その3(2020年10月)

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生駒山・奈良市街興福寺・春日大社→東大寺・圓成寺→信貴山・斑鳩平城京跡・新大宮

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外部リンク元明天皇が710年、外部リンク平城京を造営して以来、奈良の町は、都市計画、荒廃、神社仏閣の成立と衰退、近代都市への変身、と目まぐるしく変わってきた。1000年以上にわたるこの変化の集積が現在の奈良である。その痕跡は、街角に、路地に、人の訪れないひっそりした山間部に発見することができる。

それらを目撃したければ、歩くしかない。時速4,5キロのスピードなら、周囲のものをあまり見逃すこともなく捕まえることができよう。しかも、巨大な京都の町と比べ、奈良はずっとこじんまりしている。今回(2020年10月26日~30日)の歩きはその最初のものである。

東大寺・圓城寺

27日は、まず東大寺、そして昔の街道を使って柳生(ヤギュウ)方面への長距離ハイキングだ。途中には険しい山道が待っていた。(は公共交通機関、➡は徒歩を示す。)

(01)JR奈良駅春日大社本殿バス停➡若草山麓➡三月堂➡二月堂➡表参道➡東大寺➡正倉院➡南大門➡大仏殿交差点

(02)大仏殿交差点➡滝坂道➡朝日観音➡首切地蔵➡地獄谷石窟仏➡峠の茶屋➡柳生街道➡圓成寺JR奈良駅

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 GPS軌跡
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春日大社本殿バス停にバスで到着すると、昨日の東方向にある春日大社ではなく、北方向に向かう。やがて「若草山」が見えてきた。4歳の時に初めて行ってから、これで何回目だろうか?道は若草山を右手に見ながら進む。左手には、お土産屋と旅館が並ぶ。相変わらず修学旅行生が多い。
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若草山のはずれにやって来ると、道が二手に分かれ、右側を行くと、「二月堂」、そして写真に出ている「三月堂(法華堂)」が見えてくるし、左右には小さな施設がたくさん並んでいる。巨大な建造物より、それらのほうが僧侶たちの生活の息吹が感じられ、迷路に入ったようで面白い。
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「大仏殿」の裏手に出た。表側には観光客、特に修学旅行生でごった返している。ここも4歳のころに入っているはずだから、拝観はやめにして広大な四角形を一周するにとどめる。
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それよりも興味があったのは、「信貴山(シギサン)」だ。正倉院を外側から眺める。これを「外構」という。実は”構”を”溝”と勘違いしていて、お堀があるのかなと思い込んでいたのだが、係員のおじさんに聞いてやっとわかった。ここは倉庫で、もともと中に入れないが、このときは中の宝物を一時的に出して博物館で展示している。
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 「信貴山(シギサン)」パンフレット
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ぐるっと境内を一回りした後、「南大門」を通過した。ここの面白いところは、人も鹿も“通行者”であるということだ。動物が鎖やひもで結ばれているわけでなく、てんで自由に行きかう風景は、世界中探してもなかなかないだろう。
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南に下って「大仏殿交差点」を南東に向かい、能登川沿いに東へ走る道に出た。奈良公園のはずれで、古道「滝坂道」の始まりである。左手の森の中に一頭の雄鹿がいた。角がある!すべての雄の角は切られているはずなのに、こいつはどうしたのだ?脱走したのか?それともそれまで奥山に隠れていたのか?すばらしいシャッターチャンスであった。
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滝坂道に入る。もう観光客はいない。いかにもそれらしい装備をしたハイカーか登山客だけが通っている。ガイドに率いられたグループも登ってくる。山道といえども古代からの石畳がその大部分を占めているが、普通のトレイルのところもある。両側や崖の上には古代の人の彫った仏像が所々にある。これは一番朝早く朝日を浴びるというので「朝日観音」。
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奈良奥山ドライブウェイとの交差部分に近づく。そこに「首切地蔵」があった。ただし首にある“傷跡”は確認していない。
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 さらに進むと「この先には落石、倒木があり危険です。絶対に通らないでください」という看板が出始めた。にもかかわらず前進すると、金網に囲まれた「地獄谷石窟仏」があった。これは金網の穴越しに撮影したもの。仏像には彩色されていたことがわかる。
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石窟仏の先にはフェンスが道を遮っていた。つまりここからは通行してはいけないということだ。だが、フェンスの根元を見ると、フェンスを迂回して向こう側へつながる道ができている。つまり多くの人々がこの警告を無視して先へ進んだということだ。それで私もそれに倣うことにする。たしかに石が落ちそうなところや倒木がごろごろしていたり、写真にあるようにスリル満点な鎖場などがあったが、たいしたことはなく15分余りで「石切峠」を越えた。
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峠を越えると、すぐに「峠の茶屋」に出た。道端に無人のお菓子販売所があり、値段がわからないので、母屋のほうへ行ってみると、一人のおじいさんが出てきた。土日祝以外はこんな体制だという。2時近くになり、まだ昼食もとっていないし、それまでの山歩きのこともあって、ここの一袋100円のスナックは実にありがたかった。ここはきっと人の訪れない孤立したところだろうと思っていたが、なーんだ茶屋から100メートルもいかないうちに普通の人家が始まっている。
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茶屋から先はのどかな田園地帯である。ちょうど京都北部の鞍馬とか大原などの雰囲気だ。そして未知の名前は「柳生街道」と呼ばれている。かつて剣豪たちが行き来したのだという。ただし「柳生の里」はずっと先で、今日の予定には入っていない。 「圓成寺(エンジョウジ)」というお寺が今日のゴール。こんな山の中に、池と紅葉に囲まれた庭園風景を作り出している。
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  「圓成寺(エンジョウジ)」パンフレット
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 圓成寺のそばにある、忍辱山(ニンニクサン)バス停。ここからバスで国道369号を経て町の中心へ戻る。
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 「柳生街道」パンフレット

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