島めぐり

2021年11月13~15日

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第 1 日 目

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船で与論島に行くなら、沖縄に来た時がチャンスだ。鹿児島から種子島や屋久島に行く場合に比べて、はるかに南にある与論島は那覇港から5時間。あまり短時間とは言えないが、一つに「那覇港」が沖縄本島の南部にあることと、途中「本部港」に立ち寄るからだ。しかも歴史的に与論島は沖縄と縁が深く、琉球王国の一部だったこともある。

出航は朝7時。ホテルを6時前に大急ぎで飛び出して、ゆいレール「旭橋」の駅から歩いて15分ほどにある「那覇ふ頭」に向かう。まだ空は真っ暗で夜中のようだ。

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ようやく東の空が白んできた。近くに朝食を食べるところがないから、前日に食料を用意しておかなければならない。
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「マルエーライン」の船が待っている。これは本部(もとぶ)、与論島のあとは沖永良部島、徳之島、奄美大島に寄港するが、種子島と屋久島はスキップして鹿児島港に向かう。
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出港して間もなく、軽石の帯が観察される。今日は細い筋がかなりたくさん見られた。
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午前11時を過ぎて、与論島の全体が見えてきた。高い山はなく、ちょっとした丘があるだけである。
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 今回のGPSによる記録。2重の周遊があるが、内側はバスによる周遊。外側は自転車による周遊だ。宿泊所は左の詰まっているところ。
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「与洲旅館」が今回の宿泊所。新しいとは言えない建物だが食堂に入ると、かつて数多くの高校がここを修学旅行に利用したことがわかる。親切な女将が常連客をつないでいる。ダイビング客が多いようだ。
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旅館のある所は町の中心「銀座通り」と並行している道。サンゴ石の石垣が続く。
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この45番という数字は、島の主要な分岐点にそれぞれ与えられたものだ。すばらしい発明で、地図にある番号と実際の番号を照らし合わせて進めば、決して迷うことはない。
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この浜は、かつて役場のあったところに面している。役場は別のところに移転したが、この白い(スチロール製の?)物は何だ?観光客が集まり、軽石が砂浜に散らばっている。
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同じ場所の軽石の堆積は深刻だ。本来真っ白い砂浜が灰色になってしまっている。
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島に上陸して間もないので、飲食店がなかなか見つからず、銀座通りを中心に歩き回り、やむなくスーパーで残った最後の1つの幕の内弁当を買ったが、バラエティーに富んでボリュームたっぷり。

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弁当を食べたところは「茶花漁港」。ここでも狭いところに軽石が入り込んでいる。ここはフェリーの出入りする港ではない。そちらはここから車でも10分ぐらい離れている。
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この「みなみバス」というのは島の中央部を一周するコミュニティーバスで、出発時間を見計らって乗せてもらった。夕方に乗ったが土曜日だったのに乗降客ゼロ。一周で約40分。
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バス停は10個以上あった。これは一面のサトウキビ畑の中に立っているもの。
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 「泰斗寿司」というのが今晩の夕食をとった店。右側は地魚だけで作った寿司。左側の黒いのはブダイの粗塩煮。どちらも素晴らしい味だった。7時を過ぎたころから地元の人も、観光客も次々とやってくる。
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この店は茶花漁港すぐ近く、海岸通りの小さい店だが定評があるらしい。「スザンヌ」「岡村隆史」「蓮舫」などのサインの入った色紙が壁一面に貼られていた。

 島 内 一 周

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翌日8時過ぎに近くのレンタサイクルの店に行き、一日借りる。那覇では4000円の保証金を預けたが、ここでは名前さえ聞かない。のんびりしたものだ。ほんとにいい意味での田舎である。島の海岸沿いに走る道を時計回りに行くことにした。出発すると、すぐに街並みが途絶え、サトウキビ畑の中に入っていく。
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ヨロン島バナナの看板。この農園ではトロピカルフルーツの生産販売をしている。
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小さな島なのに海岸はそれぞれ細かく命名されている。それも漢字と地元の言葉の両方で。例えば「宇勝海岸・ウァーチ」というふうに。そして沖合の白く砕けている部分がサンゴ礁だ。サンゴ礁は島をぐるりとほとんど覆っている。サンゴ礁の外は、普通の外海だが、内側は浅いプールだ。
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砂浜だけでなく岩浜もある。サンゴ礁の岩が波で侵食されて、下部にへこみ(ノッチ)ができているのがわかる。断崖絶壁はない。
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 ここは「寺崎海岸・ティララキとトゥマイ」。鬱(うつ)や迷いのある人がここで海につかると、癒されるというパワースポット。なお、この島は映画「めがね」の撮影場所となった。このため島中にそのロケ地の表示がちりばめられている。いずれも特別に風光明媚なところだ。そういえば、礼文島に行ったときは、吉永小百合主演の映画「北のカナリヤたち」の撮影場所が島の名所の一つになっていた。
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  海岸を東に進めば進むほど海のコバルト色が濃くなっていくようだ。
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何といってもハイビスカス。
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 黄色もいい。
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「皆田海岸・ミナタ」。この船の名前は「ビーチボーイ」。向こうに島のように見えるのが「皆田灘(なだ)」。潮流が速いのでダイビングでは要注意だそうだ。
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「皆田海岸・ミナタ」のすぐ南。与論島をこよなく愛した作家の森瑤子はここに別荘を作り、死後ここに遺骨が納められた。すぐ横が「ヨロン・シーサイドガーデン」であり、入口のところで夫だったブラッキン氏と偶然に顔を合わせた(と思う)。
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「船倉海岸・プナグラ」のところから”探索路”が突然始まり、少し行って突然終わる。なかなか見ごたえのある植物が植えられているのであるが、自転車はご遠慮くださいとある。
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そろそろ「大金久海岸・ウプガニク」に入ったようだ。海の色が一層明るくなる。ここは「茶花漁港」のほぼ反対側に当たる。
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海岸はなだらかなカーブを描いている。
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 ウィンドサーフィンをやっていた。ここでは一年中できる。しかもサンゴ礁の内側だから安心だ。
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 「大金久海岸・ウプガニク」でも、ここがおそらく島では一番有名な場所であろう。貝の装飾品を浜辺で売る3人のおばあさんに声をかけられ、浜辺には泳がなくとも観光客が点在する。そして砂洲である「百合が浜」はこの海の向こうに、引き潮の時に月に数回だけ出現する。残念ながらこの日は水中に没している日だった!
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「大金久海岸・ウプガニク」の光景。浜辺に立つと強い風が吹きつけ、すばらしい眺望が楽しめる。(動画)
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ここは「アマンジュウ」(町指定文化財)。「大金久海岸・ウプガニク」からさらに南に下ったところ。ここは「与論島人類渡来発祥の地」である。はじめてこの島に人間がやってきたとき、このアマンジュウの穴の水を発見し、住み着いたという。
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「与論島赤埼灯台」。ここは島の南東の端、「赤崎海岸・アーサキ」である。この灯台は奄美群島最南端に位置する。今は無人だ。
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 「大金久海岸・ウプガニク」の南端からの眺め。
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コロナ流行のせいで、ここらへんで昼飯の食べられるところを見つけるのは絶望的だと思っていたが、幸い赤埼灯台のすぐそばにお食事処「味咲(みさき)」が見つかった。黒い器にぐつぐつ煮えたぎって運ばれてきたのは「モズク雑炊」。この地域特産の海藻であるモズクをごはんとともに煮込んだもので、磯の香りがして実に美味。
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 さて、次なるは鍾乳洞である。沖縄の玉泉洞にはかなわないが、「赤崎鍾乳洞」は今回のサイクリングコースからちょっと隠れたところにあり、観光客が立ち寄りにくいため、客は皆無である。正午ちょうどに行ったら、呼べど叫べど管理人のおじいさんが食べに出ているらしく、あきらめてこちらも「味咲」で食事をしに戻って1時過ぎに再びやってきた。玉泉洞と違って俗化せず、鍾乳石の痛みも少ないだろうと期待したのだ。
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管理人のおじいさんは突然の訪問客にびっくりしたらしい。内部は玉泉洞のように至れり尽くせりではなく、ぬかるんだ年度の道やかなり狭い通路もあって少しスリルがある。照明は十分に設置されているが、その電線がむき出しになっていて、どうもいただけない。それどころか、その電線の一本に足を引っかけて転んでしまった。(そのことを後で管理人に報告)
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鍾乳洞の中は全体としては♀字型になっており、一方がループになり、もう一方は穴が外に開いている。思ったより大きい。
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 「昇龍神社」のかわいい鳥居。
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外に向かって開いている穴。ここから出ていけないと書いてあるが、なるほどその先は藪だ。残念なことは、このところの晴天続きで、洞窟を流れる川がすっかり干上がってしまい、洞窟独特の水滴が滴る環境になっていなかったことだ。おかげで歩きやすかったものの、もし大雨でも降っていれば水に落ちたり、滑って転んでしまう危険もあっただろう。
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 「前浜海岸・メーバル」。島で見た、おそらく唯一の風力発電塔。この島は結構風が強い。
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 南部の海岸。沖縄には「ヤギ料理」があるが、その材料か。ただこの島ではこの種の料理店がないようだ。那覇に戻らなければ。
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南部の海岸。 「きけん」とあるのは与論小学校PTAで作成したもの。この崖は「勇気の岬」と呼ばれる。水平線に沖縄本島が展望できる。車で通ったら絶対気づかないだろう。自転車だからこそ発見できた、実に目立たない展望所。
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 ”勇気をもって飛び込め”と言っているわけじゃない。3本の電線が邪魔だが、下をのぞき込むと確かに「きけん」である。
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与論島についての資料を集めた「サザンクロス・センター」はぜひ見ておくべきだろう。“南十字星“というからにはこの場所から見えるのだろう。島を回ってきた道路から、おそらく島で1番目か2番目に標高の高い丘に登る。するとその頂上あたりに見えてきた。
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 サザンクロス・センターの最上階は360度の展望所になっていて、ここからも沖縄本島が眺められる。
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 センター内。館内の展示を見て、ようやくわかったことは「茶花漁港」そばの旧役場の前の海岸にあった白い構造物が、「浜辺のゴミ拾い運動」のシンボルだということだ。
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 沖縄の”サバニ”と同じ形式の船だ。舳先(へさき)が剃刀(かみそり)のように切れ味がいい、逆三角形だ。
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 センター内。与論島では、もちろん「星砂」が有名だが、別の海洋生物による「太陽の砂」もあるのだ。
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センター内。「ヨロンマラソン」の歴史は古い。第1回目は1992年なのだ。2022年度もきっと開催されるだろう。
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 センター内。なんとなく秋田のなまはげに似ている。鹿児島県吐噶喇(とから)列島の「悪石島(あくせきじま)のボゼ」と呼ばれるお祭りに使われる。この仮面をかぶって、ボゼマラ(ペニスの象徴)と呼ばれる長い棒を持って女子供を追い回し、悪霊の汚れをはらう。
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サザンクロス・センターのすぐ隣が「琴平神社」。同じく高台にあるので眺めはいい。ここ一帯は「与論城跡」でもある。
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昔からのサンゴ石による石垣が高台の上部に沿って続く。
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 左にあるえぐれた湾は「ハキビナ海岸」。その先のほうに空港の滑走路がある。
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石垣の凹凸が見え、、ここで見張りの兵士が頑張っていたのであろう。
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この「ヤンパルクイナ」の模型は、沖縄県国頭村(くにがみそん)との友好の絆である。かつて与論島は琉球王国の一部だったことがあるのだ。
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高台を降りて上を見上げると、与論城が丘の上部に構築されているのがよくわかる。
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これは「与論牛」か?この島では和牛の生産が急速に伸びて、サトウキビを追い越している。この牛が食べているのは、大量飼育で使われているような、肥え太らせる濃厚飼料ではなく、この島に生えている(いかにも固そうな)葉っぱだ。
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フェリーの発着する与論港から高台に上がったところに「ヨロン駅」がある。駅舎のシンボルがあり、蒸気機関車の動輪が置いてある。鹿児島からヨロンを経て沖縄へつながる“天の川銀河鉄道本線”なのだ。新婚さんや恋人たちはこういうのが大好きだ。わざわざこういう施設を作ってしまうという、この島の観光関係者たちの夢が面白い。
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駅のホームと思われるところには、ご丁寧にも枕木まで埋め込まれている。レールはないが。さらに遠くを見まわすと、ここからつながる遊歩道(ビドウ遊歩道コース)が完備されている。非常に手の込んだ観光施設だ。
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空港の滑走路を回り込み、「茶花港」に入った。海沿いにあるグリーンベルトに、逆立ちをする少年の像が。
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そして道路を隔ててその向かいには、シーサーではなく何かギリシャ神話の怪物らしき像が。
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ようやく島を一周して、旧与論町役場への道にさしかかった。左側は海岸であるが、右側はずっと真っ白な壁が続いている。そこにあるレリーフ(浮彫)はなんやらギリシャ神話の登場人物、動物のようだ。そう、ここ与論島とギリシャのミコノス島とは姉妹都市(姉妹島?)なのだ。そしてこの通りを「ミコノス通り」という。
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 昨晩と同じく「泰斗寿司」で寿司ではなく、とんかつ定食を注文する。理由はほかの客が食べていたのがおいしそうだったから。この店はなんでもうまいようだ。
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 なんという偶然か、この晩は「茶花漁港」で花火大会だった。8時になると人々がぞろぞろ集まってきた。ここは11月でも暖かいから、花火に季節はない。
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花火は開きかけだったり、燃え尽きてしまったりで、普通の写真でとらえることが難しい。むしろ動画にしたほうが楽しめる。 
 

最 終 目

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フェリーの出航時間は午後2時なので、午前中は島の中央に行ってみた。「舵引の丘・ハジビキパンタ」は宿から歩いて20分もかからない。標高は昨日行った「琴平神社」よりも低いかもしれない。ただ中央部にあるから、島全体を見渡すことができるはずだ。伝説によると、与論島はここから海の中からむくむくと盛り上がってきて人々の乗っていた船の舵が海底につかえて引っかかってしまったことからこんな名前になった。(サンゴ礁の隆起という地質的観点からすると、昔の人の考えは何ら誤ってはいない!!!)
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頂上にあずまやがぽつんと立っている。観光名所とは言えないかもしれないが、昨日の島一周の復習には最適だろう。
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 あずまやのところに立って、動画を撮影しながら一回転してみた。昨日自転車で回ったところが一目瞭然だ。
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あずまやの周りで、ふと草むらを見ると、小さな花がいっぱい咲いていて、そこに蜜を求める蝶がいっぱい来ている。11月だというのに。昨日も島内のいたるところで蝶を見たが、シャッターチャンスに恵まれたのは今回だけ。
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 昼が近づいてきたので「茶花漁港」付近まで戻り、昨日の自転車で立ち寄らなかったが港からは一番近くにある「ウドノスビーチ・ウドゥヌスー」をぶらつく。ここは砂浜もあれば、このように侵食の進んだサンゴ岩もある。11月だというのに、上半身裸になり、すっかり日焼けした。こんなに快適なら、何日も滞在したい。
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またまた「泰斗寿司」に行き、今度は昼食として「ラフテー(豚の角煮)定食」を注文する。
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 幸い3日間天候に恵まれた。与論島は種子島や屋久島に比べると、ずっと琉球という感じが強い。島影がまたたくまに小さくなっていく。
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 鹿児島からやってきた「クイーン・コーラル号」。行きとは船会社が異なる。那覇には午後7時ごろの到着だ。

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