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前回の「大槌街道跡」から「小烏瀬(コガラセ)川」より枝分かれした小川を上流にさかのぼっていく。この地点では「土淵山口集落」が文化的景観として選定されている。きょうこれから訪れるところが大部分、これに含まれる。 |
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途中には、かつての「山口分校」があり、その生徒たちが描いたとみられる“壁画”がある。”4.5区”とあるのがこの区域であろう。”山口さんさ”と、ブロックに隠れてよく見えないが”野崎神社”の文字が見える。左側は、この辺りの地図だ。二人の民族衣装を着た女が見えるが、これも共同制作の一種であろう。 |
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牛がじっとこちらを見ている。緩やかな上り坂が続く。 |
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駐車場から道路を隔てて向かいにあるのがこの「山口の水車」。「綾織の水車」よりずっとかわいくて、絵はがきに使えそうだ。雪にやられないように、水車は小屋の屋根の中に引っ込められている。実用的な目的のほかに、こんな素敵なデザインを考えた、昔の人々のデザイン感覚のよさに驚嘆する。 |
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馬鹿でかい葉っぱはフキか? |
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いったん水車から戻ると、右手は低い山が連なっているが、その中にある墓地が、「ダンノハナ」だ。柳田国男の遠野物語の話者である、「佐々木喜善」の墓もあるそうだ。行ってみると普通の墓地で、「佐々木家」という墓石が一つあったが、それがこの人のものであるかは定かではない。何も標識がないのである。「ダンノハナ」は斜面に階段状に作られ、てっぺんから下の村落を見下ろすことができる。死んだ人の魂が、村を見守ってほしいということで作られたのだろうか。 |
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ダンノハナのそばにあったお宮。かつてここは刑場だったというのだが… |
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「佐々木喜善」の生家。「ダンノハナ」のすぐそばだ。 |
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山口の水車の川から少し離れて山の中に入るとあるのが、「デンデラ野」。村人は60歳になると、ここにやってきて、命が尽きるのを待つ。死去するまでの“待合所”であり、”姥捨て山”に似ている。 |
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「たかむろ水光園」にやってきた。広い庭園と大浴場を持つ。 |
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入り口にはコイの水槽とカッパ。いったん先を急ぐために、すぐこの場を去り、夕刻すべての訪問が終わった時点で、再び今度はタオルを持ってやってきた。 |
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ひと風呂浴びて、庭園を散歩するが、これがまた湯冷めするほどの広さ。風呂に入った人は庭園の入園料は無料である。 |
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庭園を突っ切って小川が流れ、小さな滝まで備えてある。 |
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ツツジの花より「夢見堂」が見える。ここは最近作られたレジャーランドではなく、総合文化施設になっている。 |
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池の隅には藤棚が満開。手前は石板橋。 |
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ここもまた、「カッパ淵」や「太郎カッパ」のように、カッパがうようよいるようだ。左上は先ほどの「夢見堂」。 |
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「伝承園」のすぐ横にある、「早池峰古参道跡」。早池峰山にある神社にお舞するための道だったのだろう。 |
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やっと見つけた「キツネの関所」。自転車や徒歩で、注意深く道端(国道340号線)を見ていないと見つからない。 |
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誰でもここは何だ?といぶかしく思うだろう。案内板によれば、「村人が酒を飲んでいい気分での帰り道、ここらへんで美しい女性が“風呂に入って、お酒でもお召し上がりください”と言ってくるものだから、その気になって後についていくと・・・ところが、朝に目が覚めると、泥田や肥溜めの中に浸かっていたのだ…」 |
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「遠野郷八幡宮」。日本でも有数の広さを持つ馬場があり、祭日には流鏑馬(ヤブサメ)が行われる。 |
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馬場から本殿を臨む。左右対称のレイアウトが秀逸である。 |
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本殿。普通の神社と異なり、広い敷地の中に各施設が並ぶ、お寺の伽藍のような配置になっている。 |
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再び市街地に入り、遠野駅に向かうと、途中の交差点から少し行ったところに、「さすらい地蔵」がある。男好きの女地蔵で、力持ちたちが力自慢でいくら遠くに投げても、必ず元の場所に戻ってくるのだ。散々投げられたせいか、すごく頭の部分がすり減っている。 |
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このお地蔵さまは、小さな川のそばにあるが、小さなお宮の横にあり、ポケットパークのような場所で、目立たない。
さてさて、これが42か所最後の見どころとなった。大勢の観光客が詰めかけるような大観光スポットがあるわけではないし、ましてや世界遺産になるようなものもないが、一つ一つ丹念に見てみると、実に豊かな文化遺産が隠されているのがわかる。
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