わたしの本箱

コメント集(8)

  1. 前ページ
  2. 日本語練習帳
  3. バチカンの黙示録犯罪
  4. コレラが街にやってくる
  5. 百年の孤独
  6. 山下清のすべて
  7. 自家採種ハンドブック
  8. デキのいい犬、わるい犬
  9. アホでマヌケなアメリカ白人
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凡例

(辞書・参考書類を除く)

題名 * 著者または訳者 * 出版社 / 読んだ年と月

(再) = 以前に読んだことのある本

 = 図書館あるいは人から借りて読んだ本

色別区分 三回以上読まずにいられない本 二回読んでみたくなる本 資料として重要な本


2002年・つづき

日本語練習帳 * 大野晋 * 岩波新書 8/30/02

日本語練習帳日本人が何の気なしに使っている自国語も、いつの間にかいい加減になってしまっていて、新しく見直す必要が出てくる。この本は、単語、文法、特に「が」「は」などの助詞の使い方に焦点を当てて、正しい使い方を探る。

文法が大嫌いという人がいる。文法といえば、英語の勉強の際に苦労した、だが複雑なルールにうんざりしたという人が多いのだろう。だが、外国語の学習の場合には、短期間で理解を早める魔法の杖になるし、自国語に文法の勉強を取り入れると、これまで曖昧だった表現がきちんと整理されて現れてくるのだ。

練習問題がついているので、ふだん見落としている点に新たに気づかされることが多い。また、最近は敬語の使い方が乱れ、どれが正しいのかはっきりわからなくなっている場合が多いので、この際しっかりと分類、整理しておくといいだろう。

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バチカンの黙示録犯罪 * 赤間剛 * 8/30/02

バチカンの黙示録犯罪いささか物騒な名前だが、カトリックの総本山、バチカンのこれまで2000年間の行状を歴史を通じてみていった本である。中世における魔女狩り、十字軍の残虐、キリスト教以外の民族に対する植民地時代の態度、共産主義帯刀後の反共的行動、などを通じてバチカンの主、教皇がとった行動を分析する。

世俗的国家の動きにとかく目を奪われがちな世界の歴史だが、つい最近に至るまで宗教が人々の生活に及ぼした影響は大きく、ある時にはヨーロッパでの「超政府」の役割を果たしてもいたのだ。権力の絶頂には、どんな集団も必ず腐敗する。

もちろん世界の歴史をたどれば、バチカンだけが悪者だったわけではないが、宗教集団の結束と財力が最後にはどのような形を取るかについては、教科書的な存在である。

最後の章に、聖書の黙示録の予言における、「アンチ・キリスト」がまさにそのバチカンであると筆者が指摘している部分があるが、その解釈については、未来のことだから、読む人もいろいろな意見を持つことだろう。

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@コレラが街にやってくる * 藤田絃一郎 * 朝日新聞社 9/28/02

コレラが街にやってくる(地球がフライパンで炒められている写真)カイチュウや清潔志向への警鐘で知られる藤田先生が、また本を出した。今回は、迫り来る地球温暖化による、生物界、特に微生物界の姿を予想したものだ。

温暖化によって、大気はもちろん、海水の温度もどんどん上がってゆくが、それまで温度が低いために「休眠状態」にあった細菌が、ある一定の温度を超えると突如、目覚めて活動を開始する。どんどん増殖していく。

東京湾の海藻の中に潜むさまざまな微生物のうち、かつて猛威をふるい多数の死者を出したコレラ菌が突然生き返り、生魚に混じって人間の食卓から、大流行を引き起こすというシナリオである。

微生物の変異速度は、大型生物からは想像もつかないほど早く、条件が良ければ2,3日で1億個に達してしまうくらいだから、今後地球全体の気温が上がるにつれて、有害なだけでなく、致死的な突然変異が生まれることは十分にあり得ることなのだ。

マラリアやデング熱のような熱帯病が、どんどん北上を続けていることはよく聞くが、もっと恐ろしいのは、絶滅や衰退している動植物種に共生していた微生物が、外に出て別の宿主を捜し回る事態が起こったときなのだ。あるいは森林の伐採によってそれまで隠れていた微生物が世の中に飛び出していくとき。

トリのインフルエンザが、人に伝染するようになったことや、コートジボワールの原生林に潜んでいたエボラ出血熱が好例であるが、今の研究レベルには、このような事態を事前に予測する力はない。

そして、地球温暖化は、これからも人間の快適さを求める活動が続く限り、ひどくなる一方であり、どうも絶滅の日は意外に近いらしい。

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@百年の孤独 * 鼓・直 訳 *新潮社 * ( Cien Anos de Soledad; G.Garcia Marquesz ) * October 8, 2002

百年の孤独舞台は、コロンビアの地方都市。名前はマコンドという。ブエンディーアという名字を名乗る一族が、密林をさまよったあげく、あるところに都市を建設したのだ。そのときから、彼らはその土地に住み着き、子供を増やしてゆく、100年にわたる壮大な年代記なのだ。

まだ、町の体裁をなさない頃からすみついたホセ、その妻のウルスラは、それから相当長生きをして子供、孫、曾孫が生まれてゆくのを見守る。家族の生き方は一様ではない。そしてその一生を平穏に終えたものはわずかだ。多くが悲惨な死か、孤独な死を遂げる。

妾を取るもの、そこから産まれた子供たち、放浪生活から流れ込んできてこの一族の屋敷に住み着いてしまったもの。次々と子供が産まれ増えてゆくが、当時のコロンビアは、政情不安で、保守派と自由派がせめぎ合っていた。夫妻の息子の一人の大佐もこの動乱の中に身を投じて、自由派として反乱を何回も起こし、国民の英雄となる。

男に対して不可解な態度をとるアマランタ、インディオの出身で土を食べる癖のレベーカ、政府に捕まって銃殺される運命をたどるアウレリャーノ、ジプシー流れの哲人で、この一族の未来を予言するメルキアデスなど、登場人物はみんな一風変わっている。

町に不眠症が流行して、何ヶ月も眠れない人間が続出したり、愛の営みをするたびに家畜が殖えて毎日ご馳走さわぎにふけっているなど、とても常識では考えられないことが何度も起こった。女たちの中には百歳を越えて長生きするものもいる。

だが、政争や近代文明のうねりはこのマコンドの町にもやってきて、自由派の砦となったこともあれば、バナナ会社が大勢の人々を雇って大規模に栽培して、鉄道が通じたまでははよかったが、労働者のストライキを引き起こし、大勢が虐殺されて海に捨てられ、会社もこの町から姿を消してしまった。それからはこの町も荒れて行く一方である。

この話の中心的存在である主婦のウルスラが大変な高齢でこの世を去ると、この話もいよいよ終わりに近づく。叔母との不倫の恋に没頭し、間に産まれた子供は蟻に喰われ、母親も産後の出血で死ぬと、ただ一人のこされたアウレリャーノは、メルキアデスの予言通り、自分もこの屋敷も、マコンドの町もすべて滅び去ることを知る。

百年の間、人々は産まれた子供に親、兄弟、祖父母と同じ名前を付けるが、みんな孤独で、あるものは家に閉じこもり、あるものは外に出ても自分の殻に閉じこもり、最期を迎えるのだ。

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@山下清のすべて * エヴァ・ブックス・サンマーク出版 10/11/02

山下清のすべて貼り絵と、放浪で一世を風靡した山下清の一生と、彼のまわりの人々、そしていくつかの作品を掲げた本。

知能に軽い障害を持っていて、千葉県にある八幡学園に入らされ、貼り絵をはじめとする絵を描くことのおもしろさを知った山下だが、しばらくすると放浪の癖が出て、日本中をさまよう。その間に絵のインスピレーションを身につけて学園に舞い戻り、人々の驚嘆する作品を次々と創り出した。

定住と毎日の義務に縛られることの好きな日本人のことだから、なおさら彼は好奇の目だけでなく、自由の化身としてあこがれの目で人々から見られたに違いない。又、そのころは戦前戦後の混乱期で、人々の思いものんびりしていたし、特に田舎では、世知辛くなかったから、彼の放浪も大目に見てもらえたのだといえる。

それにしても彼を小さな時に引き取り、その才能を開花させてくれたのが八幡学園の先生方だった。現在の既成だらけ、サラリーマン化した教育界から見るとまったく別世界の話である。初代学園長の教育標語は「踏むな、育てよ、水そそげ」という。明治時代のまったく社会福祉という考えが存在したい時代に知恵遅れの子供たちを育てる必要を痛感した八幡氏と、その子供や孫たちが学園を運営していったことが、天才画家の誕生にはなくてはならないものだったのだ。

山下清を心理的な面から見つめた戸川氏によれば、人間が<真・善・美>に気づく順番では、<美>が一番最初であったから、知能的に少々低くても、個人においても最も開花しやすいのだという。そして別に訓練を受けなくとも独りでに自分の様式を作ってしまう。山下清に、彫刻家堀川氏が油絵を教えたところ、自分の工夫でヨーロッパの点描はの描き方をものにしてしまったというのだ。

山下清の成長と放浪は、がんじがらめで袋小路に入ってしまった現代日本がぜひ学ぶべきモデルになっている。演劇の「裸の大将放浪記」、同名のテレビドラマ、映画「裸の大将」、そして日記、さらには「男はつらいよシリーズ」にもつながっているのではないか。

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自家採種ハンドブック * 自家採種ハンドブック出版委員会・訳 * 現代書館 * Michel and Jude Fanton; the Seed Savers' Handbook * October 27, 2002

自家採種ハンドブック商業主義で、大規模生産が農業の世界でもどんどん進む中にあって、「種子」の問題は、遺伝子操作の蔓延によって、重大な局面にたたされている。かつては生産者が各自の作った農作物から直接種子をとっていて、それが当たり前だった。あるいは近所の農家と交換もしたりしていた。

ところが、自分たちの目的にそって種を遺伝子工学によって作り替える、いわゆる「デザイナー種子」によって、生産者は「種子」を買うという事態にたたされ、世界中の耕作地は、種苗会社の支配なしには成り立たない状況に追い込まれてしまっている。

このため、古くから、その土地の風土にぴったり合って、日照りに強いとか、病害虫に強いとか、収量は少ないが天候が育つ種類といったさまざまな特質を備えた種子が絶滅の危機にさらされているのだ。

著者は、オーストラリア人でこの世界的状況に対処すべく、この問題に関心を持つ世界中の人々と、ネットを通じて大企業の利潤追求に支配されない種子づくりを提唱する。日本名を「たねとりくらぶ」と称する。

現代農業の最大の欠点は、効率を追求するあまり、単一栽培にはしっていることだ。そのため天候の激変に弱く、病気になりやすいために大量の農薬をいれ、昆虫にねらわれやすいために大量の殺虫剤をまかなければならない。収量が多いのは、灌漑設備を完備し、大量の化学肥料を入れているからにすぎない。

昔からの農業の基本は、「多様性」の維持だ。効率は低くても、さまざまな形質を持った作物を畑に植えておけば、日照りの年には日照りに強い品種は生き残り、病気の流行した年には、ある病気に強い品種が生き残り、台風の被害の大きかった年には、大風や大雨に強い品種が生き残り、「全滅」の憂き目にあわずにすむ。

これは、バクチや投資における「ヘッジファンド」とまったく同じ考え方であり、天気に左右される農業の宿命をなるべく克服しようとした昔からの人々の知恵なのだ。自然界では、「多様性」が生き残りのための第1の戦略なのである。

本書は、第1,第2部では種を取るための基本的考えと基本的技術を述べ、第3部では実用面にしぼり、それぞれの種類に適した採種、保存、育成方法を解説している。

園芸や有機農業に携わる人々ができるだけ多くこの本を読んで、昔から途方もなく長い時間をかけて築き上げた種子という名のすばらしい遺伝子のプールを未来の地球のために残す努力をしてほしいものだ。たねとりくらぶも、新たな反グローバル主義の一環とみたい。

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デキのいい犬、わるい犬 * 木村博江・訳 * 文春文庫 * Stanley Coren; The Intelligence of Dogs * November 28, 2002

デキのいい犬、わるい犬犬の知能とは、どのようにしてわかるのだろう?動物学者、心理学者、犬の訓練士、さまざまな意見があるだろうが、著者は、おもしろい知能テストを考え出した。

たとえば、テストされる犬の目の前にまず餌を見せ、においがかがせる。そして誰かに一時押さえておいてもらって、犬の目の前の床にその餌を置き、その上に空き缶をかぶせる。ただ、倒せば簡単だけれども、その犬はどのくらいの時間をかけてその餌を手に入れるだろう?あきらめてしまうかもしれない。忘れてしまうかもしれない。

このようないろいろなテストを通じて、犬たちの空間感覚や、問題解決能力、感性を少しでも明らかにしようとしている。その結果、さまざまな犬の品種の間には、相当の「知能」の開きがあることがわかった。頭がいいと言われるのは、コリーなどの牧羊犬である。

だが、ランキング表を見て、自分の愛犬が知能の低い部類になっていたからといってがっかりする必要はまったくない。頭のいい犬は、複雑な仕事をさせるのであれば有用だが、そうでないときはかえって主人のことに気を回しすぎて、扱いが厄介になることの方が多いのだ。むしろ神経質すぎたり、単調な生活だと退屈してなにか騒ぎを起こすようなことにもなりかねない。

これに対して、環境が静かで、主人の生活は毎日規則的に進んでいくようだと、つまり一般的な家庭犬としての生活なら、むしろ知能が低い方が、毎日をのんびり楽しく暮らせるのだ。知能が低いと、退屈ということを知らないから、ウツラウツラしているうちに一日が過ぎてゆくし、主人のそばにただいるだけで、家庭円満となる。

犬が古代にどのようにして野生から家畜化され、品種改良を遂げて現在の姿に至ったか、そしてそれぞれの飼い主は、自分自身の生活(と知能!)にあった犬を選ぶことが大切なことを教えてくれる興味深い本。

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@アホでマヌケなアメリカ白人 * 松田和也・訳 * 柏書房 ( Michael Moore; Stupid White Men ) December 05, 2002

Stupid White Men同時テロ以後のアメリカを知るには、必読の書だといえる。ヒットラーが現れたとき、ドイツの群衆は熱狂し、異を唱える人はわずかだった。ブッシュ2世の場合は、群衆は熱狂こそしないが、「国家危機」という名にうかうかと乗せられ、異を唱える人はやはりわずかだ。

その中にはラルフ・ネーダーであり、バーバラ・リーであり、ジャネットランキン(故人)であり、、この著者のマイケル・ムーアだ。痛烈な皮肉と攻撃的文体の中に、現代アメリカの絶望的状況が克明に描かれる。

目次

  1. まさに、アメリカ的クーデター ゴアとブッシュの一騎打ちとはいうものの、ブッシュがフロリダ州の黒人の投票権を、巧みにごまかして自分の得票数を増やすように細工をした。   
  2. 拝啓ジョージ殿 史上最低のブッシュの人間性を暴く。   
  3. ダウがダウンでアップアップ  不景気だと世の中が騒いでいるが、実はリストラや給与を引き下げるための巧みな口実なのだ。   
  4. 白人どもを殺せ 白人なら心臓移植をしてもらえ、マイノリティならその恩恵にあずかるのが難しい、金持ち優先社会。   
  5. バカタレどもの国 政府からの援助を減らされた学校内には、コーラの自動販売機が立ち並び、肥満児や糖尿病が増え、生徒たちはスポンサーに忠誠を誓わさせられる。   
  6. ちきゅうにやさしくキビシイ話 飲料水に砒素が入っていようが、狂牛病のおそれがあろうが、すべてもうけることしか頭にない企業の思いのまま。   
  7. 男たちへの挽歌 男が女より決定的に寿命が短く健康も劣るのは、その生き方にあるのだ。競争にあくせくし、脂したたるステーキをほおばり、ストレスに絶えずさらされていれば当然のこと。   
  8. ウィ・アーナンバー・ワン! 金持ちの数も人殺しの数も大量破壊兵器の数も世界一。その傲慢さはとどまるところを知らない。   
  9. 巨大で幸せな牢獄 金がなければ弁護人にも見捨てられ、厳罰を背負い込む。金持ちは罰せられることはない。   
  10. 脳死寸前民主党 クリントンは人民の福祉など全くほったらかしにして8年を過ごした。ブッシュはその方針を受け継いだだけ。インチキ民主党員は全員共和党へ移籍せよ。   
  11. 人民の祈り 金持ちたちは自分自身に不幸が訪れたときだけ、問題解決に真剣に取り組む。すべての金持ちたちに災いが訪れますように。

21世紀のアメリカは、かつての知的とか、進歩的といった面影はない。いや、初めからなかったのだ。リチャード・ニクソンの引き起こしたウォーターゲート事件でもわかるように、とっくの昔から、アメリカ政府の内部は、腐敗しきった暴力団本部にすぎなかったらしい。ただ、まわりの国は、経済的な甘い汁を吸いたかったばかりに、自由、平等というおべんちゃらを使っていただけなのだ。

だが、そんなこと以上に心配なのは、人類の行く末だろう。第1次、第2次世界大戦、冷戦、と人類が大変な量の血をもって築き上げてきた国際協調は、ブッシュ一味によって、たちまちのうちに崩壊し、かつてのアメリカ西部の無法状態に逆戻りしてしまうのか?

追伸 本書の日本語訳は、原書と大きな隔たりが各所に見られるといわれている。著者独特の難解な言い回しもあるらしく、興味のある方は原書にあたってみることをおすすめする。一般書ホームから「洋書検索」で見つかるだろう。

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