓死した。 |
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さらに少し先に「松崎観音堂」がある。その右手にある碑(写真では見えない)は、かつて人々に橋板として使われていた石が、実は古い供養碑だった。洗い清めて再建したところが、人々の病気がたちどころに治ったという。 |
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観音の姿が、お堂の壁に張られている。頭にも7人の観音がついていることに注目。 |
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「母也(ボナリ)明神」が丘の上にある。ボナリとは巫女のことだそうで、巫女の娘夫婦が洪水を防ぐための人柱になったのを祀ったもの。 |
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一連の見学場所が比較的狭い地域に固まっていたが、ここから一気に北に上がり、遠野駅から測ると12キロ離れた山中に「遠野ふるさと村」がある。古民家を移築して、一つの村にしている。染物、味噌づくりなど、体験コースもいろいろある。 |
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その村内にある、典型的な南部曲がり家。前回の「千葉家」のが当分見られないので、ここで詳しく見学できる。 |
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曲がり家の内部。土間では、今でも火を燃やして天井に煤をつけている。タール成分で木材を長持ちさせるためだ。 |
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直線的ですっきりしたデザイン。農業生活の機能性が追及されている、優れた設計だ。 |
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馬も飼われ、雰囲気を盛り上げている。 |
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今来た道を引き返し、南に向かって、「猿ケ石川」の支流である 「小烏瀬(コガラセ )川」にかかる「福泉寺橋」を目指す。その途中に4つほど見どころがある。この地点では、北の方角に、まだたくさんの雪をいただいた、「早池峰山」がよく見渡せる。 |
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「妻の神の石碑群」とは長い名前だ。この道の先の山奥には”賽の河原”があり、子供を亡くした母親がそこで会えるという。したがって、この石碑のある場所が、この世とあの世との境だったので、数多くの石碑が建てられた。 |
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「福泉寺」は遠野では、ずば抜けて立派なお寺である。この中国風の門に始まり、山道を登っていくと、途中に度肝を抜かれるような見どころが待っている。西国三十三番観音霊場である。 |
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寺内にある、京都にあるような見事な庭園。 |
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五重塔もある。コンセイサマのある土地柄とはちょっと雰囲気が違うようだ。 |
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振付師、「角助の墓」。遠野の「鹿子(シシ)踊り」のもとを作った「駒木鹿子(シシ)」の発案者である。 |
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「西教寺」は道から外れ、住宅の中に入り込んだところにあったので、見つけるのに苦労した。ここの「光明殿」に収められている仏画、「光明本」は親鸞の直筆だそうだ。門の表札には「真宗大谷派」と書いてある。 |
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福泉寺橋を渡ってサイクリングロード沿いに西へ少し進むと、おそらく遠野で最も観光客の集まる「伝承園」に着く。昔の街道にあった石碑だけを写したが、その後ろにいろいろな施設が並んでいるのだが、観光客が多いので、園内見学はまたの機会にする。 |
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「蓮峰山・常堅寺」。”教育発祥の地”である。ここまでの道沿いには、キリンビールと契約栽培をしたホップ畑が広がっている。 |
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「常堅寺」の境内を通って池のようなものが見えてくるが、これは「安倍(阿部)屋敷跡」である。1050年ごろ、この辺りに勢力を張った豪族。 |
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さて、その横にあるのが、あの有名な「カッパ淵」。”カッパ捕獲許可証”をもらうと、ここでカッパ釣りができる。 |
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「かっぱぶち橋」より手前が、「カッパ淵」となる。昼間は観光客が多く行き来するが、夜だと薄気味悪くて、カッパの濡れた手で首を絞められるかもしれない。 |
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「猿ケ石川」の支流、 「小烏瀬(コガラセ)川」。国道340号線と右岸は、しばらく西に並行している。カッパ伝説の中心地。 |
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国道340号線をさらにさかのぼると、バス停「山崎」のところで左に折れる道があった。これが「山崎の金勢(コンセイ)サマ」への登り道だ。 「小烏瀬(コガラセ)川」を「ウンマン橋」で渡ると、ますます道が狭くなる。途中には、丸っこい変な岩が点在している。いったいどこまで行くのかと心配になると、ところどころに雪が残っているのがわかる。社殿が見えてきたところで、やっと終点。豊作や子授けの神様である、コンセイサマは、たくさんあるが、遠野では昭和47年に発見された、これが最大だという。(遠野物語第16話) |
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高さは1.5メートルある。それは社殿の中にある。一方、この写真のコンセイサマは社殿の左の屋外にチン座している。寒いのに縮こまっていないのが立派だ。 |
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国道340号線を引き返し、 「小烏瀬(コガラセ)川」ともう一つの川(それは次回行く予定の山口の水車のある川?)との合流点近くに、かつて旅人でにぎわった、「大槌街道」と「小国街道」の分岐点がある。この近くには「オシラサマ」が祀られている。さて、もう夕方近くだ。今日は16か所を訪れた。市街地の東部にある、ラドンで有名な「踊鹿(オドロカ)温泉・天の湯」に入るとしよう。 |