釜山再訪 2018年

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2018年・釜山再訪+木浦・麗水

2014年にソウルを訪れてから4年がたった。1994年に釜山を訪れてから23年もたった。今回、博多と釜山の港を結ぶ、水中翼船「ビートル号」の安いチケットが手に入ったので、ソウル抜きの韓国、というよりは、釜山を起点とし朝鮮半島の南部海岸を訪れてみようと思った。気軽な一人旅である。渡航前のホテルの予約は、最初の日と最終日だけ、あとは場当たりで見つける。

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前日9日午前中に福岡市に到着していたのだが、その日の夕方のビートル号の便が満杯だったため(この船のサイズはかなり小さい)、やむを得ず福岡市内に宿泊して(余った時間は太宰府天満宮などを訪れて)10日の朝8:30発の便に乗ることになった。

昼近く、釜山港の「国際旅客船ターミナル」から上陸し、ホテルに荷物を預けた後、釜山タワーから国際市場(クッチェ・シジャン)にかけて、以前(1995年)来た時と同じようなコースを巡り、夕方近くになって、市街地北部にあるトンネ地区にある、地下鉄の「温泉場駅」に下車して、山間にある「金剛公園」を散策した。

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11日は釜山西部バスターミナルから午前の「木浦 Moppo」 行きの便に乗り、午後4時頃現地に到着。宿泊先を見つけた後、港周辺と儒達山(ユダルサン)山麓を歩き回る。

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12日は木浦のバスターミナルより、麗水 Yosu 行きの便に乗り、昼前に到着。宿泊先を見つけた後、市街中心部➡麗水エキスポ駅➡エキスポ跡地➡オドンド島➡ロープウェイ経由の突山島➡港地区と、大きく周遊コースを歩いた。

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最終日13日は麗水のバスターミナルより、釜山行きの便に乗り、昼過ぎ到着。ロッテデパートの前より「太宗台(テジョンデ)」行きの便に乗り、現地を散策。再びロッテの前に戻り、地下鉄駅「南浦(ナンポ)」周辺の市場や繁華街を歩き回る。翌日14日は、午前6時にホテルを出て、8:00発のビートル号に乗って帰途に就く。

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釜山2018年 写真集

<釜山市:2018年4月10日・13日> 
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 博多港国際ターミナルには、出発の1時間前にはついていなければならない。ホテルから適当なバスはないし、博多駅から歩ける距離ではない。1995年のときと同じくタクシーを使うことになった。3時間の船旅。GPSによれば、時速70キロ以上をキープしている。ところが対馬を過ぎたあたりから、「海洋生物のたくさんいる海域に入りましたので、減速いたします」というアナウンスが流れ、1時間ぐらいその状態が続いた。水中翼が何かに衝突したら、簡単に折れてしまうのだろう。船内では最近、Wi-Fiが設置されたが、しょっちゅう切れて、まだ不安定である。
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 周りの船と比べてみると、ビートルの船体はかなり小さい。無事、釜山港の「国際旅客船ターミナル」に到着。1995年のときは別の場所にあったのだが、移転新設されたのだ。入国審査のあと、ATMで韓国ウォンを引き出し、韓国の交通カードである「Cash Bee」に必要な分だけ、ターミナル内のセブンイレブンでチャージする。このカードは2014年にソウルに行ったとき、確か駅の売店で買ったものだ。ちゃんと使えるし、木浦や麗水のような地方におけるバスでも、まったく問題なく使えた。
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 ホテルは地下鉄釜山駅と中央駅との間にしたので、レストランやカフェには困らない。上陸後最初の昼食はビビンバ。観光レストランではなく、大衆食堂がたくさんあるので、それらをもっぱら利用する。釜山市?O???????Nは、昔と比べてどう変わっただろうか?
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  「四十階段記念碑」の建つ階段を登ると、釜山タワーのある丘に続いている。この階段のあたりは朝鮮戦争で離ればなれになった家族の再会の場所であったという。
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 1995年以来の釜山タワー。ソウルタワーより小作りでシンプルだ。この週はあいにく海水温が低いらしく、海上が靄ではっきり見えず登る人はあまりいない。
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タワーの横にある、「釜山市民の鐘」。タワーの周辺はかつて日本(倭の国)と朝鮮が貿易を行った唯一の場所だった。
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タワーのある丘を下ると、国際市場などの路地が縦横に走る部分に達する。人ごみの度合いには、ばらつきがあって、閑散としているところもあれば、歩行に困難を覚えるほど混雑しているところもある。
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市場の見学が一渡り終わると、今度は地下鉄1号線に乗って北上し、トンネ地区にある、「温泉場駅」で下車する。ここはその名の通り、温泉があるのだが、西側は近くまで山が迫っていて、その山々は公園やらハイキングロードやらが整備されているのだ。駅のすぐ前に川が流れており、ここに見える緑のベルトは川沿いに作られた散歩道だ。
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すぐに急な坂が始まり、間もなく市街地が終わりになり、トンネ区と金井(クムジョン)区にまたがる「金剛(クムガン)公園」に入る。 上の写真のように、お寺もいくつかある。
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「金剛(クムガン)公園」のこれが最も正式な入口だろう。
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金井山金井寺への入り口
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夕暮れ近くのせいか、園内にはジョギングや散歩を楽しむ地元の人々が多い。ユーモラスなデザインの水飲み場がある。
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公園内にたてられていた、「日帝蛮行犠牲者慰霊碑」
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帰り道、地下鉄「温泉場駅」のホームで見つけた標語。ハングルではなく漢字で書いてある。そのほうがインパクトがあるのだろう。「一つ笑えば一つ若返る、一つ怒れば一つ老いる」とは、中国(台湾)の蒋介石の参謀総長であった張群(ちょうぐん)という人が座右の銘にしていた言葉だそうだ。
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夕食は、シクサつまり dinner であるが、左にあるメインの皿を中心に、金物の入れ物に入ったご飯、さらに右側のキムチ色で真っ赤なスープがあり、上の小皿群はおかずである。おかずは素材の異なるキムチと海藻を刻んだものが多い。私が別に注文した右の緑色の瓶は、「テソン」という銘柄の「スチュ(酒)」であって、マッコリや焼酎ではない。小さなヒラメのような魚を揚げたものもあった。また、「キム(韓国のり)」もついている。
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ホテルの窓から港方面を見た時の夜景。
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釜山鉄道駅構内で。自由通路がないせいか、大きな荷物を抱えた人や、この女性のように折り畳み自転車に小さな車輪をつけたもので引っ張っているのも見受けられる。
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 釜山駅と地下鉄中央駅のあいだには広い道路が走っているが、そこで見つけた中華街への入り口「上海門」。韓国に長期滞在する人は、たまにはキムチの入っていないものも食べたくなるだろう。
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 滞在最終日には、南の端に突き出た半島部にある「太宗台(テジョンデ)」へ向かう。釜山タワーの近くでロッテデパートのある通りから乗った。ここで久しぶりに多くの白人観光客の姿を見かける。初めのうちは、バスには地元の人が乗り降りしていたが、次第にその数が少なくなり、30分後には我々観光客数人だけになって目的地に着いた。
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 バスの終点からは、一般車の入れない専用道と遊歩道でできている。かなりの距離を歩かなければならないので、健脚でない人は公園内を走り回っている連結自動車に乗ったほうがよい。
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 2,3キロ登り道を行くと、海が見える。階段で砂浜に降りることができる。
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 アシカのような顔をした動物の口元から水が噴き出ている。左上に水色のひしゃくが見えるが、ここはお手水を使うところか?「沸かせば飲めます」ということだが…
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 南港眺望ポイントより。ビートルの着いたところは反対側、北港なのだ。この半島が北と南を分断している。
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 これが、足の弱い人のための連結自動車(タヌビ列車)の牽引車両。
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 灯台が先端にある。
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 アジサイの名所、「太宗寺」の入り口であり、本殿にあたる「大雄殿」はこの奥にある。
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 沖を走るタグボートと、それに引っ張られているハシケ。この辺りが、太宗の名を持つ将軍が立ち寄ったところだという。左の赤いリングは、これからも各地で見ることになるが、“愛しあう二人のための幸せの入り口”である。
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 太宗寺の境内で見つけた「影島(ヨンド)遊撃部隊遺跡址碑」の一部。「6.25参戦」とある。つまり朝鮮戦争が始まった1950年のこの日から、北朝鮮軍を悩ました混成の遊撃部隊が活躍を始め、そのメンバーが葬られているのだ。
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 かなり質素なシクサ。メニューの名前がわからないから、逆に「何がおすすめ?」と聞いたら出てきたもの。すぐに腹が減ってきたので、帰りにコンビニに寄り、ビールとおつまみを買ってホテルで食べ足した。
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 タクシーの運転手に何て行き先を告げればいいか?とホテルのフロントに聞いたところ、紙に書いてくれた。「国際旅客船ターミナル」は、韓国語では発音が難しい。「…へ行ってください」が「・・・ウロ カジュセヨ」はわかるが…。印刷体ではなく、手書きのハングル文字を見たのは初めてである。

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