(2019年6-7月)

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目次

PAGE 1

フランスへ

ブルターニュ地方 :サンマロカンペール

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アキテーヌ地方 : ボルドー

PAGE 3

バスク地方 : バイヨンヌ

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リヴィエラ地方 : マルセイユ・モナコ・エクサンプロヴァンス

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ローヌ・アルプ地方 : ジュネーブシャモニー

パリ抜きといったものの…

記 録 総まとめ

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 ローヌ・アルプ地方とは: 

平原の多いフランスの他の地域とは異なり、南東部ではアルプス山脈に近づくと急に高度が増す。特にイタリアとの国境付近は例えばモンブランに代表されるように、急峻な山々と谷の連続だ。そしてレマン湖にあるジュネーブから来たほうはスイスと国境を接している。

ローヌとはレマン湖から流れ出る、フランス4大河川(セーヌ、ロワール、ローヌ、ガロンヌ)の一つ、ローヌ川のことで、この川がもたらす広大な流域を含んでいる。

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ジュネーブ Geneve 

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ジュネーブはフランスではなく、スイスだ。だが、フランス語圏であり、すぐ南がフランスとの国境だから、通貨(CHF スイスフラン)の問題さえなければ、フランスから国外に来た感じがあまりしない。しかもジュース一本買うのも、外国人はクレジットカードのおかげで、両替の手間を省けるのだ。鉄道は直通だ。マルセイユからリヨンまでTGVで行き、そのあとは普通列車でジュネーブに到着した。

レマン湖のほとりにあるジュネーブは、湖から水が流れ出して、ローヌ川となる。その水量はこの季節ではものすごく、大雨のあとのように奔流となっている。

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宿泊したホテルのそばのクルブルニエール橋を流れるローヌ川。

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レマン湖から水が流れ出すあたりに、公園のような小島がある。思想家ジャン・ジャック・ルソーにちなんだ、ルソー島である。短い橋でつながっている。

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ルソー島にある、ルソーの彫像。ここは公園みたいになっていて、水飲み場の水栓があるが、そこにはわざわざ「飲用可能」と書いてある。そういえば、レマン湖西岸を少し北上すると、エビアンという町があり、あの有名なエビアン水が取れるところである。飲んでみたが取り立てておいしいわけではなかったが。

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レマン湖の船着き場。これは湖の中を行き来する連絡船のもの。ほかに対岸の繁華街に行く、交通局の渡し船もある。

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「この場所にて、オーストリア王妃エリザベートは1898年9月10日に暗殺された」という銅板。美貌、気まぐれ、浪費で有名だったエリザベートは60歳の時、ここに旅行中に暴漢によって暗殺された。船着き場のそばである。

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交通局のトローリーバス。ほかにトラム、渡し船などを運営している。他のヨーロッパ諸都市に劣らず公共交通機関は充実している。

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公園で巨大チェス、巨大チェッカーに興ずる人々

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久々の3本建てを駅近くのレストランで。まずはオードブル。

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 つぎは主菜。鮭のイタリア風仕立て。
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 最後はデザート。
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 イギリス公園はレマン湖岸にある。市民の憩いの場。ここで今日の日程を考える。
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 ジェット噴水。140メートルの高さまで上がっている。ジュネーブのシンボルで1891年製。この日は風がなかったので、垂直に上がった。
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 ホテルにチェックインすると、2泊分の無料パスを支給された。これで市街地は自由に回れる。太っ腹な町だ。
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 駅前近くで見かけた自転車。結婚式が昨夜あったのではないか。

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シャモニー

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シャモニーはフランスの村である。だが国際観光地なので、ジュネーブから旅行会社がツァーを行っている。支払はスイスフランで。駅からちょっと離れたバスターミナルをぶらぶらしていたら、近くの旅行代理店で、あと30分で出発のツァーを発見、直ちに参加した。バスはほぼ満員。

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バスは高速道路に入り、レマン湖から離れ山間部へと入っていく。この道路はイタリアへ通じる主要なルートの一つらしい。

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1時間ほどで、シャモニー入り口に到着。高速道路ICの出口がラウンドアバウトになっている。

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しばらく行くと、、シャモニーの村に入った。とあるホテルの前で降ろされると、現地係員から午後5時5分にここに戻ってバスに乗ってジュネーブに戻るように言われた。間に合わなかったら、ほかに交通機関がないから、タクシーでもチャーターするしかない。後は各自自由に行動するようにとのこと。

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 ロープウェイのためのチケットを渡された。以後、5回以上改札機を通したと思う。厳重管理だ。
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ツァーといっても、各自ロープウェイに乗り込み、あがって見物して降りてくるだけだ。ただ観光客がやたら多いので、一回の乗客40名ぐらいをグループにして乗り場の外に待たせている。バスの私たちは49番(グループ)だった。時刻は午後1時ぐらい。

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49番が回ってくるまでぶらぶらしたり、昼食を食べたりした。シャモニーの村は深い谷間にあって、北西部はさほどではないが、イタリア国境側の南東部は、世界的に有名な切り立った山々が見える。

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ロープウェイの通り道は大変な急傾斜だ。青森県八甲田のロープウェイと大きさはたいして変わらないが、登っていく高度が違う。後で調べると、ロープウェイはこの谷間だけで、ほかにも6つぐらいもあるのだ。

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いよいよ49番グループ出発。ロープウェイの中はすし詰めに近いが、5分ぐらいで中継の降車場に着く。谷間に見えるシャモニーがどんどん小さくなり、代わりに屏風のように立っていた緑の山を越えた時、イタリア側に真っ白な山々が突然現れた。乗客はみな歓声を上げる。

さらに中継の場所から第2のロープウェイに乗り継ぎ、大展望台エイギュ・ディ・ミディに達する。これで富士山より高い所へ来てしまった。気温は3度ぐらいで、Tシャツでは長時間いられない。

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すぐ横に氷河があるのだが、地球温暖化の影響でだいぶ溶け、下のほうはぐちゃぐちゃになって汚れてしまっている。写真では灰色の部分にしか見えない。

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シャモニーの谷間を見下ろす。我々のバスは中央から右手のほうにやってきた。

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氷河とその周辺 。夏山と冬山とでは、ずいぶん違うだろう。
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 この写真はイタリア方面を写したのであるが、実は稜線に無数のアリのような登山者たちが列を作っているのを示したかったのだ。このロープウェイや、さらにもっと上へ行くロープウェイを使って雪中行軍をする者が大勢いるのだ。

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 エイギュ・ディ・ミディの展望台は横方向や上の方向に拡張された。トンネルをくりぬいたり、上の写真のように、ガラス箱を作って観光客が重症の高所恐怖症になるように仕組んだものさえある。これが大人気で、「待ち時間40分」とあった。それであきらめた。この写真はポスターを写したもの。
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 さて、肝心のモンブランであるが、これである。周りの山々の壮大さに気をとられて、このまん丸い頭の山はあまり気をひかなかった。夏は温暖化のこともあって、黒い岩肌が目立ちすぎ、いまいちだ。
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イタリア方面を臨む。もっと左手にはマッターホルンもあるはずだ。
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 エイギュ・ディ・ミディの中の登山者のための建物。トイレも土産物屋も、レストランも完備している。中央の水色の板には「3842メートル」と書いてある。富士山の標高は3776メートル。さすがに空気の薄さを感じる。
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 エイギュ・ディ・ミディでも最も高い部分が見える。ここまで階段やエレベーターで上がっていくのだが、全体としてみるとずいぶん大きなスペースを占めていることがわかる。この高さでの長期滞在は高山病を引き起こすかもしれない。
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 すぐ目の前の巨岩にへばりつくロッククライマーたち。海のサーファーと同じで、”ギャラリー”がいることは彼らにとって大きな喜びだろう。
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 エイギュ・ディ・ミディに着くと、すぐに帰りのグループの札を渡される。30番だった。やれやれ、登るのも降りるのも行列を作らなければならない。帰りにも氷河を眺めて見納めとする。シャモニーの村に戻ったら、コンビニで買ったビールを飲んで、そよ風の通る木陰でゆっくりと5時5分を待つとするか。

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パリ抜きといったものの…

 
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 パリ抜きといったものの、ドゴール空港経由だから到着後、どうしてもパリに1泊する必要があった。パリ市内のホテルはべらぼうに高い。仕方がないから、すごく郊外にあって、翌日にモンパルナスに楽に駆けつけられるようなパリ南部にある宿屋に予約した。(今回の旅行で予約したのはここと、東横インの3泊だけ。)メトロではなくRER線、つまり郊外電車でたどり着くLONGJUMEAUという駅に向かう。

なお、車内で、スリにバッグのチャックを開けられた。親切なおばさんが、「あんたのカバンあけられているよ、犯人は今降りたばかりのあいつだ」と教えてくれた。被害はなし。大切なものは、バッグのチャック付きポケットに入れたりしない。スリが見つけたのは鼻紙だけだ。

 
 RER線の電車はお世辞にもきれいだとは言いかねるが、ネットワークはしっかりしているので、きちんとルートを把握さえしていれば、短時間に移動できる。
 
 LONGJUMEAUの駅。のどかな住宅街の中にあり、緑豊かな公園がそばにある。
 
 駅から歩いて2キロのところに Ibis budget hotel はあった。ところが、ここは街中ではないので、食べるところを探すのが一苦労。
 
 高速道路のインター近くをさ迷い歩いて見つけた、魚介類料理の店。ファミリーが客としていたので、高くないだろうと思った。エビとアサリと白ワインを注文したが、こんな内陸にある店にもかかわらず大変新鮮だったのは幸運だった。後で客が続々とやってきた。結構流行っているんだ。

翌朝、RERとメトロを乗り継いでモンパルナス駅に行く。そこからTGVでブルターニュ半島に向かった。

 
 
 今回の旅行の最後の経由地、ジュネーブからのTGVは大幅に遅れ(3時間近く)リヨン駅に到着した。驚いたことに、改札には駅員が小箱を持って待っていて、「遅延してどうもすみませんでした」と言いながらその箱を乗客に配っていた。(ジュネーブの駅ですでに出発が遅れていたが、そのときは、ミネラルウォーターを配った)

帰りの飛行機の時間が午後10時過ぎなので、(これも遅れた!!!)ちょっと、パリ市内を散歩しようと、リヨン駅からオステルリッツ駅、そして植物園・動物園へと向かう。本当はすぐ横にある「進化大陳列館」に行きたかったのだが、子供連れの列の長さに圧倒されてしまった。この日は土曜日だったのだ。

 
 夏のパリ植物園(1)
 
 夏のパリ植物園(2)
 
 夏のパリ植物園(3)
 
 夏のパリ植物園(4)
 
 植物園を通り抜けると、森に入る。これが都会の真ん中だとは信じがたいほどの大木が映えている。この場所は、「分類学」発祥の地なのだ。すぐ隣が動物園。TGVが遅れたために、閉館時間に間に合わなかった。
 
 それで方向を変えて、セーヌ川左岸に出る。ちょうど目の前を乗客を満載した川船が横切っていくところだった。
 
 ノートルダム寺院の方向に向かって左岸を散歩する。
 
 痛々しいノートルダムが姿を現した。あの火事によって現在修復中であるが、これまた新しい観光スポットになり、カメラを構えるのが難しいほどの混雑。

なつかしのRERのB線の通っている「ノートルダム・サン・ミシェル駅」へ向かう。ここから空港への直通列車が出ている。

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記 録

<旅行期間> 2019年6月24日より7月7日まで

6月24日(月曜) 成田空港よりカタール航空 QR807便にて 2220発 機中泊

6月25日(火曜) ドーハ空港へ 0350着。(乗り換え)QR39便にて ドーハ 0740発 パリ Charles de Gaulle 空港 1340着、パリ市内移動 Ibis budget にて宿泊

6月26日(水曜) パリ、モンパルナス駅発 TGVにて レンヌ着 レンヌ発 TERにてサンマロ着 サンマロ市内見学 Hotel d'Europe 泊

6月27日(木曜) サンマロ発カンペール着 カンペール市内見学、 Hotel de la Gare にて宿泊

6月28日(金曜) レンヌから昼間の長距離バスにてボルドー市へ移動、Ibis budget にて宿泊

6月29日(土曜) ボルドー市内見学 Ibis budget にて宿泊

6月30日(日曜) ボルドー発TERにてバイヨンヌ着 バイヨンヌ市内見学、Cote Basque にて宿泊

7月1日(月曜) バイヨンヌ発TERにてトゥールーズ着 トゥールーズ発TGVにてマルセイユ着 東横インにて宿泊

7月2日(火曜) マルセイユ発TERにてモナコモンテカルロ着 モナコ公国見学 モナコ発TERにてマルセイユ着 東横インにて宿泊

7月3日(水曜) マルセイユ発バスにてエクサンプロヴァンス着 市内見学 エクサンプロヴァンス発バスにてマルセイユ着 マルセイユ市内見学 東横インにて宿泊

7月4日(木曜) マルセイユ発TGVにてリヨン着 リヨン発TERにてジュネーブ着 市内見学 Hotel des Tourelles にて宿泊

7月5日(金曜) ジュネーブ発バスにてシャモニー着 エイギュ・ディ・ミディ見学 シャモニー発バスにてジュネーブ着 Hotel des Tourelles にて宿泊

7月6日(土曜) ジュネーブ発TGVにてパリ、リヨン駅着 パリ Charles de Gaulle 空港より QR38便にて 2240発 機中泊

7月7日(日曜) ドーハ空港へ 0600着。(乗り換え)QR812便にて ドーハ 0645発 羽田空港 2240着

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