島めぐり

2021年8月01~07日

ヤクザル 4404

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今回はW方式(徒歩)で行く。 鹿児島県に属する島々はそのほとんどが鹿児島港から出ている。そのうち種子島、屋久島、奄美大島の3つがかなりの面積を持っている。今度は種子島の隣にある屋久島に向かうことにした。

鹿児島港から高速船で2時間で着く。一番の中心地は「宮之浦(ミヤノウラ)」で、円形に近いこの島の北にある。第二の中心地は安房(アンボウ)で、船は種子島の西之表港を経由したのち、どちらかに到着する。トレッキングの利便性を考えて、今回は安房に宿泊することにした。

円形で、島一周道路もある屋久島には自転車で行くのが最適なのだが、行きの片道航空券が格安で手に入ってしまったので、今回は自転車はあきらめ、レンタカーを利用することにする。

地形は遠い海上から見ると平らに見え、近づいてもなだらかな丘があるだけに見える種子島とは大違いで、遠くからも2000メートルに迫る山々が見える屋久島は、海岸まで断崖絶壁が迫っている。当然種子島より人口が少なく、代わりに自然が大きな部分を占めている。

第1日目 仙台市より(午前8時発)バスで東京駅まで。羽田空港に移動して午後6時に離陸、2時間で鹿児島空港に到着。鹿児島市内のホテルに宿泊。

第2日目 高速船の「トッピー」で午前10時20分鹿児島港発、午後1時5分安房港着。徒歩で「自然館」へ。安房地区のホテル1泊目。

第3日目 レンタカーを借り、海岸沿いに反時計回りで一周。約150キロ。安房地区のホテル2泊目。

第4日目 縄文杉へのトレッキング。安房地区のホテル3泊目。

第5日目 午前中は安房川をカヌーでさかのぼる。 「トッピー」で午後1時30分安房港発、午後4時5分鹿児島港着。鹿児島市内のホテルに宿泊。

第6日目 午前中は天文館散策。午後、連絡バスで、志布志港へ。「さんふらわあ号」で午後5時55分発。船中泊。

第7日目 午前8時55分大阪港に到着。新大阪より新幹線で仙台市へ。

安房港と自然館

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前回の種子島のときは鹿児島港南埠頭のフェリー乗り場から出発したが、埠頭の付け根の南側に、屋久島行きの高速船乗り場がある。こちらは乗客専用だから、船も小さいが、時速80キロぐらいで走る。案の定、コロナのせいで、船はがら空き、この夏休みの時期なら普通は待合室に入りきれないほどなのに。
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?O???????N種子屋久高速船株式会社の 「トッピー号」が待ち受けている。高速で走るから、甲板に出てのんびり海のにおいを楽しむことはできない。客室は1階と2階に分かれている。1階の乗客は、途中寄港する種子島の西之表港でたいてい降りてしまう。
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4月に種子島に行ったときは、桜島の火山活動が比較的活発になり、噴煙で山頂近くは何も見えなかったものだが、今回は活動も収まり、山容がはっきり見える。
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途中、西之表港に寄港した。これから向かう屋久島に比べ、人口が多いので、大勢の人々が鹿児島市との間を行き来している。急峻な山がなくて、なだらかな丘が続いているので、人々の住居地域も広いのだ。
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安房港に到着。正面にある船の乗り場のうしろに、たいして高くない山(前岳)が見えているが、そのうしろには何重にも急な山々(奥岳)がそびえているのだ。残念ながら昼時でありながら、ランチを出すような店はたいてい休業中。港から少し上がったところに生協のスーパーがあったので、そこで弁当を買うことにした。しかし、あちこちに観光客向けの看板を見ると、コロナ以前にはかなり繁盛していたことが見てとれる。
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武力で守る。やっぱ間違ってない?馬毛島(マゲシマ)を守る会・屋久島」とある。安房港のはずれで見かけた。防衛省がそこにある自衛隊の施設を強化しているので、地元の不安が高まっているという。
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港からはすぐ上り坂になり、少し見晴らしのいい所に出ると、島の中央にある山々が雲に隠れて見える。いや、雲に隠れているというより、海から流れてきた湿気を多量に含んだ雲が山肌にぶつかっているという言い方のほうが適切だろう。
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宿屋にたどり着く前に、安房地区をあちこち歩きまわったのだが、港にそそぐのが「安房川」。河口近くに2本の橋がかけられているが、 上流のほうを見ると、すぐに街並みが途絶え、深い深いジャングルが始まっている。
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町の住民なら、だれでも知っている「かもめ荘」。かつては、島田陽子、八代亜紀、五木ひろしが宿泊し、そして2000年には、山田洋次監督が「?O???????N学校Ⅳ」のロケーションをここを基点におこなったのだ。
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安房川にかかる赤い橋。この橋はかつてつり橋だった。「かもめ荘」はこの橋を渡った正面にある。この橋を見て後ろ側が見晴らしの良い丘になり、そこにホテルが立っているのだが、このホテルの建っていたところに以前、別の旅館があった。ここで林芙美子は「浮雲」を執筆したのだという。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき・・・」。この小説のヒロイン(成瀬巳喜男の映画「?O???????N浮雲」では高峰秀子が主演)は大恋愛の末、この島で死ぬのである。
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「面影の水」。そのホテルの立つ丘へ上る途中にある茂みの中に見つかる。ここの湧き水は、地元の男女が水汲みにかこつけて、”出逢い”の場所となってきた。古くは乙姫様が夫になる山幸彦に会う前に、ここの水鏡で姿を整えたとか。

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今日は明後日に行く予定の「縄文杉」へのバスの乗車券(人数制限あり)を買うために、周辺の見物も兼ねて、歩いて1時間ほど登ったところにある「屋久杉自然館」に向かうことにした。夕方でもあり、往復2時間も歩けば、腹が減りビールもうまいだろうと思ったのだ。写真は道端の「テッポウユリ(花期は5月)」だと思うが、8月に咲いているものなのだろうか?
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カーブの多い上り坂を1時間。ようやく「屋久杉自然館」に到着。ここで「荒川登山口」まで行くバスの乗車券を買い、コロナに関する乗車の際の注意を受ける。
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この辺りは広い敷地の森になっていて、自然館以外にも数多くの施設がある。写真は「屋久杉土埋木(ドマイボク)」。
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 自然館の入り口。入場料600円。屋久杉の生態や、加工、植林、トロッコによる運搬など、この木についてのすべてを知ることができる。木の管理については、伊勢で訪れた「?O???????Nせんぐう館」の展示を思い起こさせた。
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「平木(ヒラギ)」。屋久杉からとった板なのだが、樹脂が多く耐久性があるので、なんと屋根の瓦の代わりに使われたという。
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木材の運搬にはもちろん、子供の学校通学にも利用された、往年のトロッコ。今でも軌道が残っていて、現役である。
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巨大なシダ。大量の雨と高い気温によって、化け物のような植物がどんどん成長する。
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自然館からの帰り道の小公園に、ニホンザルとはちょっと違う「ヤクザル(ヤクシマザル)」の石像?を発見。

屋久島 一周

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次の日は、レンタカーを朝から晩まで借りた。この島での交通機関はタクシーとバスだが、バスの運転本数が少ないので、周囲130キロのこの島で、あちこち寄って進むことはとてもできない。道路は種子島と比べて圧倒的に交通量が少ないので、運転は楽だ。安房から島を反時計回りに進むとすぐに、この島第一の人口密集地域「宮之浦」に到着する。ここは高速船のみならずフェリーも発着する大きな港がある。写真は「屋久島環境文化村センター」という難しい名前である。観覧料530円で巨大スクリーンによる島の環境が映し出される。
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  次に訪れたのは「屋久島総合自然公園」。宮之浦川の上流にある。ちなみにこの島では、どの川も上流が一気に河口に降りてきて、途中の中流、下流というものがない。だだっ広い公園の中に、野外音楽堂があるだけだった。猛暑の中、屋久島の野生種を育苗しているという植物園には入らなかった。
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  その次は海岸に面した「志戸子(シトゴ)ガジュマル公園」。種子島でガジュマルは堪能したので入り口付近のガジュマルを見ただけで中には入らなかった。
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海沿いの展望台に「東シナ海展望所」というのがあった。確かにここは太平洋でもなければ、日本海でもない。この近くに2002年に放送されたNHKの朝ドラ「まんてん」の資料館があるそうだ。
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 さらにすすむと「永田いなか浜」というのがあり、ここにアカウミガメが産卵に来るそうだ。
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浜への入り口。空、海、砂浜の対比が美しい。
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800メートルに及ぶ長さの砂浜。右のロープを渡したところに卵が埋まっているそうだ。現在、北太平洋で唯一の産卵場所であるという。
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さらに西に進むと、永田岬に「屋久島灯台」がある。今は無人である。ここで昼飯にする(弁当持参)。対岸に「口永良部島(クチノエラブジマ)」がある。ここから先、10キロぐらい大型車通行不可の「西部林道」を通過する。ここは路線バスも走っておらず、大変なカーブ続きで、対向車がわかりにくい。道路わきは”密林”でヤクシカやヤクザルが多数住んでいる。特にヤクザルは道路の真ん中に寝そべり、車がきてもよけようとさえしないのもいる。
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 有名観光地である「大川の滝」。遠くから見ると88メートルの高さがあるといってもピンとこないが、実際に近寄ってみて、その滝つぼをのぞき込むとそのスケールの大きさに驚嘆する。この滝はその大きさよりむしろ、水量の多さに驚かされる。
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このとんがり帽子のような山は940メートルの「モッチョム岳」というそうだ。千尋の滝展望台の登山口からは、往復およそ7時間だという。山頂直下はロープで登る。とんでもない急坂に見える。
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 暑くて、喉が渇いた時に、この「フルーツガーデン」は魅力的だ。海岸より少し奥地にあり、コロナのために近所のおばさんたちが草取りや手入れに来てくれないために、荒れ放題のジャングルになってしまっている。最盛期にはジュースも提供していたそうだ。
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 おじいさんが一人で、草で葺いた小屋にいて、フルーツの盛り合わせを出してくれた。下の二つのオレンジ色のものが「タンカン」。この島の特産だ。スプーンが置いてある部分は「パッションフルーツ」。黒い種ごと食べてしまう。その上は普通のスイカ。その右側はバナナとパイナップル。中心にあるものは何だか不明。このガーデンで採れたものかどうかは一切問わないことにしよう。よく冷えてうまかったし、新鮮だった。
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再び海岸に出てしばらく進むと、「平内海中温泉」の入口に出て、波打ち際まででると、海の中に温泉がある。ただし、干潮時でないと入れない。この時は満潮だったので水中に没している。200円の協力金あり。関ヶ原の戦い(1600年)以前に発見され使われているのだ。
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大川の滝ほどの高さはないとはいっても、V字谷をつらぬくスケール感のあるのが、この「千尋(チヒロ)の滝」。ただし遠くから眺めるだけで、大川の場合のように滝つぼのそばまで近づけない。巨大な花崗岩にV字を刻んでいるのだ。
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この「千尋嶽(チヒロガク)神社」は人間界と山の神の領域との境界線である。この先の奥の山に入れない人は、ここで参拝する。また、ここは森の精である「げじべい」のすみかでもある。
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 祠(ホコラ)のうしろにある、まるでストーンヘンジのような奇妙な並べ方をした4つの石。これが境界のしるしであろうか。まもなく安房港だ。午後4時を回った。

縄文杉へのトレッキング

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 早朝4時起床。朝の弱い人間にとっては、前の日から起きていたほうがましだ。霧雨の降る真っ暗な中、宿のそばの停留所「安房」から4時42分に通過するバスに乗ると、一昨日行った「自然館」に5時前に着く。ここから「荒川登山口」行きのバスが5時と5時40分発の2本が出るのだ。てっきり5時の便に乗れると思っていたところ、私の直前の人で、そのバスは(コロナ制限による)満員。5時40分まで待つ羽目となった。それでもそのあいだに朝食を食べることができ、トイレも済ませて、曲がりくねった道路を40分余り登って、荒川登山口に到着した。写真はそのバスが止まっている広場。一般車両はこのルート通行禁止。待合室とトイレがあり、文明最後の派出所である。ここから先、携帯電話は圏外である。前のバスに乗った人々が少なからず、トレッキングにまだ出発しておらず、その人たちをしり目に歩き始める。霧雨はやむどころかだんだん激しくなっていく。
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 登山口の広場から北のほうを見ると、トロッコの線路が森の中に消えている。これからこの線路伝いに前進するのだ。すぐ右側にはトロッコの車庫がある。でもめったに出動しないらしい。「大株歩道入口」を除き、ここから先には、普通のトイレはない。テントのような「トイレブース」がところどころに設置されてあるだけだ。それ以外でしたくなる可能性のある人は?出発前に<携帯トイレ700円>を買って持参することだ。私もそうした。使わなくとも災害時の備えになる。
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鉄道線路は勾配が道路と比べると、極めて緩やかだ。しかも枕木の上に歩きやすいように板が渡してある。雨にもかかわらず滑りにくい。
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 ところどころ川に橋が架かっているが、この通り、川の流れが穴から丸見え。これは欄干がついているから怖くないが、中にはまるで線路むき出しのものもある。
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 乗車券の販売所の人の話によると、夏休みの時期は毎日400人ぐらいが詰めかけて、しばしば渋滞が起こるそうだが、コロナになってからは大体100人ぐらいで、ちょうどいい。まったく人がいないのも物足りないものだが。ただ、小学生の団体、高校生や大学生、あるいは登山やトレッキングのベテランらしき人といて、さまざまなので、もちろんそれぞれの歩行速度が違う。
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水の豊富さは、どこの岩壁にも水がしみだしているか、このように小さな滝になっていることでよくわかる。もちろん、どの樹木も例外なく苔と次第におおわれている。その点では?O???????N紀州の森とよく似ている。
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 屋久杉の巨木が枯れると、その幹の割れ目から若い木が枝を伸ばしていく。こうして森はいつまでも再生されていく。人間が貪り食い、たちまち滅びていくのと、まるで対称的である。
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 線路むき出しのまま、川の上に架橋されている。滑って転んで水の中に転落する恐れあり。
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 この橋の上にはヤクザルの数匹の群れがいた。観光客がエサを投げるので、猿たちは逃げたりするどころか、ポケットやバッグに入っているかもしれないスナックを狙っている。
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 サルのいた橋を渡ると「小杉谷小中学校跡」に出た。そうなのだ、昭和の時代ぐらいまで、ここに子供たちが通学していたのだ。トロッコに乗って。この看板の右には小学校のあった更地が広がっている。
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根元に大穴が開いている株。名前がついていたと思うが、忘れてしまった。激しい雨や水流によって、根の周りはしばしば流出する。それは将来的にその大木が倒れる危険性があるということだ。急斜面と多雨で、この地域の杉も暮らしは楽ではない。
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 かわいいポイント(分岐器、転てつ器 = turnout switch)。そもそもレールも細く小さいのだ。
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 トロッコ線路を2時間ぐらい進んだところで線路と別れ、いきなり登りに。ここ「大株歩道入口」には普通のトイレもあり、これからのきつい登りを覚悟しなければならない。かなりの部分が写真のような木製の階段が備えてある(だから小学生でも行けるのだ!)が、岩だらけだったり、ぬかるみのところもある。狭い崖沿いの道もある。とにかくこれからが大変なんだ。距離的には大したことはないが。
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 「夫婦(メオト)杉」。同じ名前が、?O???????N熊野那智大社参道にもあった。
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 「ウィルソン株」。これは切り株なのだが、巨大な空洞が見える。
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 空洞の中を覗き込んでみると、祠が設置されてある。また、人の話し声が聞こえるところを見ると、奥に数人すでにいるらしい。それほど広いのだ。
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雨がひどくなる。ずっと前から傘をさしっぱなしだ。片手で傘を持ちながらトレッキングをするのは危険極まりないが、レインコートを着て体の中がムレムレになるよりはまし。
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木の階段が上がったり下がったりする。ここら辺は、島の中央部にあたるはずだ。この辺りにあるのが第2の大きさを誇る「大王杉」のはず。もっとも島のどこかには、もっと古くて大きい杉があるらしいが…
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 やっと着いた!といっても本体はまだ見えず、霧の中。そしてこの階段は縄文杉を取り巻く展望デッキなのだ。人々が縄文杉に近づいて根などを傷めないように。
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 あんまりいい撮影アングルとは言えないが、とにかく午前10時にこの縄文杉にたどり着いた。もっと近づいてみたいが、デッキに張り付いて、遠巻きに観察するだけだ。
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帰り道は楽ではない。ますます雨が容赦なく降ってきたからだ。滑ったり転んだりしながら、ようやくレールの道に出る。ヤクザルが一頭だけ枕木に座り込んで、こちらを見つめている。視線を合わせないように少しずつ近づいて、撮影成功。
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ガイドブックには縄文杉までの往復に10時間と書いてあったが、雨の中の進軍にもかかわらず、7時間半で戻れた。GPS地図では左端が縄文杉、右端が荒川登山口である。往復で21キロを歩いている。
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これを高低差で見てみると、荒川登山口は600メートル、最高点は1300メートル近くだ。やれやれ、くたびれた!

安房川をカヌーでさかのぼる

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翌日はトレッキングのため、下半身の筋肉が痛むので、ほかの山を歩こうとは思わない。そうだ!カヌーなら上半身を使うだけだな。明日になれば、上半身も下半身もまんべんなく筋肉痛になれる!というわけでレンタ・カヌー(3時間3000円)で安房川をさかのぼることにした。午前9時の時点ではまだ霧雨が降っていたが、橋の上から小学生たちのグループが上流に漕いで行くのを見ると、じっとしているわけにはいかない。
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海でのカヤックの経験はあるので、簡単な説明を聞くとすぐに川に乗り出した。上流にさかのぼる訳だから、当然水流に逆らう。しかも風までが向かい風だ。押し戻されることはなくとも、なかなか前進しない。
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ちょっとでもオールの動きを止めると、船体はすぐ横を向く。川岸は、出発点からわずか200メートル進んだだけで、コンクリートで固められた部分は終わり、むき出しの岩による自然のままである。花崗岩が主体なので崩れにくい。
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うしろを振り返ると、赤い安房橋(林芙美子のかつてのつり橋があったところ)が見えている。橋の右の付け根に、カヌー桟橋があってそこから進んできたのだ。
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?O???????N地獄の黙示録”という映画がある。ベトナム戦争の最中に、大河の上流に宗教集団を作っていたアメリカ人将校を、任務を帯びた軍人が掃討に行く話である。その映画のもとになっているのが、海洋小説で名をはせたジョゼフ・コンラッドの「闇の奥」である。上流に潜むそんな暗黒世界をイメージしながら、カヌーを漕いでいく。
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 川はまず左に直角に折れ、さらに右に直角の折れるという具合に蛇行していた。だから河口のほうからは、川の奥を見渡すことができなかったわけだ。未知のジャングルだけが見えていたのだ。二つ目の角を曲がると、先方に赤い橋が見えてきた。あの橋の先は行ってはいけないことになっている。というよりはその先はごろごろの岩石で前進できないのだ。先に出発していた小学生のグループとすれ違う。SUP(スタンドアップパドルボード)に乗った人も3人いた。赤い橋の手前の左側から別の谷川の水が激しく合流していて、押し流されそうだ。
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 何とか激流を乗り越えてようやく橋の真下に出た。
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 小さな砂浜があったので、上陸してしばし休憩。
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 橋の下から上流を眺めると、これまでと異なり急に川幅が狭くなり、大岩が川の下に沈んでいる。しかも流れが強くてさかのぼれない。
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やはり、屋久島の川は中流や下流がなくて、いきなり上流が始まるのだ!V字谷の向こうに見えるのは例の奇峰、「モッチョム岳」らしい。
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 小学生でも楽に漕げる、プラスチック製のカヌー。一人乗り。帰りは漕がない。ひたすら川の流れに任せるだけだ。時速300メートルくらい。聞こえるのはセミと野鳥の声だけ。至福の時である。
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 このGPS地図が示しているのは安房港と安房川。濃いブルーの線がカヌーの軌跡。全行程5キロぐらい。
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 これは高低差を表すグラフだが、ひと目盛が標高1メートルだとすると、河口から上流までの高低差はこんなに異なるものなのだろうか?もちろん、水量の絶え間ない増減や川の中央、左寄り、右寄りでも高さは変わるだろうと思われる。

鹿児島市に戻る

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 台風が迫ってきた。4月の種子島のときもそうだったが、慌てて島を出る。追い風であるが、だんだん強くなってきた。鹿児島港に午後4時過ぎに帰着。夕食には4月以来の「?O???????Nづけ丼屋:桜勘」に入る。前回はランチだったが、今度は「桜島海鮮丼」を注文する。山盛りのどんぶりに、溶岩に見立てたイクラを上からスプーンでかける。
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桜島のおかげで、市内には温泉が多い。この「霧島温泉」は温泉兼銭湯だ。市電電停「高見馬場」から北へ200メートルぐらいのところ。
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 天文館の「?O???????Nむじゃき」は氷水「しろくま」の元祖だという。正午過ぎ、店に入ると、店員に「昼飯は食べましたか?」と聞かれる。もちろん、朝食以来何も食べてない!
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 普通サイズ740円。氷の量は約500mlだ。牛乳半パックなのだ。「ベビーサイズ」もある。2006年にも食べてその写真が残っているが、違う店だったようだ。どこが本家なのかわからない。
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 15分後にはこの通り!
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 行きは飛行機だったから、帰りは船にしよう。台風で海況が案じられたが、何事もなく出発した。鹿児島中央駅から志布志港まで連絡バスがある。2時間。「?O???????Nさんふらわあ号」は夕方出発、明日の朝には大阪港に着く。例年ならこの夏休みの時期では予約なんかとれるはずがないが、今年は余裕で船旅を楽しめた。
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 大阪湾の中を行く。四国沖では大いに揺れたが、友ヶ島水道を通り抜ければ波は静かそのもの。
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 これが「さんふらわあ号」の煙突。台風接近のため、大阪到着が近づくまで甲板に出ることは禁止されていた。

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