島めぐり

種子島 (2021年4月19~26日)

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今回もBMW方式(自転車・自動車・徒歩)で行く。 鹿児島県に属する島々はそのほとんどが鹿児島港から出ている。そのうち種子島、屋久島、奄美大島、徳之島の4つが自転車の必要な広さを持っている。まずは一番北にある種子島に向かうことにした。

鹿児島港からフェリーで約3時間ほどの道のりだが、高速船ならもっと早く着く。一番の中心地は「西之表(ニシノオモテ)」で、種の形をして南北に長いこの島のかなり北にある。有名なロケット基地は逆に南の端だ。なお、沖縄県八重山列島にある「西表島」は”イリオモテ”である。

ほとんど真ん丸な屋久島と異なり、種子島では「島一周」が困難だ。そのため、西之表より近距離の北半分、往復100キロを超す南の部分、そして西之表より東にある山と、3つに分けて自転車を走らせた。

地形は遠い海上から見ると平らに見え、近づいてもなだらかな丘があるだけに見える。ところが、最高峰が300メートルに達しないにもかかわらず、アップダウンがどこまでも続く。このため人々の生活は自家用車に頼らざるを得ず、3万人の人口の割には交通量が多い。

第1日目 仙台市より(午前10時発)R113、「荒川胎内IC」より「日本海東北道、北陸道、名神、新名神、山陽道に入り、午後11時に兵庫県加古川市付近の「権現湖PA」で車中泊。

第2日目 午前7時「権現湖PA」より、山陽道、九州道、を経て「鹿児島北IC」には午後6時。鹿児島市内のホテル泊。

第3日目 自動車は4泊で4750円となる駐車場に預ける。鹿児島港よりフェリー(コスモライン)で8:40発、種子島の西之表港に12:15着。自転車と徒歩で西之表市周辺探索。そのあと北部の浦田海岸まで往復。西之表地区のホテル1泊目

第4日目 西之表より自転車で反時計回りに島の南部をまわる。。西之表地区のホテル2泊目

第5日目 午前中は自転車で西之表の東にある「天女ヶ倉山」山頂まで往復。午後2:00発のフェリーにて鹿児島港午後5:30帰着。鹿児島市内のホテル泊。

第6日目 鹿児島市内見物。午後5時、鹿児島を出発して九州道に入る。山口県内にある中国道の「王司PA」で車中泊。

第7日目 「王司PA」より中国道、山陽道、新名神、名神、北陸道、日本海東北道へ。「荒川胎内IC」で降りて途中、「道の駅・胎内」で車中泊。

第8日目 国道113号経由で仙台市まで。(往復走行距離3200キロ)

 

航 海

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実質20時間、1600キロを越える運転の末、ようやく「鹿児島北IC」にたどり着いた。鹿児島での宿泊は、種子島航路の発着する南ふ頭から歩いても15分ぐらいのところに構えた。前日に下見をしておき、南ふ頭の中にある駐車場に自動車を入れる。この駐車場は船で長い時間ここを離れる人のためにあり、1日目は普通の料金だが、二日、三日、四日と長期に及ぶと1日あたりの料金が安くなる。それでも長崎で見つけた一泊500円のところにはかなわない。
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 乗船するのは?O???????Nコスモラインの「プリンセスわかさ」というフェリーである。自動車の搬入口が、真後ろではなく、斜め横についているところが変わっている。この”わかさ”とは女性の名前であり、後に島に渡ってからその生涯を知ることになる。コロナの流行のせいで、観光客は数えるほどしかなく、島への輸送や作業に携わる人々ばかりであった。
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乗船して甲板から港を見下ろす。この10数年の間に設備が整備され、広々としている。また、「ウォーターフロント」などという市民の憩いの場ができている。それでも町の最大の繫華街「天文館」からは歩いても大した距離ではない。こちらは南ふ頭で、北ふ頭には「桜島フェリー」が発着している。かつて大隅半島から自転車でやってきて、桜島フェリーに乗って鹿児島市内に入ったこともある。
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南西諸島では距離的に一番近いだけあって、この「鹿児島⇔種子島」航路はこのように専門の船を用意している。
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出航。錦江湾の中は波もなく、空気が決定的に暖かい。桜島も靄で霞んでいる。
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これがおそらく種子島との間を行き来する?O???????N高速船。(ただし、屋久島か指宿に向かっていたのかもしれない)
 

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西之表港 周辺

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正午過ぎ、西之表港に到着した「プリンセスわかさ」。この写真にあるように搬入口が進行方向に向かって右側についているため、船体を岸壁に普通に横付けできる。
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港周辺を見回すと、さすがロケットで有名なだけあって、立派な“模型”がそびえている。フェリーターミナルから自転車で行けばほんの5分もかからないところに今夜の宿があった。「?O???????Nビジネスイン種子島」はビジネスマンや作業員が泊まっている。ありがたいことにサウナと大浴場があり、内湯に入って窮屈な思いをすることがない。

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港から自転車でぶらぶらいく。ここは「八幡神社」。16世紀のころ、この島に異国の船が襲来した時に二羽のハトが現れて船に火を放ったために船が全焼した。この神社にある水たまり(鳩ケ瀬)はそのハトたちが休憩をとったところ。
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とはいえ、高齢化のせいか、草むしりをする人もなく、神社に通じる階段はまだ早春なのに草ぼうぼうだ。
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階段を登りきると、神社が見えてきた。赤く塗られてはいない。

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温泉を発見。「?O???????N赤尾木の湯」とある。赤尾木とは西之表港の旧名だそうだ。ぜひとも入ってみたいと思ったが、宿泊したホテルに大浴場があったために、つい行きそびれてしまった。
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温泉の向かいに地元の「タカサキ」スーパーがある。寿司と蕎麦が一つの器に入った弁当。あと、蒸かしてあってすぐ食べれるサツマイモを買ったのだが、直径が3センチぐらいでかわいい“安納イモ”らしい。
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ここは種子島を訪れた観光客なら必ず行く「?O???????N鉄砲館」。よく見ると建物が西洋の船の形をしている。右端が船尾で、中央にマストらしきものが立っているのが見える。ここに来れば種子島の文化がすべてよくわかる。アニメ「もののけ姫」にでてくる”たたら製鉄”がここでも行われていたそうだ。
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 沖縄の漁民が使っていたような帆掛けのカヌーがやはりこの地にもあった。
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これは実物であるが、木をくりぬく技術は特殊なもので、さまざまな道具を必要とする。
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そしてその道具類に欠かせない製鉄や鉄の加工技術をこの島の職人たちは使っていた。これが鉄砲伝来の下地となる。
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鉄砲伝来の様子を描いた5幕ものの小劇場。あの”わかさ”が島の職人棟梁の娘であることが明らかになる。漂着したポルトガル人から銃の複製を試みたが、鉄砲製造に欠かせない”ねじ”の製法をなかなか教えてくれないポルトガル人の妻となり、その技術を父親に伝えたのだ。日本初の国際結婚をした彼女はどんな人であったのだろうか。とにかく彼女は島一番のヒロインであることは間違いない。
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ずらっと並ぶ国産の鉄砲。生産の中心が岐阜や滋賀に移るまでは、砂鉄を産するこの島でしか手に入らなかったのだ。
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画家が描いた、「帰って来たわかさ」。彼女は16歳で国際結婚をしたが、何らかの理由で別れて戻ってきていた。
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  この島の砂鉄の豊富さを物語る。ペットボトルの中には磁石が取り付けてあり、これで海岸から持ってきた砂の中を動かすと、この通り大量の砂鉄がくっつく。これが鉄砲の銃身の材料になったのだ。なお、西表島や竹富島で有名な「星砂」も産する。
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  馬の一亜種であるウシウマの模型。普通の馬より小型であり、かつてはこの島で飼育されていたが、絶滅してしまった。
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「鉄砲館」の入場切符を買ったときに、共通入場券として買い求めたのがこの「?O???????N月窓亭」。歩いて2,3分の所にある。地元の名士がかつて住んでいたが、その建物のセンスの良さから市が買い取り、今では管理人を置いて庭園も含めた維持が行われている。薩摩の武家屋敷の雰囲気である。
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  沖縄の首里城にあるサンゴで作った石垣とは違う。さまざまな有名人が言葉を残し、それが門前の立て札になっている。
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二階建ての小さな木造家屋ではあるが、素敵な庭に囲まれており、弓道場まで備わっている。
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中に入ると、早速この建物のいわれを記録したビデオを見せてもらう。その間にお茶とサツマイモ、きんつばなどが運ばれてくる。お茶は「月窓茶」といい、独特の香りがありいろいろ効能があるそうだが、買って帰ればよかった。
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二階に上がる。シンプルで風通しのいい部屋だ。真夏でものんびり過ごせそうだ。
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 庭先に出る。鴨居にぶら下がっている二匹の魚の飾りがユーモラス。
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 ひとわたり市内を見たので、町を出て北上する。20キロも走らないうちに国上地区にある「浦田海水浴場」についた。前日のNHKテレビで、ここでの海開きが紹介されていたのだ。海に浸かった子供たちは寒さで震えていたが、なんといってもまだ4月の下旬なんだから。それでも白い砂とコバルトの海の色は本州ではお目にかかれない。何しろこの島は黒潮がまともにぶつかっているところだ。「ウミガメを守りましょう」という立て札が立っている。
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 国丘の上を通るみちから海水浴場にある三角テント型の”海の家”を眺める。
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 帰り道、ガードレールに取り付けられた時計を発見。海水浴シーズンには、遊びすぎて帰ろうとしない子供たちに示すつもりなんじゃないだろうか。
 

島の南部

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2日目、空港を通り南部につながる県道76号からわかれ、東海岸沿いに走る県道75号をたどる。降雨量が多いから、島から注ぐ河川は多い。ガジュマル、アコウ、ソテツ、ヘゴが至る所に生い茂る。マングローブもここの主役だ。
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 安城という地区を通り抜けた後、海岸で「米国人漂着地址」と書かれた碑を見つける。ここ立山地区の住民は1885年にアメリカの船カシミア号の遭難者を救助して感謝された。ほかの地域でもトルコの船を救助したというのを聞いたことがある(和歌山県串本)。日本の漁民というのは親切なんだ。
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その碑をうしろから見る。岩浜が迫っていて、ここに漂着者たちがたどり着いたのだ。
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 運悪く、その先の県道75号は土砂崩れがあり通行止めになっており、やむなく内陸部へ通じる道に入った。やがて先の76号線に行き当たり、空港の前を通過することとなった。
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 76号を南下し空港からは中種子町(ナカタネチョウ)に入っている。「伏之前住宅団地」というのがあり、その前にシャレた公園がある。手を振っている少年とラッパを吹いている少女の像が丸い輪の上にのっかっているのだ。「小便小僧」のような魅力がある。
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 そしてその奥にはこれまた「鉄砲館」顔負けの西洋式帆船の形をした遊具が置いてある。こんな公園のデザインをした人はいったい誰だろう?ちなみにこの島には、子供の数が結構多い。閉校した小中校を一度も見かけなかった。登下校でも大勢歩いている。
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熊野漁港、浜田漁港に挟まれる地域は白砂の海岸もあれば、沖合に岩礁が林立しているところもある。この辺りからは「南種子町(ミナミタネチョウ)」に入る。
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 ロケット基地の名前につられ、75号からはずれて南東方向の丘陵に向かうと、TNSC(種子島宇宙センター)の看板が見え、研究施設があちこちにある。ただ、今は打ち上げの時期ではないので、しかもコロナのこともあって、センター関係の自動車が忙しそうに行きかうだけだ。
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 それでも橋の欄干には、こんなレリーフが飾ってある。75号と再び交わる「茎永(クキナガ)交差点」で
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再び75号線を北上して帰途につく。「?O???????N種子島マングローブパーク」の看板がある。マングローブといえば、エビを養殖しているインドネシアなどで有名だが、このあたりでも自生しているのだ。海水に強く、根を張ったところは波を防ぎ、土壌の浸食を防いで、しかも小魚を守ってくれる頼もしい植物である。
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 マングローブパークの全景。水量豊かな川の両側にマングローブが生い茂っている。右の黄色いのはカヤックであり、左側の柵はそのカヤックを川に下ろすための船着き場。
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 そして真ん中の木道が、マングローブを観察するためのもの。今の季節は海水が入っていないので、まるで花の咲いていない、椿かサツキの木のように見える。
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 さらに北上して、国道58号線に入る。これは島一番の上等な道路であり、途中から西海岸にそって西之表港まで続く。
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 だから、58号はサンセット海岸でもあるわけだ。住吉漁港付近を午後4時半ごろ通過。海から吹き付ける風が素晴らしい!
 

天女ヶ倉山

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三日目、午後2時発のフェリーまでの間、短時間で行って帰ってこれるところはないものか。もっとも自転車がパンクしたり故障したりしたらアウトだが。地図を見ると西之表港から県道75号をたどると、すぐに東海岸に到達するのがわかる。その途中に眺めがいいという天女ヶ倉(アマメガクラ)山がある。島の最高地点ではないので、もちろん標高300メートルに達しない。注意深く75号をたどっていくと、左にそれる山道があった。すぐに上り坂になってひたすら頂上に向かう。山林内はまさにジャングルで、樹木は厚くツル草に覆われているし、写真のようにオバケハスみたいなのが道端に生えている。
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 林の中はうっそうとしていてどんな動物が住んでいるかわからない。ただ、まともな舗装道路だから、登りはつらくない。
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 ほら、出た!!!道端をヘビが横切る。すぐに自転車を降りてカメラを構えると、ヘビは側溝の中に落ち込んだ。それでも何回かシャッターを押して一番できのいいのがこれ。毒々しい模様から、毒ヘビではないか。
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 間もなく頂上に到着。公園になっていて、島の北半分がよく見通せる。真ん中が山というより丘が広がっており、海岸は田んぼや畑によって占められている。
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 かなり前に作られたような展望台があった。階段がつき、近くに水飲み場もあったが、水道水は出てこない。
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 山頂から少し下ったところに、神社がある。天狗がその昔、大岩を空輸中、ここに降り立った時に岩を縛ってあった縄が切れ、天狗はその大岩を置き去りにしてしまった。その大岩を神様にしてこの神社ができた。写真にある手水鉢(チョウズバチ)は変な形をしているが、これは天狗の残した足跡だ。
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 これがその神社の本殿である。だが、それで終わりではない。うしろ小高い丘のようになっているが、そこに道がつけられているのだ。傾斜のきついその道をあがってみる。
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その道をあがってみると、こんな大岩が鎮座している。これこそ天狗が置いて行った岩なのだ。
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 さらに近寄ってみると、前面に石版によって囲われたお宮がある。
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 さらに大岩の下をのぞき込むと、それがいくつかの小さな岩に支えられているのがわかり、そこにもお宮があった。供え物のようなものがあったから、誰かがお参りに来ているのだ。
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天女ヶ倉山から西之表港に戻るときが来た。出航直前に訪れたのは、これまで何度も登場した”わかさ”が眠っている場所だ。甲女川にかかる天神橋のそばで見つけた。鉄砲館で知った彼女の運命は、そのあと幸福なものでなかったらしく、翌年ポルトガル人の夫と別れて父親の元に戻ってきたとか、シンガポールまでは行ったとか、早くに病死したともいわれている。左側のソテツの木の下に差し渡し20センチぐらいの小さな石があり、それが彼女の墓石だという。
 

鹿児島市再訪

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帰りの航海は台風2号のもたらす猛烈なうねりの中だった。このうねりのひどさは、エーゲ海のサントリーニ島からアテネに向かうときに次ぐものだった。それでも錦江湾に入ると、風も波もやんで、右舷には佐多岬が見えてきた。
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一方、左舷には開聞岳のピラミッド型のシルエットが見えてきた。
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そしていよいよ桜島が見えてきた。山頂部がけぶって見えるのは2,3日前に小規模爆発を起こしたからだ。
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 そして、駐車場に戻ってみると、写真にあるように、車体にうっすら「火山灰」なるものが積もっている。この埠頭がちょうど桜島の風下にあたるため、灰が飛んできただけでなく、火山性の特有のにおいが町中に漂っているのだ。
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鹿児島市は、何度か通過、そして宿泊をしているが、今回は2006年7月に次いで、詳しく街を探索したので、「再訪」とした。種子島航路の発着する南埠頭のそばには「鹿児島旧港北防波堤灯台」が残っておりその先は「ウォーターフロントパーク」が広がっている。ジョッガーがたくさんいるだけだ。とりあえずその日はホテルに宿泊する。車は埠頭の駐車場に置いておき(4連泊なので、1泊あたり安くなる)、自転車に乗ってホテルに向かう。これによって新たな出費を避けることができる。
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鹿児島市ぐらいの規模の町では、徒歩が最も探索に向いている。しかもここには?O???????N市電がある。19世紀の鹿児島は歴史的事件の連続だったので、その痕跡を示す場所や銅像が非常に多い。この銅像は「五代友厚(ゴダイトモアツ)」のもの。政治家ではなく、船長になったり海軍に入ったりして、そのあとは優れたビジネスマンとして大阪が商都になるのに大きな役割を果たした。
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2021年2月までは工事のため休止されていた鹿児島駅前の市電はもう利用できる。JRの駅舎も新品である。ただまだ駅前広場の整備は進んでいない。
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 JRの駅に隣接しているのが、新しくできた市電のターミナル。ここから市電に乗っても鹿児島中央駅まで行ける。
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 鹿児島駅から山のほうに向かうと幕末から西南戦争にかけてのモニュメントが集まっている。「私学校跡」のそばには西南戦争のときの銃弾があけた穴が石垣に残されている。
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 「西郷隆盛終焉の地」。洞窟を出た隆盛はこの場所で一生を終える。
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 抗戦のため立てこもっていたこの洞窟は終焉の地から300メートルしか離れていない。
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 「目で見る西南戦争始末記:三十六景展示」と書かれた洞窟の入り口。自由に入ることができる。
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 入り口を入るとすぐ左手に照明を当てていない、隆盛のブロンズ像が置かれている。そのあとは主に水彩画による西南戦争の歴史が展示されている。
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 これから「城山」に登るのだが、途中の住宅地のゴミ捨て場にはこんな立て札が。
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 城山の北斜面には自動車道があり、それに従って登っていくと展望台に達する。土曜日にしては少ないが、観光客はそれなりに来ている。
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 桜島が、雲もしくは噴煙に隠されているが、市街地は一望のもとに見渡せる。この後、南斜面に設けられている遊歩道を下ると、磯街道(歴史と文化の道)に出る。
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 市立美術館の裏手に「持明院様」の石像を発見。島津家18代家久の妻であった。「器量にはすぐれなかったが、人間性が尊敬された」のだという。
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 2006年に訪れた時も、この写真を撮った。しかも同じ角度からだ。
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 「照國神社」。前回に来た時には詳しく見学した。
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 こうやって歩いているうちに、繫華街である天文館を通り抜け、鹿児島中央駅に近づく。そこで必ず目に入るのが「大久保利通」の像だ。
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 鹿児島中央駅。あの観覧車はずっと変わっていない。いつも乗ってみたいと思っているものの、今回も乗りそびれてしまった。ここは巨大な百貨店というつくりで、駅は左のほうに小さく収まっている。
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 昼飯時が近づいた。数人列を作っている店があったので入ってみる。「?O???????Nづけ丼屋:桜勘」といい、お得なワンコイン500円のセット。づけ丼は新鮮な魚を漬け込んで独特の風味を持たせたものだが、材料の魚が新鮮でないことにはどうにもならない。どこでもそうだが、高いテナント料を払っている、新設ビルの店よりも昔から続いている小規模で狭い小路にあるような店にいいのがあるようだ。今回もその作戦で成功。
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 鹿児島県は、上の地図にあるように、地形が多様で、さまざまな見どころがある。薩摩半島、大隅半島、霧島にくわえて、南西に数多くの島が存在するわけだ。奄美大島、屋久島、徳之島が次回の目標となる。

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